四 塩と支配
〝書〟があるらしいという村へと向かう、途上の事である。
「あの、リンディンゲンさんはシノノグ様の執事なのでしょうか?」
「わたくしが? いえいえ、滅相もない。執事、というのは使用人すべてを取り仕切る重役でございますから。わたくしなんぞは、単なる付き人でございますよ」
「えっ、そうなんですか。私、あなたみたいな方はみんな執事だと思ってました」
「知らないのも無理はありません。多くの皆さんには縁遠い話でございますからね」
本を楽しみとして読むだけでは、上辺の知識だけは増えていくものの、こういった勘違いに気づく機会が少ない。話のまくらのつもりだったが、リャコは恥じ入った。
「それでそのう……つかぬ事をお伺いしますが、なぜ、かつらをご着用なので?」
どうしても、誘惑に勝つ事が出来なかった。出立前、かつらを付け直しているところを覗き見てしまったのだが、禿げているというわけではなかった。それなのに、被っている理由がリャコには分からない。すると、リンディンゲンがポンと手を打つ。
「ああ。自己紹介をしておかなくてはなりませんね。わたくし、吸血鬼、という種族でございまして」
「きゅ、吸血鬼!?」
「おや、ご存知ですか。王都でも知らない方は多うございますが。読書がご趣味というのは、どうやら本当の事のようでございますね」
「で、でも、吸血鬼と言ったら、陽の光の下では……」
「それがこの、かつらの秘密でございます」
「かつらと、何か関係が?」
「はい。少々馬を離してくださいまし。危のうございますよ」
そう言うなり、リンディンゲンはおもむろにかつらを取った。とたん、ボッという音がしてリンディンゲンの髪が燃え上がる。
「わたくし、吸血鬼の中でははみ出し者でございまして。陽の光で灰になってしまう事はありません。ですが、これこのように、髪や爪だけは燃えてしまうのですよ。燃えたそばから回復していきますので、いつまでも燃え続けてしまいます。危険ですから髪にはかつらを被り、爪にはマニキュアを塗っております」
確かに、出立前、かつらを取ったところを見たのは屋内だった。
「はみ出し者……ですか」
「何、簡単な呪術です。リャコさんもご存知でしょうが、吸血鬼は血を吸う事で相手をしもべとし、思うままに操る力を持っております。わたくしがお仕えするシノノグ家には〝真祖の牙〟という宝重が伝わっておりまして。お嬢様はその牙をはめて、わたくしの血を吸ったのでございます。それゆえ、わたくしの主は人間であるお嬢様。主が人間ですので、わたくしは陽の光を受けても灰にならず、少々血をいただければ多少の怪力を持ち、幻術なども操ります。この呪術を受けねば、吸血鬼はフェリカでは市民権を得られませんので」
「そ、そんな方法が」
「吸血鬼はミグリス連邦に多うございますが、ご老人方はそういった術を邪術と言って忌み嫌いますね。それゆえ、わたくしははみ出し者なのでございます。なにせ、吸血鬼は陽の光さえあびなければ無限に近い生を生きられますが、わたくしはお嬢様が死ぬと同時に灰となって消えてしまいますので」
「えっ、じゃあ、先程王子が言っていた、ミグリスのご長老というのは」
「ええ。十三人委員会の吸血鬼です。常時三、四人を入れ替わりで、議会に潜り込ませておりまして。寿命の事で怪しまれ始めたら交代、というわけでございますね」
「そ、そんなの、講談でも聞いた事ありません……」
「事実は往々にして、虚構を上回るものです」
「王子と出会ってから、驚く事ばかりです」
「世界は広い、という事でございますね。それでも、中には興味深い虚構をありありと描き出す御仁もおります。グロズヌイなんぞはその筆頭でしょうか。王子が符牒にグロズヌイを選んだのも、なかなかどうして、趣味がいい」
今、麗らかな陽の下を馬に乗って移動しているのはリャコとリンディンゲン、それから少し離れた後ろをついて来ているブラムド。そのブラムドが不機嫌そうに口を開いた。
「それで。自己紹介が終わったところで聞いておきたいんだが」
「昨日の説明で、何か不足がございましたか?」
「あぁ、不足だな。お前、若に隠していた事があっただろう」
「おや、お気づきでしたか。さすがはブラムド様」
「世辞はいい。それより聞かせろ。最近、王都でも人が突然〝消える〟事件が起きているのは、お前達も掴んでいるんだろう?」
「えっ」
絶句するリャコを横目に、ブラムドは続ける。
「大体、消えるのは貧民街をウロつくケチなコソ泥みてぇなやつばかりだ。しかも、やつら、数日もすれば戻ってきやがる。だから、事件が明るみに出ねぇ。だが、ケチなコソ泥といえど、その界隈には元締めがいて、それとなく動向を見張っているもんだ。数人が消えたぐらいじゃ気にもとめねぇだろうが、頻繁に消えるとなると、腕っぷしだけでそこらを仕切っているようなならず者とてさすがに気づく。もし秘密裏に事を運びてぇんなら、俺らの同業者なら、そんな雑な仕事はしねぇ。……国内の事情に明るくない他国の者の仕業か、貧民の区別なんぞつかぬ貴族の仕業か、だ」
「さすが、フェリカの暗部を取り仕切る方なだけはありますね」
「そして、このそろそろ冬も来ようかって時期になっての、急な演習の決定。中央のどこかに、若と軍を王都から遠ざけてえって手合いがいる。若のいない間に、何かしでかすつもりなのか。それとも別に、何か目的でもあるのか。……たとえ一時的といえど軍を動かせる力を持つ貴族となると、候補は絞られてくる。最有力候補が、若のご生母ミルカ様の生家、トルティンボル家だ」
「ええ、ですがその程度の事は王子もすでにお気づきでしょう。ですからあえて、説明しなかったまで。隠していたわけではありません」
「言いにくい気持もは分かるがな。若が王都を離れるまで、情報を隠していた理由もそれだな? 王都で起きている事件と、王国の西の端のこの辺境で起きている事件、おそらく同じ黒幕が絡んでいると、お前達は見てる。だからわざわざ、行商人に紛れ込んでまでここに来たんだろう?」
「おや、そこまで見抜かれていましたか」
「酢になると分かっていて、わざわざ東岸から酒なんぞ運んでくるかよ。本当に慰問のつもりなら、現地の酒蔵に用意させる。王都じゃどこに
「これは参りましたね。おおむね、その通りですよ」
「
「わたくし、先程も申しました通り、幻術にも少々心得がございます。その辺りは抜かりなく。わざわざ東の端から各地を見聞して回る羽目になりましたが、おかげで面白い事も分かったのですよ。わたくし共の領地、東岸の塩田で作る塩が、内陸のかなり奥まで届いているのです」
「塩――塩湖か」
「塩湖の塩は王家の利権。どなたかが、利権を切り売りしているのでございましょう」
フェリカ王家の支配の歴史はそのまま塩湖の支配の歴史と言っても良いほど、二つは切り離せぬ関係にある。
人々の生活に欠かせぬ塩だが、塩湖の発見はフェリカ王家の支配基盤を確固たるものとした。古来、塩と言えば海水を塩田で干上がらせたもののみ。質が悪ければ砂が混じるのが一般的であった。だが、塩湖ではただ掘るだけで最上質の塩が手に入った。当然、誰もが塩湖を手にしたがったが、王家はこれを禁じ、一手に独占した。
むろん、それを良しとする者たちばかりではない。以来、王家の力が弱まれば、塩湖を管理する地方軍から腐敗する、という構造が出来上がっている。二十年ほど前までは、先王からの代替わりの隙を突いて勃興した闇商いの結社が、塩湖のある王国の西側を中心に数多く残っていたという。
「あの、お二人の話を聞いていたら、王子のお母様が、王子に害をなそうとされているように聞こえたのですが……」
「あぁ、嬢ちゃんは何も間違っちゃいねぇ。そう言ってる」
「さて、そろそろ村が見えてきましたよ。――いなくなり、そして戻って来た者たちがどうなったのか、この目で確認できるチャンスでございますよ」
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