第26話 安心

 校門を出た頃には休んでいた街灯が明かりを灯し始めた。車のライトも点き始めて向かい側のライトが眩しいと感じる。


「それで、案内しているときはどんな話をしていたの?」


 左側にいる純恋が体を前かがみにしながら聞いてくる。しかし小野鬼さんとは特に大した話をしたわけではない。


「東京にいたときの学校の話を少ししたぐらいかな」


「ほかには?」


「ほかには特になにも」


「本当に?」


 彼女は俺に疑いの目を向けてくる。しかし本当に何も話していないのだ。ただ学校を見て回っただけ。しかもそのほとんどの時間を図書室の本を見ることに使ってしまっただけなのだから。


「本当に」


「ならいいよ。裕二くんが嘘をついているとは思ってないし」


 彼女は口角を少し上げながら真剣な目をしていた。


「それで向こうの学校はどうだって?」


 俺たちは今の学校のことは知っているがほかの学校のことは分からない。文化祭とかで他校に行ったことがあるなら別だが、基本は知らない。しかもそれが他県の学校となればなおさら興味を持つだろう。俺もそうだったから。


「あっちは学食があるけど、代わりに売店がないんだって」


「学食か~、いいね。もしうちの学校にもあったら二人で行きたいね」


「周りの視線が集まりそうでいやだな。それに俺は今の状況がいいな、二人っきりになれるし」


「・・・裕二くんは二人っきりの方がいいの?」


「そりゃあな。純恋はいやか?」


 彼女は首を左右に振った。


「二人だけの方がいい」


 ライトに照らされている彼女の顔はほんの少し赤くなっているような気がした。そんな彼女の手をそっと握った。初めて握ろうとしたときは緊張ばかりしていたが、今はもうその初々しい自分が懐かしく、また恥ずかしく思う。彼女も初めて握られたときはビクッと反応していたのに、今はすぐに握り返してくる。


「手を握っているとすごく安心する」


「安心?」


「うん。私、裕二くんの彼女なんだなって」


 それを聞いてこっちが恥ずかしくなる。俺は今の顔を見られたくなくて道路の方を向く。


「私ね、誰かを好きになることをあきらめていたんだ」


 彼女に視線を戻すと彼女は星すら見えない明るい空を見上げていた。


「私ね、こういう体質だからほかの人を好きになる余裕もなかったんだ。学校に行ったらみんなにばれないだろうか、そんなことばかり考えていた。小学校の時のあの事件以降はそれをより思うようになっていった。転校先でまたいじめられる、化け物って軽蔑される。それがとても怖かった」


 彼女の昔はとても辛かったことが握っている手でわかる。俺の手を握りしめ、小さく震えている小さな手。俺も少し手に力を加える。


「高校に入って裕二くんを襲ったってわかったとき、私の人生終わったんだって思った。またいじめが始まる。今度こそ人として生きていけない、そう思った」


 彼女は俺の方を見た。


「でも裕二くんはそんな私を受け入れてくれた。そんな私を好きになってくれた。ありがとう、こんな私を好きになってくれて」


 俺は衝動的に彼女を抱きしめていた。彼女の持っていたカバンがドサッと地面に落ちる音がした。


「こちらこそ、俺なんかを好きになってくれてありがとう、純恋」


 彼女は最初驚いていたが、スッと俺の背中に腕をまわした。密着している場所では彼女の温かい温度が感じられる。波打つ心臓が速くなっているのがわかる。


 もし今こんな話の後ではなければ、間違いなく俺は彼女の胸のやわらかさばかりに意識が持っていかれていただろう。


 俺たちはしばらくそうしていたが、さすがに歩道で長く抱き合っていると人が来てしまうので惜しみながら離れた。


「裕二くんって時々大胆なことするよね」


「そう?」


「そうだよ」


 彼女がさっきまで見せていた暗い表情は消えていた。彼女は俺の両肩をつかむと背伸びをして短く唇を重ねてきた。


 俺は急なことに反応できないでいると口を離した彼女は少し後ろに下がると悪戯っぽく笑った。


「私も人のこと言えないね。さ、帰ろう」


 落ちているカバンを拾い上げると先に歩いて行ってしまった。俺はふと我に返ると彼女の背中を追いかけた。

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