最終章 生きることは、祈ること

右手と左手

 夢とは、ふしぎなものだ。夢の中では俺はたしかに目覚めていて、意思をもって自分の行動を決定する。

 だけどそれは俺の心の中の話であって、目覚めている俺とは決して交わらない世界。

 毎晩、こうして、俺は鏡の中の世界に行っていたのかもしれない。そして朝が来る度に、産まれていたのかもしれない。

 いい夢も悪い夢もあるけれど、だいたいは自分の思うようにはならない。鏡の中の世界ではうまく手足を動かすことすらできず、歯痒いことだってある。そういうものなんだろう、と思う。

 だって、自分の心をよく知り、思うままにコントロールできる人間など、いやしないのだから。


 目覚めている間は、ないものねだりをしてばかりだ。もっと時間に余裕があれば。もっとお金があれば。もっと異性に注目されれば。もっと才能に恵まれていれば。もっと努力することができれば。

 それは決して、悪いことじゃないと思う。だって、それがなければ、願うことすらできないのだから。

 もっと、愛する人を幸せにしたい。もっと、よりよい自分でありたい。もっと、俺に向かって笑いかけてくれる人を守りたい。もっと、俺のことを守ってくれる人に感謝を伝えたい。もっと、勇気がほしい。もっと、もっと、もっと。

 願えば、求めてしまう。満たされなければ、渇いてしまう。その渇きを、癒そうとしてしまう。


 多くの人は、それを自分の外の世界に求める。ないものねだりが生むあらゆるないものねだりが、人をさらに渇かせる。だけど、俺は、なんとなく分かった気がしている。

 俺がするべきなのは健康食品を買いあさり、楽して儲ける方法を有料で教えるセミナーに通い、パワースポットめぐりをして験を担ぐことでもなければ、神頼みをすることでもない。

 すべての願いに見合うだけの、対価を支払うことだ。それは、俺の心の内側でしか行われないこと。それを、外の世界に求めるのが変だったんだ。

 SNSでもテレビでも、政治がどうだとか教育がどうだとか会社がどうだとか、そんな不満ばかりを皆が垂れこぼしている。だけど、今の自分が自分の望む自分でないことの原因とその渇きの癒しを、自分以外に求めたってどうにもならない。

 俺にできるのは、サヤを知り、人に知られ、多くの人の祝福の上に続く生を歩むことに必死になり、ただ精一杯生きていくことだけ。ときどき手を抜いてサボってしまうこともあると思うけれど、それでいい。明日の自分が今日の自分よりもほんの少しだけ前に進んでいるようにと願って眠ることくらいは、できるだろうから。

 それが、願い、求め、祈り、生きるということ。


 だから、この眠りも、俺はすごく穏やかなものだと思うことができている。

 目覚めればまたなんてことのない俺がいて、否応なしに進んでゆく時間の中でぷかぷか浮かびながら、必死で手足を動かすんだろう。

 サヤは、俺なんかよりずっと早くにそのことに気付いて、当たり前のようにしてそうしていた。俺たちは、いつでもそうあるべきだった。

 誰かを知るということは、自分を知るということ。決して交わることができないはずの鏡の中の自分と手を繋ぐ、たった一つの方法。

 だから、人にとって他者とは、かけがえのないものなんだ。


 そうでなく、自分で自分の心の中に手を入れようとすれば、それだけでいのちを擦り減らしてしまいかねない。なかにはそれが平気で、自分といつも向き合い、自分の心の中と繋がりながら一人で生きてゆける人もいるんだろう。だけどそれはごく一部の限られた人の話で、多くの人はそんなに器用じゃない。

 鏡映しのサヤは、俺から奪ったいのちを返してくれた。だから、俺はこれからも生きていくことができる。

 俺を知る誰かと、手を取り合いながら。その人を、鏡にして。

 必死で、生きていける。


 色んな音が、混じっている。それに、光も。

 目覚めが近いのだろう。

 俺は、こうして、また世界と繋がる。



 丸一日半眠ってしまっていたらしい。俺は身を縮めながら咲耶と爺さんにお礼を言い、身支度を済ませて境内に出た。

 外は、晴れていた。

 もうそろそろ梅雨明けなんだろう。みじかい、みじかい梅雨だった。雨の季節が終わると、こんどは太陽が俺を睨み付け、蝉が俺を指差して笑う季節が来る。

「暑くなりそうですね」

 見送りに出てきた咲耶が、俺の背後で笑う。いつも、気配を感じない。

「なあ、咲耶さん」

 この際だから、と俺は疑問を口にしてみることにした。

「あんた、いったい何者なの?神様?」

「いいえ――」

 咲耶は、困ったように笑った。神様じゃないのなら、どうして咲耶は俺の身に起きた不思議なことについての知識を持ち、導くことができたのだろう。ぱっと見大学生くらいの歳にしか見えないのに、ときどきぞっとするような、それこそ畏れるような気持ちになるのはなぜなんだろう。

「この神社には、水の神様が祀られています」

 古い、だけどいくらかは修繕されている社殿から大きくせり出す軒を見上げた。

弥都波能売命みづはのめのみことという神様だそうですが、それもまた、人が与えた名」

 弥都波能売命は、治水や井戸や灌漑を司る神であるらしい。このあたりは昔は水害が多かったと聞いたことがあるから、この小高い丘に水の神様が迎えられたのは自然なことなのだろう。

「神様というものがもしいるとしたら、それはひどく不自由なものなのだと思います」

 その意味が、分からない。神様と聞けば普通は何でもできる力を持っているとまず思うものだろう。

「神様とは、人によって作られたもの。だから、決してその役割以上のことはできぬものなのです。人なくして、神様は存在することすらできない。名を与え、場を設け、役割を決めるのは、人なのですから。神様が人よりも高い位置に存在するものであるとは、わたしは思いません」

 かといって、使役するのとも違う。これまで神様というものについてそんなに深く考えたことなんてないから、俺は考え込まざるを得なかった。

「たとえば、持つ者が持たざる者に、自分の手の中にあるものをちょっとおすそ分けする。そういうことに、似ているのかもしれません」

 おすそ分け、という言葉がなんだか控えめで、思わず笑みをこぼしてしまった。咲耶も同じ顔になって、言葉を継いだ。

「与えられた者は、またお返しをする。それは、何も不思議なことではありません」

 たしかに、そうだ。結婚式でご祝儀をもらえば引き出物があるし、お葬式でお香典を受け取れば香典返しがある。田舎から野菜を送ってくれたからと近所に配れば、別の機会にそれが海産物になって返ってきたりすることもある。

 ものを買うことも、そうだろう。あらゆるものには有形、無形を問わず対価があり、それと引き換えにして与え合うということは、人の、いや、全ての生命に敷かれた道理なのかもしれない。

「他者に対して、人は寛容です」

 少し声の色を変え、咲耶は言った。

「石段下の商店街でコロッケを買おうと思えば、当たり前のように五十円を払う。そのことについて疑問を抱く人は、いません。お店のおじさんがお芋を仕入れ、お肉を仕入れ、仕込みをして調理をするのですから」

 だけど、と咲耶は眉の線を、その眼をやる遠くの山の稜線のように悲しげにした。

「自分に対しては、人はとても厳しく、残酷です」

「逆じゃないのか。自分に甘くて人に厳しい奴なんて、ごまんといるぞ」

「ううん」

 と首を振り、その思うところを俺に語って聞かせた。

「世の中が悪い。己の不明を、そのせいにして。我が無能を、人のせいにする。そうやって世界との交わりを拒む人がほんとうに許せぬものは、己自身なのです。彼らは、人を、世界を見て、そこに映る己の姿に嫌気がさし、その鏡をどうにか粉々に壊してしまおうとする人たち。だけど、鏡は幾千、幾万に砕かれようとも、決して鏡であることをやめない。彼らが許せぬのは、鏡が鏡であることではない。そこにいる、自分なのです」

 なるほど、と思った。俺も、そうだった。自分が不器用で独善的で、できないことをできると背伸びをしてみたり、言わなければならないことを言う勇気が持てずに気付かないふりをしたりすることがあった。自分を優れた人間だなんて思ったことはなく、だけど自分が優れていると誰かに言ってほしくて、自分の姿を必死で取り繕い、生きてきた。

 俺が嫌だったのは、俺を認めない世界じゃない。世界に認められない、俺のことだった。

「そういうとき、人は渇く。求めるべきでないものを求め、それが叶わぬと嘆き、己を、人を責め、理不尽で身勝手な声を上げ、自分だけがこの世で正しい、それを認めぬ人こそが誤っていると主張をする」

 たしかに、そういうことはよくある。ただ愚痴っぽいだけならまだしも、公にそういう発言をするような人が増え、そういう機会もたくさんある。テレビやインターネットという媒体が、それを加速させているのだろう。

「人とは、とても脆く、傷付きやすいもの。すぐに、渇いてしまうもの。そして、渇けば、すぐに枯れてしまうもの。何もせず、ただ己のことのみ勝手に改善されるようなことを望むだけでは、人は生きてはいけぬもの。だれかのために己を良くあらしめんとしてはじめて、人は生きられる」

 そういうとき、人の力とは凄まじいものとなる。咲耶は、確かな眼差しを向けてきた。

「この天地の間にあるすべてのいのちには、そういう力があるのです。はじめ、地に足を付けてしか歩けなかったものが、長い時間をかけて鳥となるように。そして雛のときは飛ぶどころか羽ばたくことすらできなくとも、必ず飛べるようになるように。人にも、もちろん」

「そんなこと、今まで考えたこともなかった」

「多くの人は、そうなのでしょう。人には、考えなければならぬことが多すぎるのだと思います」

 たしかに、そうだ。仕事。友達。恋愛。家族。お金。将来。老後。食事。時間。予定。約束。制約。束縛。解放。自由。権利。義務。責任。ほかの生き物よりも、考えなければならないことが、あまりにも多い。その中で押し流されてしまって、つい見なければならないものを見過ごし、考えなければならないことから眼を背けてしまうことはあるだろう。

「人は、自分のためには、何もできぬのです。自分の器というものを知り、無意識にこれ以上は無理だ、無駄だとブレーキをかけてしまうからです。だけど、誰かのためになら、そのブレーキを打ち壊し、自分でも思いもしなかった馬力でもって、どこへでも進んでゆけるものなのです」

 自分のためには頑張れない。誰かのためになら、頑張れる。それは、分かる気がする。

「そして、人とは、過ちを犯す。人を、傷つけることすらできてしまう。そういう顔をも、持っているのです」

 何かに流されたとき、人はそうなる。俺にも、いくつも心当たりがある。サヤを泣かせてしまったこともあった。ささいな一言で傷つけてしまって、もう口をきいてもらえないんじゃないかと思ったこともある。

「だけど、それすら、人は許せる。キリスト教では、過つは人の常、許すは神の業などと言うそうですが、そのとおりだと思います」

「神社の巫女さんが、キリストの話かよ」

 くすくすと喉を鳴らし、咲耶は拝むような仕草をしてみせた。ほんとうに人間なのかと思うくらい綺麗で、そしてちょっと怖いと思ってしまうようなこの巫女でも、おどけて見せたりすることもあるんだと思うと、いくらか親近感を持てた。

「おなじです。教会か、神社か、お寺か、モスクかの違いがあるだけで。それらの場所に足を向ける人は、皆、自分に会うためにゆくのですから」

 自分に会うため、神様のところにゆく。そして、手を合わせる。鏡の中の自分へ手を伸ばし、鏡の中の自分もまた同じように。右手には左手を重ね、左手には右手を重ねる。その行為こそ祈りであり、自分と繋がる手段。

「神様は、いつも人の内側にあるもの。自分に対して願うなら、自分に対してそれに見合うだけのものを与えてあげなければ。神様とは、自分と鏡の中の自分とを、繋いでくれるものなのですよ」

 にっこりと笑い、風に綺麗な黒髪を遊ばせた。境内の隅で咲き、しぼみかけている褪せた色の紫陽花が、よく似合うと思った。


「じゃあ。色々、ありがとう」

「また、いつでもいらしてください」

「おかげで、なにかとても大切なことを知ることができたような気がする。うまく、言い表せないけれど」

「それで、いいのです。――よい、お詣りでした」

 俺は笑い、砂利を鳴らした。

 この砂利を雨が濡らして、あの日の俺たちを見た。それはきっと、俺の願いを聞いた神様が繋いだ、鏡の中の世界。

 サヤが戻ってきた。それは便宜上、幽霊だと思うことにしていたけれど、俺の中で確かに生きているサヤを見ていたんだと思った。

 手を伸ばすと、サヤも同じようにしてくれた。俺が左手なら、サヤは右手を差し出した。左手同士なら、重なれないからだ。

 サヤと交わした冷たいキスは、鏡の中の俺自身と繋がったということなんだろう。

 俺は、生きてゆける。自分が生きているということを、知ることができたから。


 石段下のくたびれた商店街を抜けると、そこは日常だった。バスを待つ人々は、思い思いに文庫本を広げたりスマートフォンの中の世界に入り浸っている。

 彼らの乗るべきバスの行き先は同じようでいて、一人ずつ違うんだろう。

 俺も彼らの流れに乗ってバスに乗り、俺の目指すべきところを目指す。

 最寄のバス停から、徒歩十五分。あんまり便利じゃあないけど、家賃はその分お手頃だ。

 俺たちの家に、帰ってきた。

 玄関を開くと、しんとしたリビングで、ぺったりとした写真の中、サヤが笑っている。

「ただいま」

 靴を脱ぎながら、明るく。

「おかえり」

 サヤは、たしかにそう答えた。ここにいなくとも、たしかに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る