二 峠の魔物
「峠の魔物、ですか?」
「ええ、ええ」
今回、マルドロ村付近の害虫駆除に当たったのは、王子私設の警ら隊、三番隊の面々であった。二十名余からなる隊員たちは村の周囲にキャンプを張っており、隊長以下数名の幹部だけが、村長の饗する夕餉に招かれていた。
「でも、私達が通って来た時は、おっしゃるような魔物なんて見ませんでしたけど」
「いえ、王都から来た方々が通る方角ではありませんで」
「では、西ですか? 西というと、この先にはもう、断頭門しか」
広大な版図を持つフェリカ古王国だが、その支配域は豊かな水源を擁する東部ほど堅固で、西部にはまだ支配の及ばない地域がまばらに存在している。さらにその西方には世界を寸断する〝蛇〟が小さき人の世をあざ笑うようにその身を横たえている。断頭門はフェリカで唯一西方世界に向けて開かれた関所でもあるが、そこは人界の果てでもあった。
「い、いえいえ! 南! 南でございます。断頭門なんて恐ろしいところ。滅多なことじゃ向かいませんから」
「南と言ったら、シュエンとか名乗りはじめた新興国が近いんじゃねえか」
「よ、よくご存じで、ティルヒム様。あの辺りの部族や山賊どもが手を結びまとまって新帝国などと名乗り始めたそうでして。首魁のサリなんたらとか申す男、言うに事欠いてフェリカの王より上の位、皇帝だなどと自称しておるそうで」
「皇帝?」
「はぁ。それがなんでも、古の神や王の呼び名を組み合わせた新しい位だとか。まったく、狂人の考えることは理解できませんで」
「フン。まぁ、いずれ討伐隊が出るだろう。王子にそのよう具申しておこう」
「あの、それで」
リャコが話を本筋に引き戻す質問をした。
「峠の魔物、とは?」
「ええ、ええ。それがもう山のように巨大な、木の化物だそうで。この村から南部へ向かうにはタカランの支配域を迂回していかねばなりませんから、道はおのずと限られます。昨冬あたりから、そこに化け物が棲みついてしまったようで」
「木? ……トレントでしょうか」
トレントとは歳経た樹木に魂が宿った妖魅の事で、リャコの愛読本『青嵐記』では主人公の困苦に際し、助言を与えるメンターとして登場する。
「とにかく、あちらの道を塞がれてしまうと、この村は大弱りでして。この村を巡回してくれていた商人の方々も、割に合わぬといって、村に寄りつかぬようになってしまいまして。何より、うちは隣町から入ってくる安い塩おかげで生きていけているようなものなのです。今は備蓄を回しておりますが、タカランを反対側から迂回するルートじゃ、塩の値はいくらになる事やら。南から入っていた安い酒や穀物だって、この村まで届かない有り様で。王都まで買いに行っていたら費用が何倍にも……」
「分かりました。とにかく、落ち着いて」
「こ、これが落ち着いていられますか! 我々には死活問題なのですよ!?」
「ふぅ」
リャコは深呼吸し、村長に向き直した。
「王子からは民の訴えにはなるべく耳を傾けるように仰せつかっています。まずは私たちの部隊だけで対処できるか検討し、仮に難しいとなっても、王子に国軍を派遣出来ぬかどうか、具申すると約束します。決して悪いようには致しません。どうか、落ち着いて」
「も、申し訳ありません……」
「とにかく、その怪物についてもう少し具体的に、分かっている事は何でもいいので教えてください」
「は、はい。……とは申しましても、そやつは家ほどもある巨体で、私どもがロートレア峠と呼んでいる峠の中ほどに現れる、という事ぐらいしか……。昨年、そこを通る商隊が襲われて、積み荷を奪われたのです。それ以来、近くを通るだけでもどこからか大の男ほどもある大岩を投げてきますんで、おいそれとは近づけませんで」
「積み荷を奪う……? トレントではないのかしら」
「そんな剛力じゃ、弱卒がいくらあっても埒が明かんな。徒に犠牲を出す」
「ちなみに村長、その時奪われた積み荷とは何だったのでしょう? 例えば、積み荷の酒の味を覚えてしまって、人を襲うようになったのかも」
「こっ」
「こ?」
リャコは首をかしげて、問い返した。しばしの間。村長はしばらくひきつけを起こしたようにえづいていたが、やがて続けた。
「そ、その……、奪われた積み荷は……、ど、奴隷です。ですから、恐ろしいので。あれが人里に降りてきたらと思うと」
「それは……」
もし、村長の言う化け物が人の味を覚えて襲ってきているのだとしたら、じきに村まで降りてくる可能性もある。だが、リャコは何か、村長の言葉に引っかかるものを感じていた。
「う~む、確かに一刻の猶予もないのかも知れません」
「で、でしょう!? 今この時この村にあなた方が来てくださったのは、桃園の主のご差配に違いない。ど、どうか! 峠の魔物を、倒してはくださいませぬか」
「わ、分かりました。実は今、国軍がタカラン山の麓まで来ています。王子に報せをやりましょう。もしかすると一卒、向かわせてくれるかも知れません。それから、腕の立つ者だけで、まずは現地を偵察しにいってみます。化け物も、もう峠を離れているかも知れませんし。どの道、実際に見てみない事には、軍をどれだけ向かわせれば良いかも分かりません。……と、こんなところでどうでしょう。ティルヒムさん。マールさん」
「ふん……」
リャコの言葉にティルヒムは小さく鼻を鳴らした。それまで黙っていたマールは自慢の風切り羽をひらひらと振って、
「隊長はあんただよ」
それからくゎと一つ、あくびをした。
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