四 白き王子

「い、今何とおっしゃいました?」


「おや、滝の音で聞こえなかったかい? 歓待しよう、と言ったんだ。リャコ・ルーレイロ」


「ち、違います! 父が、父がなんと!?」


 聞き間違いではないのだとしたら、王子は今、父が死罪になると言ったのだ。話が違う。それでは何の為に、自分は望まぬ結婚を強いられて、こんな山奥まで来させられたというのだ。


「おや、聞いていなかったかな? 君の父、ゼルマリル・ルーレイロは死罪。本来なら凌遅三日のところだったが、娘であるリャコ・ルーレイロが王子たるこの僕、ユーシュンの妾である事から恩赦があり、罪一等を減じて斬首と相成る」


 時系列が前後している。いや、今はそのような事などどうでもいい。もちろん、斬首なら一瞬で事が済むから、じわじわと何日もかけて嬲り殺しにされる凌遅刑よりはよっぽど有情だろうが、凌遅でも斬首でも、死ぬ事に変わりはないではないか。リャコは震える唇を一度きっと引き結び、王子の目を正面から見返した。


「んっ……」


 驚くほど、透明な目をしている。いつだったか、リャコの故郷に立ち寄った旅芸人の少女が話してくれた事がある。彼女の故郷では若葉より淡く、透き通るような鮮緑の海原が広がっているのだと。リャコは王子の目に海を見た。息が苦しい。まるで想像の海に溺れたようだ。太陽が彼の背にあって良かった。陽の中で彼を見たら、リャコはきっと倒れてしまう。


「ち、父上は上役様の不正の片棒を担がされただけなのです。それでも、死罪だとおっしゃられるのですか!?」


 思わず見惚れ、続く言葉を失いかけたが、どうにか口を開く。王子は片眉を吊り上げた。


「上役? あぁ、バデックの事か。彼も無論、死罪と相成る。だが、おかしいな。僕の調べでは上役よりむしろ、君の父上の方が罪は重い」


「父が一体何をしたというのですかっ! もしかして書にまつわる事と……」


 と、言いさした口元をくいと持ち上げ、幼い子にするように、目の奥を見つめて王子が言う。


「それ以上はいけない」


「っ!」


「君は何も知らない事になっている。これ以上、兵の前で何か知っているという素振りでも見せたら、僕は君を断罪せねばならなくなる」


「です、が……っ」


「君が恐らく何も知らないだろうと思ったから、手を回して僕の妾となるよう計らったんだ。君の父上も自分の運命については承知の上で、君をこちらへ寄越したのだろう。君は何も知らないまま僕の妾となり、ほとぼりが冷めた頃に、僕に愛想が尽きたと言ってここを去ればいい。幸いな事に、僕には前科がごまんとあるからね。普通なら不敬だと責められるだろうが、むしろ周りからは同情されるだろう。世間では僕は男色という事になっているそうだから、君は純潔まで保証される。しかも、王家の折り紙付きというおまけまでついてくる。王家の嫁に出されるくらいならさぞ美人に違いないと、次の結婚も苦労はすまい」


 意味は遅れてやって来た。気づいた時には王子の手を払っていた。


「馬鹿にしてっ!」


 先程、少しでも見惚れてしまった自分が情けなかった。何もかも、馬鹿にしている。父だって、だ。自分の運命を悟っていた? それをリャコに気取られることなく、送り出した? みんなみんな、リャコの気持ちなどどうだっていいのだ。それがリャコにはひどく不快だった。


「断罪でも何でもしたらいいでしょう! それから妾にも、していただかなくて結構です! 王家の折り紙なんて欲しくもない! このまま父を見殺しにするぐらいなら、いっそ父と同じく、罰を受けた方がいい!」


 どれだけ父を心配したと思うのか。どれだけ心を押し殺し、栄達だと、納得していると自分に言い聞かせ、何でもない事のように家を出てきたと思うのか。抑えていたモノが一気に溢れ出してきた。


「書とは何です!? あれほど無欲で善良な父が、死を賜るほどの罪とは一体何なのですか!? それすら知らないまま、私だけぬくぬくと暮らしてなどいけません!」


 王子はしばらく黙っていた。やがて、振り払われた手を見つめ、呟く。


「驚いた。ゼルマリルの娘なら、もう少し賢いと思っていたよ」


 そして、傍らにずっと膝をつき控えていたガロンドに指示を出す。


「もう警護はいい。みなをいったん、中へ帰してくれ」


「ですが……」


「大丈夫だ。彼女は書の事は何も知らない。武器も隠し持っていないのは、村でお前が確認させたはずだな? 徒手の少女一人に、後れなど取るまいよ」


「せめて私だけでも」


 マールが言う。だが、王子は固辞した。


「ダメだ。全員いったん、宿舎に戻れ。……っと、その前に、アレイザ。残ってドレスの乱れを直してやれ。それから、誰か汗を拭く物を。ガロンドが意地悪をして背負ってきてあげなかったせいで、可哀相に、汗みずくだ」


 リャコの我が儘を自分のせいにされて、ガロンドは釈然としない様子である。やってきた女兵士にドレスを直され、汗を拭かれ、王子と二人きりにされた。


「さて。みな、いなくなったな」


「わ、私が聞いた事は? 答えていただけるんでしょうね!?」


「どの道、今日はもう麓の村に取って返すには遅い。この辺りは夜には狼が出るからね。今晩の宿に案内しよう」


「はぐらかさないでくださいっ」


「その件については、道すがら説明しよう。書と、それにまつわる禁忌について」


 王子の目が殊更気遣わしげに細められた。

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