二 巨猪

「みなさん、大丈夫ですから。もうすぐですからね……!」


 焼け出され、黒い兵団に追い立てられて、リャコ達はソルグレイグを発った。


 あの混乱の中、リャコが助け出せたのが二十数人。門を出ると、リャコ達の姿を認めた民が次第に集まってきて、今では三百人余りの大所帯になっている。


 背後からいらかの焼け落ちる音が聞こえるたび、ぐっと歯を食いしばり、前だけを見て歩いてきた。


 ポントルモの撃退装置のおかげもあり、小粒の魔物なら何とか倒して進んでこれたが、澄明宮はまだ山二つ先である。特に昨日からほぼ丸一日山道を歩いている為、誰もが疲労困憊の様子だ。


「リャコさん、またロックアントですぜ。付近からどうもわしら目掛けて集まって来ているみたいで」


「ロックアント程度ならいいんですが。こう何度も来られると、さすがに……」


 マルドロ村の任務の時にも相手をしたロックアントだ。これまで、少なくとも七回以上は小さな群れが隊列を襲っている。七回より先は、数えるのをやめてしまった。その度にすべて撃退してはいるが、偵察に来た一匹でも帰してしまうと、巨大な群れを引き連れて襲ってくる。そうなれば、誰一人として生きていられる者はおるまい。


「せめて、お師様とまでは言わなくても、マールさんやアレイザさんがいてくれたらいいのに」


 本当は、一番傍にいて欲しい人は他にいる。しかし、その先を口にするのが怖い。最後に見た、あの赤。どう見ても、命を失うには充分な量の出血だった。


「リャコぉ。大丈夫かぁ? ういがもっと戦えれば良かったんだけどぉ……」


「大丈夫ですよ。ポンちゃんの、ぱんちんぐましーん? で、触角を捩じ切った後のトドメをお願い出来るだけでも、だいぶ助かってます。私の力じゃ、殻を割ったり、胴を捩じ切ったりは出来ないですから」


「うー。今度はロックアントの触角を狙える装置を開発するぞっ! 絶対だぞっ」


「頑張ってください、ポンちゃん。さ、ちゃちゃっと退治しちゃいましょう」


「おうだぞっ! やってやるぞっ」


 ポントルモが鬨の声を上げた、その時だ。


「おおい! 後ろのやつら! 避けろ! ぐ、ファングボアだっ!」


 土煙を上げて、巨大な影が迫る。


「い、いけないっ」


「ひわゎっ、で、デカいぞっ! どっ、どうする? リャコ!?」


「どうするも何も、撃退するしか……! あんなのにつけ狙われたら、私達は全滅です」


「お、おい! おめえら! 怪我人や老人を前に出せ! そいつらが食われている間にとんずらするぞっ」


「だ、だめっ! せっかくあの襲撃を生き延びたって言うのに!」


 ファングボアはリャコ達の隊列を二つに切り裂き、後方で反転した。


「大丈夫です! ファングボアは雑食ですが、特別な例外でもない限り、他の動物を襲って肉を食べるような事はしません! ――食べる為に出てきたのじゃないという事は、恐らく、縄張りに三百人余りの人間が侵入して興奮しているんです! 怪我人や老人を差し出しても、意味がない」


「だ、だがよぉ、隊長さん。じゃあ、どうすりゃいいんだ?! あの牙に引っ掛けられでもしたら、それだけであの世行きだぜ?!」


「私とポンちゃんで足止めします! 皆さんはこの道を先へ!」


「リャコ!」


「どうしたの、ポンちゃん」


「目的地はもうすぐなんだよな? しばらく、ういがいなくても平気かー?」


「ど、どういう事です?」


「うい、半日ちょっと、駄目になるかもだぞっ」


「ちょっと待って! 何をしようとしているんです!?」


 問い返すリャコに構わず、ポントルモは懐から一枚の葉っぱを取り出し、額に乗せた。


「変身っ!」


 叫ぶと同時、ポントルモが背負っていた行李から金属とも陶器ともつかぬパーツが飛び出し、彼の体を覆っていく。ついでに、始めに額に乗せた葉っぱはおうぎが開くようにして広がり、ポントルモの目元を覆い隠すマスクになった。


「新型からくり刑部・チャガマン! 参上っ!」


「え、え~と?」


「リャコ! じゃなかった、おじょーさん! ここはチャガマンに任せるんだぞっ!」


「ポンちゃん? 一人でファングボアの相手なんて」


「ぽぽぽポンちゃんじゃないぞっ! からくり刑部チャガマンだぞっ」


「えと、じゃあ、チャガマンさん。一人でファングボアの相手をするのは、さすがに」


「だいじょうぶっ! ちょっと後ろで見てるんだぞっ!」


 するとポントルモ改めチャガマンは、普段からは想像もつかぬような高さを跳躍し、ファングボアの背に飛び乗った。


 以前のからくり刑部からすると、だいぶ小型化され、シャープな印象だ。一見頼りなさげにも見えるが、今見せた跳躍力には、目を見張るものがあった。以前の躯体では、おそらくあれほどの跳躍は出来まい。


「チャガマンパ~ンチ!」


 ぼがっ。鈍い音がした。巨大な猪は一瞬意識を失ったのか、ふらつき、膝をつく。けれどすぐさま立ち上がり、狂ったように突進を始めた。


「ぎゃわわっ! おおお落ちるぅ!」


「ポンちゃん! 危ない! 木が!」


「うわーっ!」


 リャコが二人いないと両手を回せなさそうなほど太い木が、ファングボアの突進でへし折れた。間一髪、ポントルモはファングボアの背を飛び下り、難を逃れている。


「怒らせちゃいましたね」


「ううっ。でも、今の下敷きになって、ロックアントは全滅したっぽいぞっ」


「それは重畳。次、来ますっ」


「おうっ! 返り討ちにしてやるぞっ!」


 二人はさらなる突進に備え、構え直した。


「あっ」


「どうしたの? ポン……じゃなかった、チャガマンさん」


「ダメだ……時間切れだぞ」


「はい?」


「わふぅ……うい、……う、動けないぞっ」


「へぇっ!?」


 ファングボアはますます猛り狂い、リャコ達に対して突進を始めた。


「リャコぉ~。ういの事はいいから、リャコだけでも逃げるんだぞっ」


「そ、そんなわけにはいきません! う、後ろにはまだ、逃げ遅れた人達がいるって言うのに!」


「だけどぉ」


「……さっきのチャガマンさんみたいにあいつに飛び乗り、牙に取りついて、何とか突進の方向を変えられないか、やってみます」


「危ないぞっ、リャコっ!」


「ここから山を二つ越えたところに、小さな村があります。そこにいるガロンドさんという方に事情を話せば、澄明宮まで連れて行ってくれるはずです。私が戻らなかったら、先に進んでくださいっ!」


 叫び、リャコは地を蹴って高く高く跳躍した。

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