第四章 血に塗れた特捜官

インタビューと自動小銃、そして残酷な光景の予感

 インタビューの日、あたしは午前中のうちに、太田と共にC4からあずさ銀行に向かった。

 入口でいつもどおり例の受付の人に最敬礼を受ける。

 そろそろ恥ずかしいから敬礼は勘弁してもらいたいところ。だって、太田はいいけど、あたし答礼の仕方が全然様になっていないんだもん。

 あたしが特捜官に任ぜられて、警察学校に入校した時のことを思い出した。普通の制服とどこが違うかあたしにはよくわからないんだけど、幹部用の制服を着たあたしに、初任警察官が敬礼をしてきたときがあった。

 あたしはどうしたらよいのか分からなかったからそのまま通り過ぎたんだ。

 だけど、そのあと大騒ぎがあったらしい。

 警察学校に入学してまだ程ない新人警察官が、自分に何か落ち度があったから、答礼してもらえなかったと思ったんだそうだ。

 それを聞いて、あたしは慌てて教官室に向かい、答礼の方法を教えてもらいに行った。

 だけど、やっぱり慣れないので、偽警官っぽい感じは否めない。

 そんなどうでもいいことを考えながら、あたしたちは自分に割り当てられた部屋に向かった。

 今日は、二人とインタビューだ。

 たくさんの人とのインタビューを調整してもらっているけど、知りたいことがいくつかあるから、この二人を最初に選んだ。

 最初の一人は、システム運用の技術者。

 二人目は例の口座を所有しているシステムエンジニアだ。

 ちなみに、太田は、あたしの横に座って調書作成係になる。

 そして時間通りに一人目がやってきた。あたしは椅子に座るよう勧めてから尋ねた。

「お忙しい中恐縮です。最初にあなたの名前と、行っている業務内容を教えてください」

 最初の人は、なんだか暗くてやせた感じの男の人だった。身長は一七五cmくらい。

 座りながら名前を名乗ってきた。

「園田満といいます。担当業務はシステム運用ですけど――」

 ちなみに、これは身柄拘束してからやる供述じゃないから、黙秘権なんかの説明をする必要なんてない。権利としての黙秘権は、ある程度の強制力を持って供述を求められているときに与えられたものだから、任意の供述ではそんな権利はありえないらしい。

 園田が言葉を続けてこないので、あたしから質問することにした。

「具体的にどんな仕事をしているのか説明していただけますか?」

「開発者が使うツールを作ったり、緊急時のプログラム移行を行っていますけど――」

 園田の業務は、業務プログラムを作るというより、開発する人をサポートすることが中心だった。

 だからこそ、あたしはこの人を最初のヒアリング対象にしたんだ。

「このプログラムの移行を緊急でしたことがありますか? してるならその理由は?」

 あたしが例のプログラムを見せて尋ねると、園田はちょっぴり考えてから小声で言った。

「時期は思い出せませんけど、そのプログラムなら、関連するものと一緒に何度も緊急移行したことがあります。緊急移行申請が上がっていたはずですよ。それがなければ移行なんてしないから」

 あたしは、できるだけさりげなく重要な質問をしてみた。

「申請なしで移行するときはどんな場合?」

 園田はあたしの質問に、首を横に振った。

「そんなことしたら、後で責任問題で面倒なことになるから。そんなことは絶対しないけど――」

 園田の言葉に嘘はなさそうだった。ちょっとだけ質問の方向を変えてみた。

「園田さんが作ったツールはどんなものだか教えてもらえる?」

 小首をかしげて尋ねると、園田はちょっとだけ考えてから説明してきた。

「俺が作るのは基本的にテストに使うものだけど。細かいツールなんて腐るほど作っているから……。部長に言われて作ったヤツとかもあるし。もし思い出したら報告しますけど――」

「それで良いわ」

 うなずいてから、確認のための質問を繰り出してみた。

「それから、プログラムのアクセス記録を改竄する方法を教えてもらえる? システム運用をしてるんなら知ってますよね?」

 あたしの問いに、園田は薄笑いを浮かべて答えた。

「メインフレームのシステムログを改変なんて、無理だと思うけど――」

 メインフレームっていうのは、いわゆる汎用大型コンピュータのこと。PCとは段違いの信頼性を持っている。例えばメインフレームのOSやツール類にバグは存在しない。

 バグだと思って調べてみると、百冊以上ある仕様書のどこかに、そのケースの具体例とともに「それは仕様である」と書かれたものを見つける羽目になる。

 どこにも仕様書がないのに「それは仕様」と言い張る文化は、PCとともに普及し、今ではビジネスでもよくつかわれるようになった、らしい。真治がそう言っていた。

 だけど、メインフレームは値段が高いから、最近は使われない傾向にある。

 あたしは、その後、いくつかのことを確認した後で、園田を解放した。


 一人目のインタビューの後すぐに、二〇代前半くらいの若い女性銀行員が高そうなお弁当を持ってきてくれた。

「これ、新見課長からお渡しするように言われてます」

 女性行員は六角形のお弁当を二つテーブルの上において、お辞儀をして立ち去っていった。

 太田は、なんだか残念そうな顔で、「カツ丼じゃないんですね?」といったよ。

「自分が先に食べていいすか?」

 その言葉とほぼ同時に、太田は弁当を開けて食べだした。

 だけど、量が少なくて不満らしい。あっという間に食べ尽くしてしまった。あたしがその高そうなお弁当を眺めている間に食べ終えている。早すぎだ。

 そして、その場で机に突っ伏して寝ようとするんで、「ちょっとぉ、寝るんだったら真治のほうの部屋に行ってよっ」と追い出そうとしたけど、太田は動こうとしなかった。

 しばらくすると、いびきらしい音が聞こえてきた。

 あたしはちょっとだけ肩をすくめると、お弁当を食べることにした。

 そして、ふと外を見た。建物のすぐ側に広い公園がある。

 改めて見渡すと、気持ちよさそうな広場があった。

 お昼まではちょっぴり時間があったから、まだほとんど人がいない。

「たまには外で食べてみようかな」

 あたしは、お弁当とバッグを持って立ち上がった。


 公園まではすぐだった。

 この付近には金融機関と官公庁が多い。

 だから、早い時間に昼食をとるなんて慣習はないのだろう。あと一時間もすれば人で溢れかえると思うけど、平日の今の時間はほとんど人がいない。

 周囲を見渡しても人通りはまばらで、ベンチ近くには誰もいなかった。

 そのとき、バッグの中からあたしのスマホが鳴動した。

 あたしがそれを取ると、スマホの画面のアイコンに見慣れない衛星のマークが表示されていた。

「何だろ?」

 あたしはそう呟いてからスマホを確認した。

 特にインフォメーションも出ていないし、衛星マークはすぐに消えた。

 あたしは肩を竦めた後、スマホを横に置いて、弁当を開く。

 そのお弁当はちょっぴり薄味で、でも出汁が利いてておいしかった。

 あたしがお弁当を食べ終わって、しばらくしてからのことだ。

 再びスマホが鳴った。見ると、発信者は太田だった。

「今どこにいますか?」

「ビルの隣の公園だよ。昼ご飯を食べてるけど、ちょっと散歩したらすぐに戻るよ」

 あたしの言葉に慌てたように太田が聞いてきた。

「周囲にどのくらい人はいますか?」

「どういう意味よ? まだお昼前だから、ベンチの側には誰もいないわ。まだお昼には早いから全然公園に人気がないよ」

 あたしが怪訝そうに答えると、太田が焦ったように続けた。

「早く、どこかの建物の中に入ってください。自分もすぐに迎えに行きますからっ」

 そして、電話が切れた。

「な、何だって言うのよ? 建物の中って言ったって――」

 太田らしくない。それが何だかとっても不安だった。そして、あの時の太田の言葉が蘇った。

『一色長が危険な現場にいくなら、必ず側にいろと言われているんです』

 ――まさか、今がそれだっていうの?


「そこに座ってよろしいですか? お嬢さん」

 その流暢な日本語は明らかに外国人から発せられた。まさに立ち上がろうとする瞬間に。

「すぐに移動するから、別に構わないよ」

「移動は後にしてください。そのまま座っていて」

 その外人は有無を言わさぬ口調で言い放った。

 あたしは顔を上げて、その言葉を発した人物をじっくり見る。

 スーツ姿で何だかごつい男だ。肌は白で、瞳はブルー。

 ――一体誰?

 あたしはきっと睨んだ後言い放った。

「後にしろ、ですって? 貴方にそんなこと言われる筋合いはないっ」

「聞いたとおり、気の強い娘だ」

 その男は薄く笑った後、あたしの背後の何かを見つめた。

 しきりに周囲を気にしている。

 そして、その瞬間あたしは気付いた。

 スーツの内側。ちょうど脇の下あたりに膨らんでるものがある。

 それはたぶん――。

 その男が日本人ならあたしはすぐに小声で聞いたはずだ。

『私服警官?』って。

 だけど、この男は違う。あり得ない。だから一瞬だけ躊躇した。


 拳銃が取り出されるのが見える。

 その男が取り出したのは、あたしが見たこともない銃だった。

 回転式弾倉(リボルバー)じゃないから、ニューナンブでもS&Wでもない。

 自動小銃。警視庁ではあり得ない。

 あたしは反射的に身体を横に反らした。

 ベンチから数メートル横に転がる。

 何が起きているんだろう。都心のど真ん中で、撃たれる? 何で?

 ――今回の援助がそんなに危険な仕事だったわけ?

 あたしは、そんな訓練を受けていない。普通の女の子と同じことしかできない。

 ――あたしが撃たれる理由は何?

 数回小さな音が響く。それは注意しなければ分からないほど小さい音だ。

 拳銃の発射音だとしたら、サイレンサーが付いているんだろう。

 あたしが必死に屈んで走る間、世界は白黒で、その小さな「シュン」という音が数回聞こえただけだった。

 あの外国人がどこから撃っているのかも分からない。

 そしてあたしの腕をなにかが掠めた。

「痛っ!」

 左肘からどくどくと血が流れでるのが分かる。傷口がとても熱い。

 泣きそうだ。何でこんなことになるのか、わけがわからない。

 それを破る音。それは、人の声だった。

「一色長! 大丈夫ですか?」

 それは何度も聞いた声だった。太田巡査長に違いない。

 心の底から安心するのが分かった。

 顔を上げた時、太田巡査長が向かってくるのが見える。

 だけど――。

 あたしは残酷な光景を見ることになる予感が止められなかった。

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