産声
浮かんでいた。いや、流されていた。あるいは、漂っていた。
光もない。闇もない。したがって、影もない。
ああ、俺は、このままここに溶けて、おなじになってゆくんだ。
何もないことすらないようなものに、なってゆくんだ。
世界には俺はなく、それが踏むべき地面もなく、俺が見るべきものもなく、だから、サヤもない。
それは、世界ではない。
俺は、どこにいるのか。俺がどこにもいないのなら、今これを思う俺はどこにいるのか。振り返ることではなく、進むこと。過去を、その力の源として理解すること。それを求めるべき俺は、どこに。
知るということは、たいせつなことだ。気付くということは、そのまま生きるということだ。人は、知らぬままでは生きてはいけない。気付かぬままでは、赤ん坊と同じだ。
助けを求めるべき咲耶もいない。
どうするのか、俺自身が知っているはずだと咲耶は言った。そしてあの咲耶はほんとうの咲耶ではなく、俺の心の中にある鏡映しの俺。
ああ、だから水の匂いがいつもするんだ。あの水の匂いは、俺の心を映す鏡が放つ香りだったんだ。
じゃあ、俺は、はじめからそれを知っている?
誰に教えられるわけでもなく、はじめから?
何を。
俺は、何を知っている?
いや、俺は知っている。俺はあまりにも何も知らないということを。
誰かと一緒に、そうじゃなくても、生きていくにはあまりにも何も知らない。
やっぱり、俺は赤ん坊だ。
水の音。
そして、水の匂い。
俺のないところにある、俺の心。
心とは?
体とは?
いのちとは?
生きるとは?
死ぬとは?
それを教えてくれるのが、サヤであるはずだった。
では、サヤとは?
そこで、流れは止まった。
澱み。どこにもゆけない、魂の置き場。電柱の脇に捨てられた誰かのギター。天井裏にしまい込まれたぬいぐるみ。人の住まなくなった家。草に覆われた道。切れた蛍光灯。
そこにあるくせに、誰にとっても意味のないもの。すなわち、存在しないもの。
俺は、それになった。
それを、知った。
これが澱みですらなくなったとき、俺は消える。消えたということすら消えて、この心も消えて、藤代神社で眠っている身体はただの物になる。そして焼かれて骨になって、静岡のお墓に放り込まれる。
お袋は、親父は、姉貴は、弟は、親戚は、悲しむだろうか。俺は消えるんだから、それを知ることはない。ただ、俺を知り、生きる人は残り、俺を想って涙を流すんだろう。
それでも、俺は消えたままなのだろうか。
俺を知る人がいるということは、少なくとも俺というものは全て消滅したことにはならないのではないか。
サヤは、死んだ。だけど、俺はサヤを想い、千回以上泣いた。写真もある。いつも同じ笑顔で薄っぺらい紙の中の存在になってしまってそれが悲しいけれど、サヤの顔はいつでも見ることができる。写真がなくても、思い出すことができる。
俺は、サヤを知っているんだから。
サヤは、消えたりなんかしなかった。だから、俺のところに戻ってきた。俺の心が、サヤを映した。だから、サヤは俺の前に現れた。
水は、鏡。
他の人には見えず、俺にだけ見え、俺にだけ感じることができるもの。
ああ、そうか。
サヤは、鏡だったんだ。俺の中にある、俺が知っているサヤを、俺は見ていたんだ。それは、俺の心だったんだ。
この澱みの中でそれを知ったところでどうなるわけでもないけれど、気付かないままだったら、俺がサヤを消してしまうところだった。
サヤのお父さんもお母さんも、サヤを知る人はサヤの死を悲しみ、未だにサヤをずっと想っている。だけど、サヤの世界は、俺の中にあったんだ。俺と同じように、サヤは俺を鏡にして自分を見ていたんだ。
藤代神社の神様は、サヤを呼び戻したんじゃない。
俺に、俺の心を見せたんだ。水を、鏡にして。
独りよがりで、どうしたら後戻りすることができるかということだけを考え、今ここに自分がいて立っているということすら認められず、進むことをしない。
神様が俺に与えたのは、それに対する制裁。
この無へと繋がる澱みの中でそれに気付くということほど酷いことはない。
今さら、どうにもならないのだから。
ポケットの中。祈りの拠り代となるべきお守り。
そこに、それはない。そもそも、ポケットがない。
いや、俺がない。
俺は、赤ん坊。何も知らない、赤ん坊。
低く、強い音。目なんてどこにもないくせに目を閉じようとしていた俺は、それを感じた。また、同じ音。一定のリズムを刻むように。バラードのピアノを飾るバスドラムのように。寄せて、引いて、脈を打っている。
脈。
鼓動。
これは、俺の?
心に伝わる。俺の生の音。
俺は、生きている。
手繰り寄せろ。決して、逃がすな。
求めろ。求めろ。求めろ。
願え。強く。強く。強く願って、願って、願って。
鼓動が、そう歌っている。
気付いた。
俺は、赤ん坊。だったら、また産まれればいい。何度でも、何度でも。何度でも俺として産まれて、何度でもサヤを呼び止める。
あの雨から、全てがはじまった。
いや、産まれたときから、俺は祝福されていた。俺を知る全ての人に。
サヤも、そうだ。俺たちを祝福するのは、結婚式の場だけじゃない。俺が、サヤが生きているということ自体を、全ての人が祝福していたんだ。
手繰り寄せろ。
何を。
それを求め、腕を伸ばせ。
足掻け。この澱みを蹴り、浮かび上がれ。
浮かび上がる。どこに。上に決まっている。
そうすると、俺の世界に、天と地ができた。当たり前のようにして、右と左ができた。
知っていた。全てを。はじめから。産まれたその瞬間から。あの雨の日からはじまった俺のほんとうの生は、サヤと過ごしたあらゆる瞬間は、それを俺に気付かせ続けていた。
時間は、止まってなんかいない。俺は今、生きている。
掴んだ。
思い切り、引っ張ってみる。そうすると、俺は一気に高く、高く高く浮かび上がった。
手にしていたのは、ビニール傘だった。天から降り注ぐ雨から俺たちを守る不屈のシェルターだった。
俺が引っ張っているんじゃない。俺が、引っ張られているんだ。導かれているんだ。俺を、俺たちを祝福する全ての人に。俺自身に。その心に。
天と、地。それを知った俺は、神様みたいだった。
神様だったら、光あれ、と言うんだろう。その瞬間に宇宙ができ、世界ができたと言うじゃないか。
だけど、俺は神様じゃない。
大雨。暴風。世界は瞬く間に水びたしになり、波が生まれ、ごうごうと鳴っている。
この感覚を、俺はすでに知っていた。
産まれるときとは、こういうものなんだ。
そして、そういうとき、どうすればいいかも、俺は知っていた。
神様じゃない俺が何を言うべきなのか、知っていた。
思い切り、息を吸う。そして、ありったけの声で叫ぶ。我、ここにあり。それを誇示するように。この世に生を受けた誰もが同じことをする。それを、もう一度。
それは、産声だった。
俺は生きていると、ここにいると、サヤを愛していると、そう叫んでいた。
行け。もう迷わない。
神様の制裁なんて、知ったことじゃない。神様は、そもそも人を裁いたりなんかしない。はじめから、人の中にあるものだから。自分を見て知ってはじめて、人は神様を感じることができるのだから。
だから、全ての神様は、今、俺の味方だ。俺は今、自分を知ったのだから。
凄まじい速さでどこかに引っ張られてゆく俺がいた。それに向かって手を伸ばしてみた。俺の見ている俺も、同じようにした。俺は左手を伸ばしているけど、鏡映しの俺は右手を差し伸べていた。
同じでないから、手を握り合える。左手同士では手を合わせることすらできない。自分と向かい合う人と手を繋ごうと思ったら、それは同じ手同士になる。だけど、俺が右手を出すと、サヤは必ず俺の左側にある方の手を差し出してくる。
俺にとっての左は、サヤの右。いつも、俺たちは鏡映しなんだ。
手を合わせる。それは、祈り。
だから、違うんだ。同じではないんだ。右手は右手で左手は左手であるように、俺は俺でサヤはサヤなんだ。だから、重なることができるんだ。
それでいいんだ。
それに名を与えて、愛という。恥ずかしくなんてない。誰もがはじめから知っていることなのだから。
少なくとも、俺の世界ではそうなんだ。神様だって、それについて文句は言えないはずだ。
さあ、行け。あるべき場所に。雨になって、降って、濡らして、世界を鏡にしよう。そこに映る呑気な顔をした男に笑いかけよう。そのろくでもない男を、心から愛そう。
サヤは、いつも俺にそうしてくれた。
俺は、サヤにいつもそうしていた。
愛そう。世界を。
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