五 竜騎士
「営舎……ではないようだな」
「そうですね。さっきの道を登ったところに、かすかに塔が見えました。火は落ちているようですが、灯台でしょうか。となると、ここは灯台守の番所かしら」
「見てみろ、リャコ。篝火であたりの闇が深くなっているが……闇の奥、岩壁に走った亀裂の中に、何かいるぞ」
「シッ。誰か来ましたよ」
リャコとヒルイは慌てて茂みに身を隠す。
「おい、サンノウ! こんなところにいたのか。お前は昔っから狭くて暗いところが好きだから、こうした岩陰に隠れているだろうと当たりをつけて来てみれば。勝手に逃げ出しておきながら、番所のすぐ近くにいるとはね。あんまり人から離れるのも怖いんだな、この臆病者め」
女の声に、クルルォォン……という唸り声が応ずる。
「よしよし、いい子だ。私も残りの仕事は副長に任せてきた。手配犯らが今も逃げているが、何、この狭い島の上だ。じき捕まるだろう。それより聞いてくれよ、サンノウ。私が今日追っていた赤髪の男、よりによってこの私になんて言ったと思う? そこをどけデカ女、だとさ。デカ女だよ、デカ女! うら若き乙女を捕まえて、デカ女はないだろう、デカ女はさぁ」
「先程の……竜騎士?」
「聞こえるぞ、リャコ。声を落とせ」
「聞いてるか、サンノウ? ……はぁ、分かってるよ。お前は本島の親元から離された事を、まだ怒っているんだろう? だがな、お前にもそろそろちゃんとした訓練を受けて、立派な騎竜になってもらわねばならん。聞いたぞ? 訓練所の兵士達を五人もなぎ倒して逃げたって。あのなぁ、確かに前団長から譲り受けたトヨタマはいい竜だが、私は早くお前に乗りたくて、待っているんだぞ? ついこの間までお前の世話をしていたと思うのに、今じゃ私ばかり出世しちまったじゃないか」
リャコ達に気づく様子もなく、女騎士はボヤいている。
「あの闇の奥……、竜がいるのか」
「建物から番士らしき兵が出て行きました。今、建物には人の気配はないようです」
「ふむ。では、ここはあの女一人か。……やるか?」
「でも、あの体躯……二人がかりでも少々手こずりそうですね。試合でならいい勝負をする自信はあるんですが、手間取って、助けを呼ばれたら厄介です」
「む、確かに。……よし、ならば我が時間を稼いでやろう。貴様はその隙に、番所の方から地図なり何なり、脱出に用立てられそうなものを見繕って来よ」
「時間を稼ぐって、ヒルイ、何か策はあるんですか?」
「あやつ、我の顔をはっきりとは見ておるまい。髪の色を変えれば、我とは気づかぬはず。さぁ、行けっ」
「ちょっ、ヒルイ!」
リャコが制止しようとするも、ヒルイはふらっと茂みを出て女騎士の方へと行ってしまった。一時、番所に忍び込むのも忘れ、固唾を飲んで見守ってしまう。
「はぁ、ったく。私がお婆さんになる前には、一人前の騎竜になってくれよ?」
そう言って暗がりに隠れた竜の肩あたりをポンと叩く女騎士の元へ、ヒルイは気配も隠さず近づいていく。
「もし、そこな人」
「む?」
今、ヒルイの髪は、リャコの師パーセルのごとき金髪になっていた。
「卒爾ながらお尋ねいたす。道に迷うてしまい、どこか宿を取りたいのだ。案内してはくれぬか」
「お、お前は……」
バレた、とリャコは思った。思わず、自分のいたずらが見つかりでもした子供のように、ぎゅっと目をつぶる。だが、
「い、いえ、あなたは……その、どちらのお方でしょう。この辺りでは見ぬ顔ですが」
「物見遊山に商船に乗せてもらい、諸国を巡っておってな。立派な灯台があったゆえ、見物に来たら、すとんと陽が落ちてしまった」
「そ、それは大変です事。で、でしたら私の別邸においでになってはいかがでしょう。一部屋ぐらい余っておりますので、お貸しいたしましょう。お、お名前は何と?」
「ヒルイと申す。そこまで世話になるわけにはいかぬ」
「ひ、ヒルイ様とおっしゃるのね。私はザサラキと申します。本当に、部屋ならいくらでもあるのでお気になさらず。そ、そうだ、ヒルイ様は竜に乗ったことはおありですか? 別邸はここから竜に乗ればすぐです。……サンノウ、出ておいで」
ぬぅ、と暗がりから巨大な竜が顔を覗かせる。もっとも、昼間ザサラキが乗っていた竜と比べると一回り小さいようだが。
「い、いや。宿だけ教えてもらえればそれで良いのだ」
「遠慮などなさらなくて結構ですのよ」
すす、とヒルイに肌を寄せるザサラキ。
「サンノウ! お前、頭を下げな。ほら、早く!」
「の、乗せてもらわずとも結構だ。ひっ、引っ張るな。おい!」
「ふ、ふふふ。ヒルイ様、すぐにお連れしますからね」
「ちっ、やむを得ん!」
ドッ、と鈍い音がした。ヒルイの手刀がザサラキの急所を打ったのだ。ザサラキの巨躯が膝からくずおれる。
「おい、リャコ! 計画変更だ! さっさとこの場から離れ……」
「ヒルイっ、後ろっ!」
「なっ!」
リャコの方を向いたヒルイの背後で、ザサラキの巨体がぬっと起き上がる。
「確かに急所を打ったはずだぞ。な、なんとタフな……」
「ふっ、ふふふ! 女性にいきなり手をあげるなんて、感心いたしませんねぇ、ヒルイ様!」
「くっ、離せ!」
「ひっ、ヒルイっ! くっ、あなた、今すぐヒルイを離しなさい!」
リャコは圏を手に、茂みから飛び出した。
「おやおや、ヒルイ様。他に女がいながら、私にも声をかけたのですか? 多くの女性と浮名を流すのは世の男性の甲斐性とは申せ……、私を射止めたいのであれば、私に一途になってもらわないと」
「な、何を言っておるっ?」
「くっ。あなた、ヒルイを離さないつもりなら……悪いけど、少々痛い目を見てもらいますよ! やぁっ!」
その場を独楽のように回りながらの、瞬間の連撃。リャコの圏は、分厚い筋肉に鎧われていない肘や手首などの突出した骨を正確に打突した。が。
「あら、多少は武術の心得があるみたいね。でも、軽いっ!」
ぶぉん、とザサラキの空いた腕が空を切る。慌てて避けるも、指の先がほんの少しリャコの服を掠めた。たったそれだけで、全身が持っていかれそうになる。リャコは驚異的な柔軟さで転倒を免れ、咄嗟に距離を取る。
「くっ!」
「そのような細腕で、この私に寸毫でも傷をつけられると思って?」
「知るもんですか! 今すぐヒルイを離しなさい!」
「あなた、フェリシアのところにいた女ね。という事は……そう、ヒルイ様。あなたが〝そう〟なのね。どうりで気品のあるお顔立ちをしておいでだ事」
「リャコ、ここは我が何とかする。逃げよ!」
「あらあら、仲がおよろしいようね。でも、ヒルイ様、この国では竜騎士に襲いかかった者は、治安
「これからも何もあるか!」
「むろん、私の言う事を素直に聞いてくだされば、悪いようにはいたしません。私が昼間見た〝男〟は栗色の髪。ヒルイ様はこのように金の髪。……そうね、商家のお坊ちゃんが諸国漫遊の旅の途中、竜騎士の娘と恋に落ちた、とでも報告しておきましょう。先程、ヒルイ様が仰ったようにね」
「ぐ、ぐぬっ。何という腕力……! 振りほどけぬ……!」
ヒルイもどすどすと遠慮なくザサラキの腕を叩き、腹に蹴りを入れ、何とか拘束を解こうともがいているのだが……ザサラキの太い腕はヒルイを胸に抱きとめたままピクリとも動く気配はない。
「ヒルイっ、頭を下げなさいっ!」
と、叫ぶなり、リャコは軽やかに地を駆けた。
「ふん、あなたの細腕じゃ私には及ばないと、さっき教えてあげたはずだけど?」
巨人が蚊でも叩き殺すかのごとき、圧倒的な力を内包したザサラキの左腕が無造作にあたりを薙ぐ。少しでも掠めれば、リャコは地面に叩きつけられ、動けなくなるだろう。リャコは体を低くし、猫のように疾駆する。
「
ザサラキの顔に、必勝の笑みが浮かんだ。が、
「やぁっ!」
ザサラキの想定したより、さらに低い姿勢でその攻撃をかいくぐり、リャコは跳躍。竜騎士の膝を蹴り、上へ上へと跳び上がる。
「な、何ッ!?」
鎌で穂を刈るように、高く伸ばした脚を振り下ろす。太い首を渾身の力で絞めながら、落下の勢いに任せ、リャコはザサラキの巨体を引き倒した!
「ぐべっ!」
「ヒルイっ、早く出なさい!」
「ま、待て。重い」
「んもうっ」
倒れ込んだザサラキの下から、何とかヒルイが抜け出す。
「お、おのれ……」
頭を振りながら起き上がったザサラキの鼻から、一筋血が垂れていた。
「さぁ、二対一です! まだやりますか!?」
リャコは構え、叫んだ。瞬間――、
クルルォォン!
それまで遠巻きに事態を眺めていたマチカネリュウが、しゃにむにその体を振り回して、両者の間に乱入した。マチカネリュウの長い尾がどしんどしんと、あたりの地面を叩き均す。
「さ、サンノウ!? 落ち着けっ、だ、大丈夫だから――」
「きゃぁっ!?」
「ちっ、リャコっ!」
平静を失ったマチカネリュウはひとしきりその場で暴れた後、海の方へ向かって突進を始めた。その角に、リャコごと鉄製の圏をひっかけたまま――。
桃源水滸伝 斉藤希有介 @tamago_kkym
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