三 洛都紅蓮

「これは……ひどい。一体、どうなっているんですか」


 白色大理石の街並みは無残にもひび割れ、崩れ、下から火であぶられていた。


「さてね。町ン中に黒いオムシュエットがいきなり飛んで来たかと思ったら、あれよあれよという間に城門が開いて、雪崩を打って黒い軍隊が押し寄せたそうだ。それからやつら、そこらじゅうに火を放ちやがった。あたしが警らから帰った頃にはもう町は火の海だったよ。国境の守備隊からも、何も報告はなかったらしい」


「そんな……これじゃ、町の人達も、みんな。……そうだ、父様は!」


「待ちな。ここの収容所にゃいないよ。あんたにゃ内緒だったが、王子の命で、あたしらでもちと調べていてね。少し前にどこかへ移送されたらしく、先の足取りを追っていたところだった。今はとにかく、逃げる事だけに専念しな」


「……本当に二万もの軍が来ているんですか」


 王子の下で働いていた事で、リャコもある程度、軍事には詳しい。


 フェリカ古王国の常備軍はおよそ五万。それに戦時徴用や傭兵などを組み合わせて十万から最大十五万程度にまで膨れ上がる。しかし、そのほとんどは国境に配備されており、王都近傍の警備は城内に三千、近郊に二千程度。そこへジェナス将軍の言葉を信じるならば、二万の大軍が煙のように現れたという。


 何の為、国境の守りを固めているというのか。そんな事が実際に起こり得るのならば、どんな国だろうと簡単に陥落してしまうだろう。しかし、火に包まれたソルグレイグ市街を目の当たりにすると……いかに不可解だろうと、こちらの防備を上回る何かが起きたという事だけは飲み込まざるを得ない。


「しかし、アレイザのやつ、遅いね。悪い、姫さん。あたしゃ戻って様子を」


 マールが告げたその時、入り口付近の兵舎が焼け落ち、試合場への道を塞いだ。


「ちっ。出入口が塞がれっちまった。これじゃ、合流もままなりゃしない」


「おおい! そこにいるのは、リャコかぁ?!」


 狸のような小柄な影。ソルグレイグに客員技師として招聘されていたポントルモだ。


「音波砲を五十基、使えるようにしておいたんだぞっ。それから、王子に言われて、百個くらい手持ちサイズの音波砲も作ってたんだっ。それなのに……」


「あの数じゃ、仕方ないよ。わずか百五十程度の音波砲じゃ、防ぎきれないさね」


「黒いオムシュエットがたくさん、たっくさん現れて……。うい、頑張って何人も、何人も倒したんだぞっ。でも、全然足りなくて……。王子が空への備えも必要だって言うから、いっぱいいっぱい作ってあったのに……」


「いいかい、ポントルモ。あたしゃ他の出入口まで、王子とアレイザを探しに行く。あんたは姫さんを連れてお逃げ。王子は姫さんの事を巻き込んじまった事を後悔してた。王子の為にも、姫さんは無事に逃がして差し上げたい。町ン中は敵さんがうようよいるが、頼めるかい?」


「王子の為かぁ!? ういは王子大好きだぞっ! 設計図を描くと頭を撫でて褒めてくれるし、ういの狙いもちゃあんと分かってくれるんだっ! いっつもクッキーも持って来てくれるんだぞっ!」


「待ってください、マールさん! 私も連れていって……」


「分かるだろう、姫さん。こん中じゃあたしが一番早く、王子の元まで行けるんだ。あんたが追いついてくるのなんざ、ちんたら待ってられやしない」


「で、ですけどっ……」


「南だ、姫さん。二万の軍勢とは言っても、この広いソルグレイグを全て囲めるわけじゃない。北門で大きな衝突があったせいか、南が手薄だ。そっちからお逃げ。無事だったら澄明宮で会おう」


「リャコぉ! 行くぞっ。リャコはういが守るんだ!」


「じゃあね、姫さん! 無事お逃げよ」


「マ、マールさんっ!」


 返事も聞かず、マールは火に包まれたソルグレイグの空へ飛んで行ってしまった。


「さぁ、行くぞっ! リャコ!」


「……ポンちゃん。聞いて。逃げ遅れた人を、出来るだけ助けてあげたいの」


「だっ、だけど、ういはリャコを無事に逃がすって約束したんだぞっ」


「でも、町には敵兵がまだ大勢いるんでしょう? 一人でも多く、戦う力のない人を助けてあげないと」


「だっ、だけどぉ……。あいつら変なんだぞっ。からくり刑部の腕を使った〝げきたいそうち〟でも、声一つあげないんだっ。わっ! ききき来たぞっ! リャコっ!」


「あれが、マールさんの言ってた黒い軍隊ね。何から何まで真っ黒……影みたい」


「うぅ~っ。うい、あいつら苦手だぁ~」


「どの道、行く手を遮る敵は倒しながら進むしかないわ。行くわよ、ポンちゃん!」


「うひいぃんっ」


 さっきまでの威勢はどこへやら。ポントルモが情けない声を上げた。リャコが良く利用するパン屋の親父さんが、黒い兵士達に囲まれている。リャコは愛用の圏を握りしめ、貌のない兵士の前へと躍り出た。


「大丈夫! 弱いわっ」


 毎日手合わせをしていたパーセルと比べれば、黒い兵士はいっそあっけないほど弱かった。二手、三手と圏を叩き込むだけで、音もなくくずおれる。


「パン屋のおじさんっ、大丈夫ですか?! 一人でも多く、助けて回ります! ついて来てくださいっ」


「あ、あぁ。……こいつら、リャコちゃんが倒したのかい? よく訓練と言っては擦り傷を作っていたから、隊長と呼ばれていてもそんなに強くはないんだと思っていたが」


「あ、あはは。まぁ、日々の訓練の成果が出たと申しますか」


「りゃ、リャコ! なら、工房に向かってほしいんだぞっ。あそこなら、手持ち音波砲の予備とか、他にもいくつか、誰でも使える〝げきたいそうち〟があるんだっ」


「分かった、工房ね。急ぎましょう!」


 圏を握り直し、リャコは燃え盛る王城へと駆けだした。

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