黒き契りの獣

夜の章

一 港町

「に、賑やかなところですね。ブラムドさん」


 海へ続くなだらかな崖にかけられた木造の桟橋を、半裸の男達が行きかっている。


「オートメルヒは屈強な竜騎士団を擁する近隣最強国の一角。その竜騎士団の巡羅隊が強くて尊敬されているから治安がいい。治安が良くて栄えているから、手工芸品は細工がよくて、高く売れる。食い物も豊富だし、わざわざ海を渡って商売に来るやつらが多い。もっとも、竜騎士と言っても、やつらが実際に乗っているのはワニ型の魔獣だけどな」


「そ、それ、知ってます! 空のグリフォンナイツ、海の竜騎士団でしょう! 確か、巨大戦艦を曳くオメガタートルを瞬く間に食い殺してしまうとか、頭の刀角で船底をズタズタに切り裂くとか!」


「海軍が強すぎるせいで、フェリカといえどおいそれと手出しが出来んのがオートメルヒだ。グリフォンは元々山岳地帯の魔獣だし、海の上を飛びたがらねぇからな。それでも無理して飛ばせる距離まで近づいたとして、船ごとあえなく竜騎士団の餌食だろう。……ここの連中は面白いぞ。ほら、丘の上を見てみろ」


「あれは……綿毛? 綿毛に乗って移動してるんですか?」


「そう、一年中種子を飛ばし続ける巨大タンポポだな。あの綿毛に麻の吊り椅子をかけて隣の島まで飛んで移動する」


「わぁ……素敵。でも、なんでしょう。あんまり幻想的な光景ではないですね……」


「乗っているやつが半裸のむさい男衆だからだな」


「うぅん」


「人が乗っていなくとも、綿毛は飛び続ける。大半は海に落ちるが、根づいちまったら困るってんで、知らないうちに種が飛んできてねぇか、各島には森の中を定期的に見回る専門の者達がいるそうだ」


「ふん、くだらん」


「何ですか、ヒルイ。またそんな口を」


「龍の養分を吸って、変異し、あれ程に育ったのだろう。仮に他の地に根づいたところで、普通の土壌であれば、あれ程には育たん。周囲の草木ぐらいは、養分を吸われて全滅するだろうが」


「龍?」


「気づいてないのか。この丘、お前達の言う世界蛇の背だろうが」


「へぇっ?!」


「こいつの言う通りだ。世界蛇の背が海面から顔を覗かせている場所が、ここいらにはいくつかある。それ以前にもこの辺りの群島には人が住んでいたらしいが、世界蛇の背が飛び石のように大陸とここいらの島々を結んだおかげで、一気に人が流入して文物が混ざった。爾来、オートメルヒの民は自分らの事を龍の民と呼んでいる。知らなかったか?」


「海洋諸国編はまだ読んでなくて……ば、番外編ですし」


 最後に言い訳がましい一言を付け加えるリャコに、ブラムドは呆れた。


「別に嬢ちゃんが〝青嵐記〟を全部読んでいようがいまいが構やしないが……」


「本来なら、たかがタンポポが世界蛇の鱗に根を下ろす事などありえぬだろうに。よほどの偶然か、たまたま弱いところを縫うように根が掘り進んだのであろうな」


「なるほど。さすが、同じ書の化身だけあってよく分かるんですね」


「ふん。この程度、大した事ではない」


「さ、今日はあの綿毛に乗って隣の島まで行くぞ」


「えっ」


 反応する暇もないまま、ブラムドはすたすた先へ進んでいってしまった。ようやく追いついたと思った頃にはすでに丘の上だった。


「ちょ、ちょっとその……こ、怖いですね。ここから見ると」


「後ろがつかえてるんだ、早く飛べ、リャコ」


「そ、そんな事言ったって……み、見渡す限り空と海しかないんですよ?!」


「ふん……。おい、さっさとしろ」


「きゃっ! ちょっと降ろしなさい、ヒルイ!」


 いきなり、酒樽のように小脇に抱えられる。じたばた抗ってみるも、細く見える腕からは考えられないような力でぐいと抑え込まれる。


「ちょ、私はあなたの主なのでしょう? 言う事を聞きなさい!」


「うるさい。貴様が愚図愚図しているから、我が協力してやっているのだろうが。落ちるぞ。大人しくしろっ」


「はいっ。じゃー、飛ばしますぜ、お二人さん。しっかり掴まっていておくんなよ」


 係員はそう合図するや、数名で昇降台に飛び乗った。彼らの体重がかかった昇降台は勢いよく滑車の鎖を引き、下に待機していた係員を上へと運び上げる。と同時、滑車は備えつけられた巨大な団扇の羽を動かし、局所的な突風を生じさせた。リャコは全身に風を感じ、空へと放り出された。


「きゃ、きゃああああっ」


「あっはっは! なかなか絶景じゃないか。見ろ、リャコよ」


「み、見ている余裕なんて……」


「我がちゃんと抱えてやっているだろうが。それでも不安か」


「ぜ、絶対に離さないでくださいね。絶対ですよ!?」


「ふん。うるさい女だ」


「わわっ、わっ」


「こっ、こら。脇をくすぐるな」


「も、もっと強く! しっかり掴んでいてくださいっ」


「ふん……」


 しばらく飛んでいると、リャコもだいぶ落ち着いて周囲を見渡せるようになった。


「わぁ……。す、すごい。すごいです! ほら、ちゃんと世界蛇が体をくねらせている様子が見て取れますよ。きっと、あの水平線の先に、尾が……」


「はっ。何がすごいものか。あんなもの、ただデカいだけよ。それにやつは遥か昔に死んでおるではないか」


 ヒルイの語気がやけに荒い。リャコはふと思い立って聞いてみた。


「……もしかして、龍の書の化身に、嫉妬してるんですか?」


「嫉妬だと!? ば、馬鹿も休み休み言え! なぜ我があのような、デカいだけの能無しに嫉妬しなければならないのだ。そもそも貴様が望みさえすれば、我だってあのぐらい大きくなれるのだぞ」


「本当ですかぁー?」


「ぐ……さすがにあそこまでは無理かも知れんが」


「まったく……」


「ど、どうした? 急に黙りよって」


「いえ。……そういえば、王子が今みたいに焦る姿、見た事なかったなと思って」


 ヒルイの顔を間近で見れば見るほど、王子を思い出してしまう。髪や眉の色は変えているといえど、本当に、驚くほどに二人は似ている。


「王子がご無事かどうかだけでも、知る事は出来ないの? 仮にも盗人の書の化身だというのに」


「……ふん。王子王子とうるさい女だ。我にそのような力などない。我の今のありようは貴様が決めたのだ。貴様が求めた通りの姿と力で、我はここにいる」


「そう……ですよね」


「ほら、足元を見ていろ。そろそろ着地するぞ」


 もう一度、強く抱きすくめられる。わずかな点でしかなかった着地場が、次第に大きな広場だと見て取れるようになる。ぐんぐん近づくと、着地場にいた係員がロープを投げた。ヒルイは手が塞がっていたので、リャコがそれを掴んだ。ロープを引かれ、高度が下がる。ある程度下がったところで、ヒルイがリャコを抱えたまま、ひょいと跳び下りた。


「ふん。確かに、船よりは楽だな。貴様もぐったりせずに済むし」


「……初めてだったのだから、船酔いは仕方がないでしょう。それより早く下ろしてください。早く避けないと、ブラムドさんが来ますよ」


 そうこう言う間に、ブラムドもまた係員にロープを投げられ、着地した。


「なかなか快適だったな」


「ブラムドさん。それでこれからどこへ……」


 尋ねた矢先、聞き知った声がした。


「ユーシュン? い、生きていたのね……!」


 広い発着場の片隅に立っていたのは、リャコにもよく見覚えのある美貌の持ち主、シノノグ家の令嬢フェリシアその人だった。

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