六 讃美歌

「くそっ、くそっ! なんだって、あんなところにミグリスの吸血鬼が出やがるんだ! 爪が燃えていたからフェリカの市民か? つう事はあの集落に、知り合いでもいたか」


 焚き火の傍にうずくまり、ぶつぶつと文句を続ける小男。目深にかぶっていたフードの下からは灰鼠色の髪が現れた。乱雑に切ってある為か、ところどころ地肌が透けて見えている。


「おいっ、どうなんだ、そこのやつ!? 吸血鬼は誰かの知り合いか!?」


 すると、暗がりから一人進み出て、男の前に立った。


「あう……し、知らない……誰も……きゅ、吸血鬼、知り合い、いない」


「なんだと? じゃあ、単なる不幸な遭遇戦ってわけか? くそっ、くそっ! この山を越えれば、隠れ里に辿り着くというのに。このぼんくらどもを攫うだけの簡単な任務、もし失敗でもしたら、我が主に何と申し開きをすればよいのだ。我が主に、見限られでもしたら、俺は……」


 男は今にも指から血が出そうなほど爪をがりがり噛んだ。


「ああ、いらいらする、いらいらする。てめえら、早く俺様を称えるんだ。今日から来た奴らは、前からいた奴らの真似をすればいい。さぁ!」


 と、男に操られた村人達がわらわらと焚き火を囲み、一斉に男を囃し立てる。


「おお~、ラガクシャ様~。すばらしき先導者~。二十もの数を一度に支配する、冴え渡る琴の音~」


「ちっ。そうだった、琴も修理をせねば」


「主の覚えめでたきラガクシャ様~。今まで百の民を攫いたもう~。貴方様に攫われた民は皆幸せ~。なぜなら、貴方様の琴が耳に残っているから~」


「美貌の弾き手、ラガクシャ様~。村に残した幼馴染みも実は貴方様にメロメロ~」


 村人達の賞賛に、ラガクシャと呼ばれた男は鼻を膨らます。


「……よし。だいぶいい気分になって来たぞ。そうだ、吸血鬼ごときがなんだ。ちゃんと逃げ切れたじゃねえか。そもそも俺様は荒事には向かん。俺様の指は、繊細な琴の音を爪弾く為にあるのだ。〝蛇鱗門〟まであと少し。簡単な任務だ。だが、重大な任務だ。この任務を終えれば、やもすれば主のお傍近くに取り立ててもらえるやも知れん。……おい、お前ら。続けろ」


「偉大なるラガクシャ様~。宮廷楽師にも推薦された事がある~」


「〝書〟に選ばれるという強運のラガクシャ様~。その他有象無象とは一線を画す~」


「ま、まさに運命に導かれしお方~。此度の任務もきっと楽勝~。こ、此度の任務が何かは分からないけど~。そ、そう、ら、ラガクシャ様~」


「ふむ、てめえ、ちょっと術のかかりが浅いか?」


 ラガクシャに詰め寄られ、身を固くした。あの時、ブラムドの発案で、リャコは操られた村人のふりをし、〝書〟の使い手に同行していたのだ。


 村人達がどこへ連れ去られるのか、組織だっての犯行だとするならばそのアジトはどこか、潜入して捜査する手筈である。今も、ブラムドが少し離れた辺りを気配を隠してついてきているはずだ。


 いきなり村人達が男を賞賛し始めたのには驚いたが、何とかうまく溶け込めたと思っていたのだが……。何か言ってはならぬ事でも言ったのだろうか。不安に慄いていると、ラガクシャはリャコの傍まで歩いてきた。そして、リャコの脇に手を伸ばし……、その陰にいた幼児の頭を撫ぜる。


「りゃ、りゃぎゃくしゃしゃま~。とちぇも、かっこい~」


「ふむ。単にまだ言葉が覚束ねえだけか。いいか、小僧。俺様の事は美貌の楽師ラガクシャ様と呼ぶんだ。言ってみろ」


「ぶぃ、びぃぼーのがくし、ら、ら……やらぁ。もうや。やなの」


 ちなみに、ラガクシャの相貌は目の下の深い隈とがさがさに荒れた肌のせいで、お世辞にも美貌とは言い難い。


「ふむ。やはりかかりが浅えようだ。予備の弦が足りねえが、何とか弦を張って、弾けるようにしねえと。残った弦一本じゃ、曲一つ弾けやしねえ。……あぁ、今からやっていたら夜が明けちまうな。夜のうちに、法力を満たしておくのが先か」


 ラガクシャはその場に跪き、懐から一冊の本を取り出した。本をめくり、天に見せるように掲げる。


「おお、ご偉大なりし常闇の大君、今宵も我が伽の物語、お聞き届けたもう。我に〝琴蜘蛛の書〟の主人公たるべき力、お与えたもう。オンマニペメフム……」


 まさしく〝物語〟なのだろう。ラガクシャによる秘蹟語の読み上げは、時に激しく、時に切々と、聞く者の情を揺さぶるような抑揚に富んでいた。


「っ!」


 ――そして、異変が起こった。夜の闇が垂れて、ラガクシャの頭頂に吸い込まれていくように、リャコの目には見えた。だが、異変はそれだけに留まらなかった。月が指一つ分動くほどの間、ラガクシャは秘蹟語の祝詞を唱え続けた。と、ラガクシャの目から耳から、血が噴き出し始めたのだ。


「ぐぷっ。……お、おお。おやめくださりますな、常闇の大君。まだまだ宵の口にござりまする。これからが、面白いところでござりまするぞ……」


 ラガクシャは口から血を吐いてなお、祝詞を唱え続ける。


「くそ……俺様の限界はこんな程度なのか? たかだか二十人程度を従えただけでこのざまか? いいや、ぐぷっ、まだいける。まだ……」


 息も絶え絶えに、祝詞を続けるラガクシャ。このままでは、命を落とすかも知れない。そう思ったら、リャコは知らず飛び出していた。


「おっ、おやめなさい!」


「ギギ? な、なんだ? てめえ」


「もう〝書〟を使うのはおやめなさい。死んでしまいます」


「そ、そうか。フェリカ国軍の者が、紛れ込んでやがったな!」


「い、いえ、私は……」


「お前ら、俺を守れ!」


 ラガクシャは弦一本しか残っていない琴で短いフレーズを奏でた。


「弦一本でも何とかなるもんだな。さすがは俺様!」


 見れば、弦の上で指を滑らせ、長さを変える事で音を変えているようだ。


「むっ、村人を盾に。卑怯ですよ!?」


「操られたふりは卑怯じゃないってのか!?」


「せ、せめて子供を戦わせるのをやめなさいっ! 無理に動かすから、あちこち怪我をしているじゃないですか!」


「うるせぇ! あの吸血鬼に琴を壊されたせいで、そんな細かい指示は出せねぇんだよ。恨むなら、お仲間の吸血鬼を恨みな!」


「わ、私が不用意に飛び出したせいで……くっ、どいてください、皆さん!」 


「軍に捕まれば〝書〟の使い手は死刑だろうが! 捕まってなるものかよ」


「わ、私は軍の者じゃありません! ……この国の王子ユーシュン様に、私的に仕える者です。ユーシュン様の元には、貴方の他にも〝書〟の存在を知っている者がいます。仲間に取り立てていただくのは無理かもしれませんが、隠れ里に軟禁程度に減刑してもらえる可能性はあります!」


 むろん、可能性は薄い。だがそもそも、リャコ本人が父の助命を請う立場だ。他の誰かが、ただ〝書〟の存在を知っているというだけの理由で死刑になるのは、リャコの心情的にはいささか同意できかねた。


「せ、せめて子供だけでも、どうにか無力化しなくては。……か、数が、数が多い!」


 と、その時。


「待たせたな、リャコ! 助けに来たぜ」


「本来はアジトまでついていく作戦だったはずですが……、何かトラブルでもございましたか?」


 駆けつけたのはフェリカの暗部を取り仕切る男と、慇懃なる吸血鬼。二人は用意よく手にしたロープで瞬く間に数名を組み伏せ、無力化していく。


「リンディンゲンさん! 子供、子供を先に!」


「承知しました。一人ぐらいなら、支配を奪い返してしまった方が早いですね……」


 焚き火の反射か、リンディンゲンの瞳が赤く光ったかに見えたと同時、猛獣のような唸りを上げていた幼児がことんと眠りに落ちた。


「おいおい。こいつらロープを噛み千切ろうとしてやがる。早いとこ、〝書〟の使い手を抑えねぇと」


「さて。どこに隠れましたか……おや?」


 焚き火から少し離れた先に、ラガクシャは膝立ちになって天を仰いでいた。


「おお、主! 我が主よ! ありがとうございます! ! 今、分かりました! ……私はここで、!」


 ラガクシャの持つ短刀が暗闇の中できらりと光る。自害する気だ。


「ちょ、あなた、さ、さっきの話を聞いていましたか!?」


「真文の神よ! 今あなたの御許へ向かいますぞ!」


「くっ、遠い! ……間に合わない!」


 リャコのいる所からでは十歩ほどの距離。走って間に合う距離ではない。ラガクシャの持つ短刀は、今にも彼の喉元に突き刺さらんとしていた。


 リャコは左手に持った圏を放り投げ、右手に持った圏でそれを弾いた。振りかぶって、投げる、では遅い。二動作分の動きが必要になる。手放した圏を、弾く。この時間差を限りなく無に近づければ、ほぼ一動作に近い速さが実現できる。


「んぎゃっ!」


「おかしな特技持ってんな、リャコ。お手柄だ」


 リャコの弾いた圏は正確にラガクシャの短刀を弾いた。ラガクシャは直後駆けつけたブラムド達によって抑え込まれ、捕縛された。

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