三 闇語り

 マチカネリュウ。オートメルヒの竜騎士団が騎乗する魔獣である。体長に比して体高が低く、平べったい印象だが、それでも備えつけられた台座の上に座る女騎士は、普通の馬に跨っているのと同じほどの高さにいる。細く長い口吻を持ち、額からはリャコを五~六人は優に串刺しに出来そうな、鋭利な角が生えている。


「あっ、あれが竜騎士団の竜ですか!? おっ、恐ろしい見た目をしていますね」


「まずいな。陸の上じゃ海ほど早くはないだろうが、それにしたってあの大きさだ。逃げ切るのはちと骨だぞ」


「ブラムドさんでもですか?」


「まぁ、まっすぐ逃げるとなればな。単純な足の速さでは、もしかしたら敵わんかもしれん。それが三頭ともなると」


「いえ、七頭ですね。こちらの窓から、タンポポの発着場と港が見えます。それぞれ二頭ずつ、網を張っているようです。……この島で飼われている竜が九頭ですから、ほぼ全てが我々の確保に出向いている計算になりますね」


「それから、兵も相当数いるな。この家を囲んでいるだけでも、百近くいるようだ。おい、竜を一頭ぐらい支配できないのか、リンディンゲン? お前のお得意の幻術とやらでよ」


「残念ながら、竜の目は横についているでしょう。視線が合いませんね。それに、私が吸血鬼である事は彼らも知っている。幻術に対する備えはしているでしょう」


「ちっ。そううまくはいかねぇか」


 リャコは肩を落とした。


「うぅ……ジャマルさん達を連れてくれば良かったですね」


「今言ったって仕方がない。しかし、やつらの狙いはどうやらヒルイのようだぞ。なぜ、ヒルイに気づいた?」


「さっき発着場で、私が不用意にユーシュンの名を口走ったからだろうな。こいつが王子とは別人である事には、まだ気づいていないだろう。単にシュエンがオートメルヒに矛先を向けた際の交渉材料として、王子と見られる男を、手元に置いておきたいだけじゃないか」


「正体がバレていないだろうってのは不幸中の幸いだが。それにしたってマズい。今、捕まっているわけにはいかんぞ」


「その通りですね。わたくし達もせっかく、殿下に頼んで平穏な暮らしを手に入れたというのに。こんなところにまで、邪魔者が現れるとは」


「……ふむ。その様子じゃ、お前、まだ気づいていないな」


「はて、何の事でございましょう、ブラムドさん?」


「こちらのもう一つの交渉材料についてさ。わざわざ直接ヒルイを見せに来たのは、シノノグ家を説得出来るだけの手札が、こちらにあるって事を示す為だ。だが、お前達自身にも利がなけりゃ、そもそも説得に動いてはもらえないだろう?」


「つまり、我らの益になる情報をお持ちという事で?」


「何が言いたい。まどろっこしい言い方をするな」


「急くなよ、フェリシア。教えるのはいいが、実家の説得、考えてみると約束してくれ。お前達が家を出た理由を、俺は知っているんだ。若と取引してまで今の自由を手に入れたお前達に、解放軍に協力する義理などない事は重々承知。それでもあえて、頼む」


「……お前の交渉材料とやらの内容によるな。言ってみろ」


「今も、お前達は監視下に置かれている。オートメルヒの竜騎士団だけじゃない。実家の人間からな」


 ブラムドの言葉に、普段は慇懃な物腰を崩さないリンディンゲンが、一瞬だけ険しい表情をした。


「どういう事でしょう。まさか、殿下が約定を違えたと?」


「お前達が〝書〟の情報の見返りに若に願ったのは、二人だけの穏やかな生活、ってところか? 若はもちろん約束を守ったろう。だが、お前達を二人きりにしておくのは都合の悪い連中が他にもいる。実家は何も、一つとは限らないだろう?」


 リンディンゲンは大きな溜め息をつく。


「ミグリスのご長老方ですね」


「さすがの吸血鬼といえど、人化の呪いを自らに課している身では、感覚も鈍っているんだろう。今も、つかず離れずの距離でお前達を監視しているぞ。気づいてなかったか?」


「もしかして、以前、魂砕けの村の調査に三人で向かった際も?」


「いたな。お前の傍に一人、フェリシアの傍に一人だ。あちらさんは気づかれてないと思っていたようだが、これでも盗賊ギルドなんて組織の頭をやっているもんでね。なかなか上手に気配を消して隠れていたようだが、俺の周りにゃもっとうまく、気配を消せるやつがいる」


「呆れた。いい加減、わたくしの事は諦めたものと思っておりましたのに」


「そういうわけにもいくまい。いくら掟破りのはみ出し者といえど、お前は真祖ベルリンゲンに手ずから吸血鬼に変えられた、数少ない遺児だ。お前をそのまま灰にしてしまっては、長老方の沽券に関わる」


「沽券ごと、灰になってしまえば良いのです」


「あちらは時間だけは無限にあるからな。フェリシアが短い生涯を終えるくらいまでの間なら、お前達を二人にしておいてやろうという計らいだろう。あまり反対して、お前の機嫌を損ねたくなかったんじゃないか。やつらにとって、真祖ベルリンゲンは神にも等しい存在だから」


「そうでしょうね。万が一、お嬢様に何かされれば、わたくしとて黙ってはいません」


「で、だ。時にリンディンゲン。お前、闇語りという技を知っているか」


「はて? いえ、存じませんが」


「夜盗に伝わる特殊な声音、発声法でな。リャコ、あっちの窓から、竜騎士団の様子を見て来てくれないか」


「はい? 分かりました」


 リャコはブラムドに言われるまま、窓のところに立った。


「リャコ、戻って来い」


「?」


「どうした、リャコ。早くこっちへ来い」


 だが、リャコにはブラムドが何と言っているのか分からない。


「あの、えと、なんですか?」


「聞こえていないのか? 早く戻って来いと言っている」


「あの、声はしているように思うんですけど、すごく小さい……というか聞き取りにくくて」


「分かったか? フェリシア。リンディンゲン。夜盗はこの声音を使って、闇の中、ターゲットに気づかれる事なく連携を取り合う。たったこのぐらいの距離だが、もうリャコには俺の声は聞こえていない。むろん、お前達を監視している、ミグリスの隠密にもだ」


「……なるほどな。大した〝交渉材料〟だ。おかげで、実家に戻るはめになってしまった」


「申し訳ございません、お嬢様」


「あっ、あの、もう交渉は終わったんですか?」


 フェリシアは苦い顔をしているが、リャコには理由が分からない。ブラムドが笑顔で答えた。


「あぁ、終わった。実家の説得を快諾してくれたよ」


「何を言ったんです?」


「大した事じゃない。リャコ、人化の呪いを解く方法を知っているか? 簡単だ。同族の血を飲ませるだけでいい。それだけで、人化していた吸血鬼は本来の吸血鬼に戻る。……こいつらが家を出たのは、共に死ぬ為だ。それを邪魔する輩を出し抜く方法を、教えてやったのさ」


 と、ここで、ようやくリャコにもピンときた。


「も、もしかして、フェリシア様とリンディンゲンさんは……その……」


 フェリシアが少々顔を赤らめそっぽを向く。リンディンゲンが一つ咳払いをしてブラムドに抗議した。


「確かに、無限の生を捨てはしましたが。わたくしはお嬢様と共に死にたかったのではありません。共に生きたかったのです。共に生きた結果として、共に死ぬ事になるのであれば、それは本望だと、そう考えているだけなのですが」


「……ふん。私だって、死んだ後までこいつを縛りつけようだなんて、思っちゃいない。私が死んだら、私の事など忘れて、新しい幸せを見つけろと言ったんだ。だがこいつが、無限に近い生を一人で生きるのは苦痛だというから、一緒に消える事を許してやったまで」


「あの、えと、それって、つまりその」


「何をうろたえておるのだ、リャコよ。お前にも、我がいるであろうが」


「ちょ、あなたは黙っていてくださいっ」


 その時――、しびれを切らしたように、再度、家の外のマチカネリュウ達が大地を揺らすような咆哮を放った。


「さぁ。何にせよ、今はこの場を切り抜けなきゃな。……おい、リンディンゲン。分かっているな?」


「ええ、もちろん。ミグリスの隠密はお嬢様を直接害そうとはしないでしょう。しかし、竜騎士団に捕まったなら、話が別です。竜騎士団の仕業に、など、彼らにとっては陽の下を歩いていた頃でも出来た事」


「俺の第一優先は、ヒルイ、それからリャコの安全だ。ヒルイさえいれば、シノノグ家がダメでも、他の貴族との交渉の余地があるからな。そっちに気を回している余裕はないぞ」


「みなまで言うな。自分達の事はこちらで何とかする」


「よし。じゃあ、討って出るぞ」


「……いや、待て。一つだけ。これはまだ未確認の情報なので、期待はしないでほしいんだが」


 それからフェリシアが話した内容は、驚くべきものだった。だが、いくらもせず竜騎士団が家に入って来ようとした為、リャコ達は四分五裂に逃げ出した――。

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