三 道行き
翌朝。リャコ、ティルヒム、マールの三人はロートレア峠へと続く細い山道を歩いていた。腕を組み歩きながら、リャコは昨夜の村長の言葉について考えていた。
「う~ん」
「どしたんだい? 姫さん」
「どうも、あの村長さんの言う事、変だったように思うんです」
「おや奇遇だね。あたしもあいつの話を聞いてたら、どうにも
ちなみに、マールの顔に耳羽はない。オムシュエット特有の表現だろうかとリャコは頭の片隅で考える。
「いえ、そういう事ではなくて」
「何だね、あたしの勘が信用できないってのかい」
「ち、違いますよ。とにかく、トレントが人を襲うはずないんですよ。だって青き疾風を諭し導く、知的で穏やかな種族ですのに……」
「あー、姫さん?」
と、マールがやや申し訳なさそうに目をぱちくりさせた。
「あのね、姫さん。あんたがあんまり嬉しそうだから言いづらかったんだが……トレントってえのはさ、お話の中だけの魔物だよ? 実際にはそんなモン、この広いフェリカのどこ探したっていやしない」
「えっ」
コノヒトハ一体何ヲ言ッテイルノダロウ?
一瞬、リャコのすべての思考が停止した。
「そんな、え、何を言って……え?」
「だからね」
「え? 冗談? え? もしかして、マールさん、からかってます?」
「からかってなんざいないよ。これでもあたしゃ、フェリカじゅうの森を飛び回って来たけどね。トレントになんか、ただの一度もお目にかかったこたぁないね。王子の側近なんてえフェリカで一番情報の集まる地位にいて、もうだいぶ経つが、地方でそんな化け物を見たって報告だって、聞いた事すらない」
「え? ……え!? ちょ、ちょ、ちょっと待ってください! あの、ええと、じゃあ、お……オメガトータスはいますよね?」
「オメガトータスは通称。正式にはメイアルシだね。ありゃ王国軍も何十頭か飼っているはずだよ。投石器なんかを曳かせるのに便利だからねえ。ああ、海の方へ行くと似たようなので、オメガタートルなんてのもいるさね。あっちゃアスピドケロンだ。船を曳いたり、貨物の運輸なんかに使われる。もちろん、あたしも何度も見た事がある」
「あの、あの、グリフォンはいますよね? フェリカのグリフォンナイツは有名ですもの。フェリカを人界の覇者たらしめる存在で、今まで一度も敗れた事はないって」
「これは大きな声じゃ言えねえが……、グリフォンもいねえぞ」
「えっ!?」
二人の後ろをぶらぶら歩いていたティルヒムが面倒くさそうに続ける。
「示威の為、グリフォンナイツは全てグリフォンに乗っていると思われているが。半数どころか、大半はヒポグリフォだ。純粋なグリフォンは数頭しかいねえはず」
「ひ、ヒポって」
「雌馬との交配種だな。純血のグリフォンは気性が荒くて、なかなか人を乗せるようにならねえ。訓練中の事故死もべらぼうに多い。馬の血が混じると、多少は大人しくなる。王子みたいにオピニクスなんぞに乗る酔狂な御仁も、いらっしゃるにはいらっしゃるが」
「お、オピニ……、な、なんです?」
「オピニクスだ。こっちにゃ馬じゃあなく、熊が混じってる。純血じゃねえが、純血よりさらに気性が荒く、何より強え。お前さんの主は王国で唯一オピニクスを屈服させた、オピニクスライダーだぞ? そんな事も知らんのか」
「で、でも、グリフォン自体は一頭もいないってわけじゃないんですよね。なら、トレントだって」
「冷静に考えてごらんよ、隊長。樹が喋るはずないだろう」
「うぅ。で、でも、マールさんだって、この世界のすべてを見て回ったわけじゃないでしょう。フェリカにはいなくとも、世界のどこかにはいるかも知れません!」
「まったく。姫さんも強情だね。まぁ、夢を追うのは自由だ。好きにおし」
「いいですもん。いつか夢を追って、トレントを探しに冒険に……あっ、そっか」
その時ふと、リャコの頭の中で何かが噛みあうような感触があった。
「そうだわ。なぜ追わなかったの?」
「何がだい」
「村長の話の変なところです。まだ頭の中で整理がついてないんですけど……あの村長さん、襲われた奴隷は骨すら残らずに食べられたって言ってましたよね? という事は、もうすでに峠の化け物は人間の味を覚えているって事だと思うんです」
「まあ、そういう事にならあね」
「それなのに、近づいた人間を岩で追い払うっておかしくないですか? 村長さんの話しぶりだと、追って来たりもしなかったみたいですし」
「腹がいっぱいだったんだろうさ」
「人の味を覚えた魔物は、たとえ飢えておらずとも、人を襲うそうです」
「……そういや、そんな風にも言われてるね。何が言いたいんだい」
「魔物が人を食べるかも、っていう話か、奴隷を運んでいた、っていう話のどちらかが嘘じゃないかと思うんです。そうじゃないと、話の辻褄が合わない」
「なるほどねえ。あたしらを焚きつけるために、あえておどろおどろしく言ったのかしらね。授乳期の獣が棲みついて、危なっかしいから退治しとくれってんじゃあ、方面軍のやつらは動かなかったんだろう。そこへいくとあたしらなんか、王子のご令名を少しでも広める為に、どんな些細な訴えでも、聞いて回ってんだけどねえ」
「密輸かも知れんぞ」
「なんだい、ティルヒム?」
「やっこさん、積み荷は奴隷だと打ち明けた時、一瞬言葉に詰まったろう。どちらかが嘘だというなら、積み荷が嘘だ。何かご禁制の品でも流して、利を貪っていたんじゃねえのか」
「はあん。この辺りで、となると……塩かね」
「一掃されたと思っていたが、ここらは王国の端も端。闇商いの結社が残っていても、おかしくはねえな」
「ンま、子連れの獣のセンも消えたわけじゃない。その為の調査だ」
「そうですね! 張り切って調査に当たりましょう」
リャコが両拳を握り、元気よく宣言した、その時だ。
「……おい、それで? アレは一体どんな子を作るんだ?」
「ほぇ?」
「バカヤロウ! ボーっとしてんじゃねえ!」
ティルヒムに突き飛ばされ、道に転がる。頭上を、大岩が横切った。
「はっ。おいおい、なんだありゃ?」
「あー、姫さん。ちょいと前言を撤回するがね。あたしゃ今初めて、トレントってえのを見ているかも知れない。姫さんのほうが詳しいだろう。ありゃ一体何だい?」
「あれは……」
リャコは頭上を仰ぎ見た。逆光の中、巨大な影が腕を振り上げている。その姿はどう見てもリャコの知っているトレントではなかった。言うなれば、
「あれは……樽の化け物です!」
自分でも言ってから後悔した。そんなもんは見りゃ分かる。とでも言いたげな先輩隊員二人の、呆れた視線が突き刺さるようだ。そこにいたのは何とも奇妙な――樽を繋ぎ合わせて作られたかのような――木製の巨人だった。
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