援助と不正の期限

 問題点は二つあった。

 最初に、どこから送金処理がされているのかわからないこと。

 二つめは、それが本当に不正なのかわからないこと。だって毎日経理の照合がされていて、業務の数値と一致している。調べた結果、普通の処理だってことになるかもしれない。

 次の日の水曜日、仕事を終えた午後七時、あたしがまさに大学院の授業を受けてる時、電話であたしが依頼した第一次調査報告の作成が完了した旨連絡があった。予想外に早かった。

 真治に電話でそのことを言うと、こう返してきた。

『じゃあ、沙織、行ってきてくれ。もし特になんにもなければそのまま帰ってかまわないからな。俺は、今日から別件で出張なんだ』

 真治に相談したあたしは馬鹿だった。

 そう言えば、真治は肝心の時にあたしから連絡付かない人だった。まったく役に立たない。

 あたしが不機嫌な思いで教室を出ると、廊下で七尾さんと鉢合わせした。

「また、緊急電話?」

 七尾さんが柔らかい笑みで聞いてくる。

「そうなんですよ。今からあずさ銀行に行かなきゃいけないんです」

「あずさ銀行?」

 七尾さんは驚いた顔で聞き返してきた。

「何であの銀行に? 何のコンピュータ犯罪と関係あるんですか?」

「面倒ごとを真――あ、まあいろいろありまして……」

 あたしがあいまいに誤魔化すと、七尾さんは意味ありげに微笑んだ。

「まあ、言えないこともあるんでしょうね。だけど、もし銀行業務や、国際決済で分からないことがあったら、いつでも聞いてくれていいですよ。電話でも構いませんから」

 七尾さんは優しい口調で言ってきた。あたしは、真治もこんな紳士の対応を学ぶべきだと確信した。真治は美人への尊敬の念が足りなすぎだっ。


 あたしは、仕方がないので電話で太田を呼んで、送るように指示した。

 太田がぶつぶつ文句を言ってきたので、あたしはぴしゃりと宣言した。

「仕事に文句言わないの! あんただって、今回の件の担当者なんだからね! それとも、あたしの代わりに資料を見てきてくれる?」

「九条主任からも言われてますから、そりゃ一緒に行きますけどね――」

「真治から? またなんか変なこと言われてるんでしょ?」

 太田は一瞬だけ不服そうな声を出した。

「主任はそんな人じゃありませんよ。主任はあの件で忙しいんでしょうから」

 その言葉が、あたしにはなんだか不思議だった。

「あの件?」

 あたしの言葉に太田は慌てたようだった。でももう遅い。

「言いなさい。何を隠してるの?」

 太田はあたしが迫力ある口調で詰問すると、どうやっても引かないと言うことを理解したらしい。あきらめて話し出した。

「主任から口止めされているんですけど――」

「あたしが無理に聞き出したって言ってあげるわよ」

「渋谷署で転売で有罪になった坂上真一ですが……」

「覚えてるわよ。あの黙秘で実刑判決になったバカね?」

「刑務所内で死亡しました」

 太田の言葉にあたしは絶句した。ありえない。

 あたしが言葉を失っていると、太田が続ける。

「確定判決の後の囚人が、未決拘禁者とは法的地位が異なるのはご存じですよね?」

「うん」

 あたしはスマホを持ったまま頷いた。

 未決拘禁者は罪証隠滅の防止のために、持ち込みが制限される。だけど判決が出れば、証拠隠滅をする意味がないので、持ち込み可能な範囲が拡大する。

「刑務所への収監後、毒物を混入した飲食物の持ち込みがされたようです」

「そんな馬鹿な!」

 あたしは愕然とした。一体何が起きているんだろう。

 そして、もし殺人だというなら、誰が何のためにやったと言うんだろう?


 あたしが、太田の運転でもやもやする疑問とともにあずさ銀行に到着したのはだいたい一時間後だった。あたしと太田の二人は入口で入館カードを提示して、あたしに割り振られた部屋に向かう。

 部屋には段ボール二箱の資料が運ばれていた。

 あたしは、段ボールの包装をびりびりと破って、中を見た。一番上に、資料一覧があった。

 資料一覧の中からめぼしい資料がないか眺めてみた。

 驚いたことに、トランザクション一覧の消し込みが終了していた。

 これって、振込元の不明な明細を全て洗い出してもらうためにお願いしたものなんだ。

 作業としては単純。取引元が不明な明細を一覧表にして、それを本当はどの取引だったか調べて一つ一つ書き込んでいく地道な作業。

 だけど、過去一ヶ月の不明分だけで、一万件以上あった。

 それを一件一件どんな取引だったのか調べるのに、あたしは早くとも一週間かかると思ってた。それがたったの一日だ。

 銀行員ってすごい。

 あたしは感心しながらその一覧を見た。

 一万件以上あった不明な明細のほとんどには、赤い文字が書いてあった。

 それは推定される資金使途のようだった。

 全体の半分位は貸付利息とかかれていた。

 あたしはその大量の引率物を目の前にして途方に暮れたけど、とりあえず太田と二人で手分けして、何かおかしな数字がないかどうかざっと見渡すことにした。

 翌日はその作業でまる一日を費やした。だけど結局、何も新たな情報を得られなかった。

 そして、夜になってもあたしと太田が、書類と格闘していると、ドアのノックが聞こえた。

「新見です」

 なぜだか、太田は一瞬身構えたようだ。

 太田は、ドアの方に歩いた。

 そしてまるで新見課長との間を遮るような位置に立った。

 あたしは一瞬怪訝に思ったけど、すぐに思い返して「どうぞ」と言った。


 太田がドアを開けると、新見課長が部屋にゆっくり入ってきた。

 太田は若干身をひいて、新見課長が話しやすいような位置に立った。

「大変申し上げにくいのですが――、不正の可能性を一両日中に見つけられない場合は、援助の打ち切りを御願いしたいと存じます」

 新見課長はそこまで説明した後、言い訳のように付け加えた。

「もちろん、問題を当行で見つけた場合はすぐに情報連携をさせていただく所存です」

 あたしは突然の言葉にうまく頭が回らなかった。

「何で突然そんなことになるのよ? 何かあったの?」

「実は、金融庁(FSA)との会合があった際に、援助の件が話題になったらしく、監督局の人間が問題視したようです」

「金融庁? どんな問題があるっていうの?」

 予想外のことに聞き返すしかなかった。

「援助が必要な不正がありえるということは、監督すべき金融庁の責任に通じるからでしょう。当行としては、許認可権を持つ金融庁に対して、敵対的な行動をとる理由がありません」

 たしかに、監督官庁からすれば、自分たちが気付かなかった不正についての援助を警視庁に求めるというのは、ある意味許せない行動に見えるだろう。

 だけど、なにかが引っかかる。それは一体何だろう?

 あたしが違和感を覚えていると、新見課長が言葉を続けた。

「もっと言えば、宿木専務は、援助を依頼したことで、社内的にまずい立場に置かれているとも言えます。金融庁に対して、詰め腹を切らされることもあり得るでしょう」

「じゃあ、ひょっとして部長の大石さんも?」

「いえ。それは大丈夫です。そう言っては何ですが、大石部長は転職組なので、さすがに機をみるに敏でして……。宿木専務から一歩引いて、むしろ援助打ち切りに動いている状態です」

 あたしはふと気になって新見課長に尋ねた。

「新見課長。あなたはどう思ってる?」

「もちろん、私は調査続行すべきと考えます」

 新見課長は即座に断言してきた。だが、その後に続けてビジネスパーソンらしい台詞を発してくる。

「しかし、会社の意向に逆らって調査すべきではないとも思っています。会社組織に逆らって調査するということは、ある意味では不正をすることと同じ心理でしょう。私に出来ることは、不正がある場合に組織に対して警告を発するだけです。それは企業の存亡に関わりますから」

 新見課長はそう言ってから、もう一度繰り返した。

「私に出来ることはそれだけです」

 新見課長の言葉は正しい。

 不正が明らかでない状態で、警察がいること自体まずいというのも分かる。

 新見課長はさらに続けた。

「明日までと言われましたが、一両日中という形で調整しました」

 それはたぶん新見課長を含めて問題があると考えている人たちが、ぎりぎりの選択をした結果だろう。間違いなく新見課長は不正を予感している。

 あたしにはそう見えた。

 だから、あたし達に時間を与えるために、経営と交渉したんだ。

「つまり遅くとも明後日までに不正があることをあたしが示せなければ、援助要請は取り下げられるワケね?」

 あたしの問いに、新見課長はあたしをしばらく見つめて、ゆっくりと頷く。

 あたしは、太田の前で不安そうな顔を見せることは出来なかった。

 不安な気持ちを無理矢理心の奥底に閉じ込めて宣言する。

「やってみる。警視庁のコンピュータ特捜官をなめないでよねっ」

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