生きるということは、祈ること

 俺は、仕事を再開した。いつまでも仕事をしなければ、貯金もなくなってしまう。今手がけているのは、スマホゲームの音楽の製作。案外、お金になる。前に何度か一緒に仕事をしたことのある会社で、ディレクターに連絡をして仕事を再開することを伝えたら、ちょうど新しいゲームの企画が立ち上がったところだから、と言って、音楽の製作に俺を指名してくれた。

 あとは、小学生以下の子供が通うような教室の宣伝映像の音楽。子供が楽しい気持ちになって、なおかつお母さんウケも狙わないといけないから、これはけっこうテクニックがいる。ワクワクするようなメロディに、ちょっと複雑なコードを絡めるのがポイントだ。


 仕事のことを考えていると、楽しい。それだけで一日没頭してしまうこともある。やっぱり俺はどこまでいってもしがないミュージシャン崩れだから、音楽を手放してしまってはどうしようもない。

 たまに、仕事とは関係なくギターを弾いて歌を口ずさんでみたり、鍵盤を叩いてみたりもする。そうすると、落ち着いた気持ちになる。

 そういうとき、サヤはそろそろお腹がすいてきたのかな、なんて気をきかせて、料理を作り始めたりしてくれた。俺の収入が安定してサヤも俺もずっと家にいるようになって、不規則な生活だけど一緒にずっといられるのが嬉しいと言ってくれた。

 今はサヤはいないけれど、サヤがいたときの自分をどうにか取り戻そうと頑張っているところだ。


 サヤがいなくても生きていける、なんて言うとちょっと薄情だから、違うと思う。サヤがいるから、生きていけるんだ。

 洗濯はなんとか毎日欠かさずしている。着ているものが汚れていると、なんだか気分が暗くなるからだ。掃除は、週に一度。もともと面倒くさがりやだから、それくらいのペースがちょうどいい。ゴミは散らかさないように、毎回ゴミ箱に分別して捨てている。

 料理だけは、いつまで経っても上手くなれない。センスがないというか、注意力の問題なんだろう。つい塩を入れすぎたり、逆に何の味もしないようなものを作り上げてしまったりする。

 下手なものでも、味が微妙でも、苦労して作ったものを口に運ぶと、カップ麺とは違う喜びがこみ上げてくる。そういう小さな喜びが、俺には必要なんだと思っている。

 出歩くことも積極的にするようにしている。サヤが残した、読みかけの本を全部読んでしまったから、同じ作者の違う作品を読んでみようと思って、本屋にも出かけた。本屋の村上は相変わらず空気が読めない奴だけれど、悪い奴じゃないから最近はこっち方面に出てきている同じ地元の連中数人で集まって遊びに行くようにもなった。

 男女問わず、たいてい、思い出話になる。高校時代にはそれほど仲が良いわけじゃなかった奴でも、大人になってから交わると案外話の分かる奴になっていたりする。俺もそう思うし、あいつらも俺を見てそう思っているんだろう。

 ふつうに、笑っている。悲しみや寂しさが消えたわけじゃないけれど、それでも笑っていることができる。それは、俺が進もうとしているからだろうと思う。

 サヤがくれた腕時計は、毎日俺の左手で時間を刻んでいる。俺が生きていると、知らせてくれる。


 あの藤代神社で見た、あの日の俺たち。そこから始まったサヤとの再会。思い返せば、冒険だった。幽霊になって戻ってきたサヤを追いかけて比良坂まで行ったんだ。誰にも言えないけれど、なんだかくすぐったくて、嬉しいような気持ちだ。

 俺は、あのとき、何を祈ったんだろう。

 サヤがいなくて、ただ寂しくて、その理不尽を受け入れられなくて、夢中になっていた。今でも、それは変わらない。だけど、あの体験のおかげで、俺はたしかにサヤが生きていて、俺はそのことを知っているということを知ることができた。


 咲耶とあの爺さんは、やっぱり神様なんじゃないかと思う。だけど、いちいち答え合わせをしようとは思わないから、あれから藤代神社には行っていない。

 今も、多くの人が訪れているんだろう。願いを叶えてほしいと手を合わせ、絵馬にそれを書き込み、お守りがもらえぬものかと期待しているんだろう。きっと、半分アトラクションのような感覚で、それを楽しんでいるんだろう。

 それでいい。だけど、俺は忘れないようにしようと思う。祈るということは、願うということは、生きるということと同じ意味であることを。神様は、いつも俺の中にあるということを。

 そして、サヤをいつも近くに感じることを。

 サヤに、もう一度会いたい。その願いは、叶えてもらうまでもなく、叶っていた。

 だけど、やっぱり、会えるものなら、もう一度会いたい。

 どれだけ自分を知り、神様を感じようとも、それだけは変わらない。たぶん、これからもずっと。俺が、もう一度生まれ変わり、サヤを再び見つけるまで。

 だから、それまで、精一杯生きようと思う。

 明日の俺が今日の俺よりも、わずかでも前進しているよう。そう願い、眠ることにする。

 おやすみ、サヤ。また明日。


 ――ねえ、耕太郎。ミラーリングって知ってる?

 ――なんだよ、いきなり。

 ある日の会話。俺の浅い眠りが、それを連れてきた。

 ――そばにいる人があくびをすると、それが伝染しちゃうってこと、あるでしょ。

 ――ある。

 ――人はね、目の前の人の行動や言動を、無意識に再現してしまうの。鏡映しのように。だから、ミラーリング。

 ――サヤは、物知りだな。

 なんてことのない会話。それを、夢に見た。

 俺は、笑っていた。目の前のサヤが、笑っているからだ。



 完

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冷たいファーストキス 増黒 豊 @tag510

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