八 解放軍

 すっかり寝坊した。王子の執務室には、既に王子の側近達が集まっていた。ちなみにガロンドは澄明宮の守りの為、滝の裏にわずかばかりの警備兵らと共に陣取っているそうだ。


「で、何なんだこいつは。おい、リャコ」


 ブラムドが呆れたように尋ねる。ヒルイが尊大な態度で返答した。


「貴様らの王子だろうが、ひれ伏し拝め」


「……ごめんなさい、実は」


 昨晩はほぼ一睡もできなかったリャコは疲れた目で説明する。


「はぁ? 〝盗人の書〟から出てきただぁ?」


「そうみたいです……」


「おい、お前。って事は世界蛇の首を落とせるのか」


「お前達はみんな同じ事を聞くな。出来るわけがないだろう」


「それでも〝三十七戯曲〟の化身かよ」


「愚かな。ただデカいだけの〝龍の書〟の化身とは比べ物にもならぬ。見よ、この繊細な化身を。これ程精巧に人の顔を模すのは我が力の無辺なるがゆえ」


「まぁ、見た目は確かに若そっくりだけどよ……」


「どうだい、明賢。彼、使えそうかい?」


「簡単に言うなパーセル。まだ、若の安否自体も分かっちゃいないんだ。こいつを担ぎあげて、後で本物の若が処刑台にでもあげられてみろ。使いどころが難しい劇毒みたいなやつだ。……おい、他の姿には変われねぇのか?」


「無理だな。この女の望みが、この男ゆえ」


「ちょっ、変な言い方しないでくださいっ。私はただ、王子がご無事であったらと……」


「若の無事を祈っているのは俺達も同じだ。……ったく、せっかくの〝盗人の書〟がこれだと思うと、どうやって〝太陽の書〟に対処していいのやら」


「あの、私思ったんですけど、やっぱり、フェリカで起きていた人攫い事件が今回の王都襲撃と関係していると思うんです。あまりに時期が一致しすぎていますもの」


「操られていた人間が内部から手引きした、というのは想像に難くないが。不確定情報が多すぎるな。だが、探ってみるのは悪くない。真文教の線から洗えないもんか」


「あー、ブラムド。僕は真文教は関係ないと思うけどなぁ」


「ちなみになぜだ? 俺もこの耳で聞いたぞ、書の使い手が真文の神に祈ったのを」


「まぁ、一つの候補として考えておく分には、問題ないと思うけど」


「何か隠してやがるな……? この非常時だっつうのに。……まぁいい。それで、マールはまだか」


「君もひどいよねぇ。全身打撲だらけのマールを偵察に飛ばさせるなんてさ」


「今は少しでも多く情報がいる。やつ自身、極度の疲労で動けなかっただけで、一日寝れば飛べるぐらいまでは回復すると言っていた」


「はいはい。喧嘩をおしでないよ。……今戻ったよ」


 執務室のドアが開かれ、涼やかなメンフクロウの面が顔を覗かせた。マールだ。


「どうだった?」


「ちょいと離れた村まで行ってみたんだけどねぇ。どうやら、あたしらが落ち延びた後で、もう一回、国軍が大きな戦をしたみたいだ」


「そりゃあ、そうだろう。王都近傍の警備は五千。王都の常駐軍三千がやられたとしても、まだ二千が残っている。俺が指揮官でも、そいつらとの合流を図る。だが、それでも戦えるのはせいぜい二千五百かそこらだろう。二万の黒い軍隊に太刀打ちできるとは思えないが」


「いや、それがねぇ。戦ったのはどうやら黒い軍隊じゃないみたいだ。西から悠々と軍を進めてきた悪辣バルジエフの軍と、一戦あったらしい」


「バルジエフだと?」


「西方方面軍さね。やつらがこんな近くまで進んでいたのに報告が上がっていなかっただなんて、随分と西側は腐っていたらしいね」


「方面軍はシュエンと内々で結んでいたか。西方方面軍の役割はシュエンなどを含む山岳地帯の小国や、賊共への睨みを利かせる事。それと、ごく稀に断頭門を抜けてくる巨大な魔獣の対処だが、ここ数十年、断頭門を抜けてきた魔獣はいねぇ。シュエンと結んでいたのだとしたら、西方に軍は要らんっつう事で出張ってきたんだろうな。仮に西方方面軍の一万すべてが裏切っていたとすると、敵方は三万、こちらは常備軍で三万五千と王都近傍の残党のみになる。武力で奪い返すのが難しい数だ」


「あの、なぜ敵は残党狩りに黒の軍を出さなかったのでしょう? 二万の軍があれば一部を残党狩りに回すだけでも、充分に思うのですが」


「ふむ……。時間制限がある、もしくは距離制限があるのか? 確定情報ではないから安易に結論を出すわけにはいかねぇが、西方方面軍を呼び寄せたのも、王都の押さえに黒の軍を出せなかったと考えれば筋が通る。やつらは何らかの事情により、そのまま黒の軍を置いて、王都に残った民を制圧し続ける事が出来なかった……?」


「まぁ、そういう事を考えるのは明賢の仕事さね。出来れば、もう一つの情報についても、見解をお聞かせ願いたいね」


「もう一つの情報、だと?」


「あぁ。バルジエフの野郎が王都付近で一戦終えたあたりで、近傍の村々に触れが出たそうだ。曰く、我らは王子ユーシュンの率いるフェリカ古王国の正規軍であると。王妃は奢侈を尽くして国庫を傾け、王家の財を食い潰した大罪人であると。よってこれを廃す為に挙兵した。王妃を廃し、王の徳によって国を治めれば、民草の暮らしも潤い、今より税も安くなるであろうと。ゆえに徒に騒ぐ事なきように、だそうだ」


「下郎が!」


「それ聞いた時ゃ、あたしも思わず羽を膨らしちまったよ。だが、どう見る、明賢? やつら、王子の身柄を抑えてるんじゃないのかい」


 王子は生きているのかも知れない。そう思って身を乗り出したリャコに、ブラムドが告げる。


「リャコ。まだ、希望を持つな。後で傷つくかも知れん。支配を確立するまでの一時凌ぎで、若の名前を出しているだけの可能性もある」


「そ、そうですよね……」


「……だが、順当に考えれば、やつらは若の身柄を拘束し、名を利用している公算が高い。悲観しすぎる事もない。もし、やつらが若を利用しているのだとしたら、そこの〝盗人の書〟の化身とやらに、活躍してもらう事もあるかも知れんぞ」


「我の事はヒルイと呼べ。愚図が」


「んだと、てめぇ!」


「ちょ、ヒルイ! おやめなさい。もし、あなたが王子の影武者を務めるのだとしたら、その言葉遣いから直してもらわないとなりません!」


「ちっ。うるさい女だ。……我は王子とやらの替え玉になるつもりはない。お前が望んだから我はいるのだ。リャコよ。我自身を見よ。貴様は我を自由にして良いのだぞ?」


「な、なな、何て事を言うんです! ……も、もし、私があなたを自由に出来るのなら、私が最初に望む事は、その尊大な態度を直してもらう事ですからっ」


「……ふむ。貴様がそういうのなら、留意しよう」


 リャコとヒルイを呆れた目で見つめ、ブラムドが割り込む。


「おい、続けていいか? ……それで、マール。その触れには『王妃を廃す』と書いてあったんだな?」


「ああ、そうらしい」


「妙だな。てっきり、王妃とシュエンが裏で結んでいるのだと思ったが」


「単に裏切りじゃないのかねぇ? 既に王都を占領しちまった以上、協力はいらない。王后派が邪魔にでもなったんだろうさ」


「まだ支配の安定していない、この時期にか?」


 すると、それまで議論を傍観していたパーセルが手を叩いた。


「悩むのは明賢に任せてさ。僕らはそろそろ動いた方がいいんじゃないか。情報を待って後手に回ってちゃ、勝てる戦も勝てなくなる。指示をくれ、明賢。幸い、ここには王国最強と、その弟子、王子にそっくりな〝三十七戯曲〟の化身までいる。手駒は揃っている筈だ。自由に使ってくれ」


「……よし。まだ軍と呼べるほどの手勢じゃねぇが……今よりここを解放軍の本拠地とする! まずはバルジエフに蹴散らされた首都防衛軍の囲い込みだな。ほうぼうに逃げ隠れた軍を集めなきゃならねぇから、人手が必要だ。これは盗賊ギルドが請け負おう。むろんそれだけじゃ、数も物資も足りねぇ。大貴族のどこかと渡りをつける必要がある。シノノグ家がいいだろう。あのお嬢様を説得するにゃ、材料がいる。リャコとヒルイ、俺とシノノグのお嬢様の説得だ。それから、パーセルとマール。……一つ、頼みがある」

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