特捜官、あずさ銀行に行く。


 あたしはあきらめて、取調室を後にした。残された太田は、あたふたと坂上を留置所に連れて行った。供述がなかったから、当然供述調書もない。ある意味楽かもしれないけれど。

 あたしは生活安全課の担当係長に、C4から持ってきた証拠関係資料を渡した。

「これでC4からの証拠資料はすべて。事実の指摘を行ったけど供述は得られなかったので、あとはよろしくお願いします」

 係長は取調室から連れて行かれる坂上を眺めて、呆れたように言った。

「証拠書類はみましたよ。あいつも馬鹿ですねぇ。今日中に検察に送致しますよ。本当にどうもありがとうございました。また何かありましたら、一つよろしくお願いします」

 だけど、この事件はあたしの中で終結しなかった。なんだかもやもやとしたものが残っている。単なる転売で終らないような予感がした。


 あたしたちがC4に戻るとちょっとした騒ぎが起きていた。

 あっちこっちで電話が鳴り響いているし、なんかあわてて電話をかけてる刑事が一杯いた。

「どうしたの?」

 あたしの質問に、加奈子が答えた。

「なんかですね、あずさ銀行に脅迫があったらしいんですよ。なんでも、お金を振り込まないとインターネットバンクのホームページにクラッキングするって言っているらしいですよ?」

 加奈子は出先ボードに行き先を書き込みながら説明してくれた。

「九条主任はあずさ銀行に行ってます。私と太田巡査長も呼ばれてるんで、すぐ出ますよ?」

「え? 自分も?」

 太田がバカ面で聞き返してた。

 そして加奈子と太田は、すぐにC4からあずさ銀行に向かったようだった。

 少し時間が出来たあたしは、真治のことを考える。

 ――今大変なのかな? 手伝ってあげたら喜ぶかなあ。

「あたしもここから協力してあげようかな」

 自分のコンピュータを起動して、いろいろやっていると、技術支援班長の田神警部が興味深そうに覗き込んできた。

 三〇分位いろいろやってみた結論はこうだ。

「あたしだったら、この銀行に犯行予告してからクラッキングはしないなあ。今からじゃあ絶対わかっちゃうと思う。内緒でクラッキングして、その後脅迫するけどね」

 その言葉を聞いて、田神班長があたしに問いかけた。

「一色特捜官でもクラッキングできないの?」

「もう犯行予告してますよね? 絶対ログとか監視されてますよ? だから、ログを消す前に行動を見られちゃうんじゃないかな」

 あたしはそう説明した後、加奈子に電話をかけた。加奈子はすぐ電話に出てくれた。あたしは真治に電話を替わってもらう。面倒だけど、真治は携帯を持たない人だから仕方がない。

「あ、真治? あずさの件なんだけど、何かわかった?」

『今話を聞くところだ。まだなんにもわかってない。それより、どうしたんだ?』

「こっちでも調べたんだけど、結論としては二つ。もうクラッキングされている。もしくは、単なる嫌がらせね。もし、既にクラッキングされているなら、内部犯行だと思うよ」

 真治はちょっとだけ静かになった。考えているんだろう。その後、ゆっくりと言った。

『わかった。助かったよ。感謝する』

 真治が感謝の言葉を発するなんて珍しい。あたしは少しだけ頬を赤らめた。

 あとは、脅迫がどんなやり方で来たのか調べて、電子メールなら経路を調べる。たぶん、南アフリカあたりを経由してIP隠して送ってきてるだろう。秘匿用のTorを使っているかも知れない。だけど電子メール以外なら、はったりとしか思えない。クラッカーが物理的に追跡されやすい手紙とかで脅迫するなんて聞いたことないし。

 そんなことをあたしが考えていると、携帯電話から『おい』と声をかけられた。

「え? 何?」

 あたしが聞くと、真治はぶっきらぼうな調子で言ってきた。

『何してるんだよ。お前もとっととこい。場所は大手町のあずさ銀行本社の一二階だ』

 突然の命令だ。さっきの感謝は一体何だったんだろう。

 あたしは真治に指示されて不承不承行くことになった。しかも、C4所管の車が全台出払っていて、あたし一人で地下鉄を使って行く羽目になっていた。

「何であたし、こんなところに行かなきゃなんないんだよっ! 犯人見つけたら絶対許さないんだからっ!」

 あたしはぶつぶつ文句を言いながら、あたしのトレードマークになったでっかいかばんを提げて、あずさ銀行本社に向かった。


 駅を出て一五分ほど歩くと、目の前に圧迫感のある大きな建物が現れた。船みたいな形をしたビルだ。これがあずさ銀行本社らしい。

 あたしは、正面玄関を探して中に入った。正面玄関はとってもお金がかかっていそうな雰囲気だった。壁や床を含めて全部大理石っぽいし、高そうな絵とかも掛かってる。それに、たくさんの係員が受付の周囲のあちこちにいて、お客の対応をしていた。

 ただ、どうも顧客は法人向けのようで、やたら平均年齢が高かった。

 そして、その係員たちがあたしに気が付いたらしい。すぐに駆け寄ってくる人が二人もいた。だけど、なかなか対応いいんじゃないというあたしの好感触は、速攻で裏切られる。

「お客様。こちらは、営業店ではございませんので、最寄りの支店を……」

 あたしの近くに寄ってきたのは、奥の受付に行く前に、その遙か手前であたしを連れ出そうとする係員だった。それこそ子猫みたいに首でもつかまれてつまみ出されそうな雰囲気だ。

 あたしは、むっとして係員の言葉を途中でさえぎった。

「あたしは警察官よ。ここの一二階に用事があるのっ!」

 あたしの言葉を聞いて、二人いた係員は顔を見合わせた。

 ――まあ確かに、あたしは童顔だし、末端の人間なら事件を知らなくても仕方がない。不愉快だけど、よくあることだよ。渋谷署でもやられたしね。

 だから、これだけなら許してあげようと思った。

 でも、こんなこといわれた。

「あの、大変失礼なんですが、とても警察官には見えないのですが……」

 わざわざ来たくもなかったところに来てあげたのに、この仕打ちはありえないと思う。

 ここで必殺の警察手帳は、やっぱりあたしは持ってきてない。

 相手が所轄でもないので、捜査支援要請書なんてあるわけもない。

 ――あたしってば、ひょっとしてピンチ?

 そんで、あたしは最後にこういわれた。

「申し訳ないのですが、ご予約はあるんでしょうか?」

 ――予約きた。事件は予約してからやってくるものなんだ?

 あたしは、その銀行員をじろっと見てから言った。

「あのねぇ、あなた、予約してから事件がおきると思っているの?」

 その銀行員はまだ要領を得ない顔をしている。

 あたしは面倒になって、その場で携帯を取り出すと、加奈子に電話した。加奈子が出たら開口一番、真治に代わってもらう。だって真治は携帯を持ってないから。

 ――全くもう。

『どうした? 今どこにいる?』

「本店入口にいるよ。なんか、予約したか?とか変なこと聞かれているんだけど、帰っていい?」

『馬鹿野郎! 今すぐ使いをやるからすぐ来い!』

 よりにもよって真治はあたしのこと「野郎」とか言ってきた。

 ――絶対許せない!

 今度、ミニスカートかホットパンツで真治の瞳を釘付けにしてやるしかないかも。たぶん、C4の中は大騒ぎになるだろう。だけど、特捜官だったらさすがに文句は言いにくい筈だ。

 あたしはため息をついた。やっぱり無理っぽい。そんなことしたら、所長の血管が切れる可能性が高い。所長が倒れて、それこそ、コンピュータ殺人事件扱いされそうだ。

 しばらくすると、あわてた様子で初老の銀行員が走ってきた。

 その人は、すぐにあたしに気がついて、こっちに一直線に向かってきた。

 ――真治はあたしのことをどう説明したんだろう?

 すごく気になった。絶対ろくでもない説明をしたに決まってる。

「一色特捜官でしょうか?」

 あたしが頷くと、深々とお辞儀をしてきた。

 後ろのほうで、あたしに「警察官に見えない」って暴言を吐いた銀行員が叱られていた。

「案内してもらえる?」

 あたしの質問に、初老の銀行員が答える。

「もちろんです」

 その銀行員は、あたしをエレベーターに先導すると、会議室まで案内してくれた。

 さすがに銀行の本店だけあって、会議室も贅の尽くされた内装だ。

 会議室には偉そうな銀行員が四人と、なんだか幸の薄そうな人が三人、そして、真治と太田、そして加奈子もいた。全部で一〇人だ。それがあたしを入れて一一人になった。

 壁を見てみるとここにも高そうな絵が掛かってて、椅子はいかにも役員とかが座りそうなふんぞり返るような体勢になる革張りのやつだった。テーブルも大理石だ。

「C4、いや、警視庁のエース、一色特捜官です」

 あたしが部屋に入ったときに、真治はとんでもない紹介をしてきた。

 そしたら、一番偉そうな銀行員があたしの方を向いて口を開いた。

「いやいや、警視庁の特捜官二人に来ていただけるとは、大変恐縮です。なんでも、入口で失礼なことがあったそうで、大変申し訳ありませんでした。わたしはあずさ銀行のシステム担当専務で、宿木と申します。よろしくお願いいたします」

 システムとは、銀行のコンピュータを取り扱う部門のことを言う。この宿木って人が手を出してきたので、握手をした後、一応名刺交換らしきことをした。でも、なんだか収まりが悪かった。いままで、名刺交換なんてやり方教わってないし。

 その後、ふんぞり返るような格好の椅子に座って、座っている順に名刺を並べてみた。

 名刺には、常務やら取締役やら、部長やらの役職が並んでいた。さっき案内してくれた人はシステム部長で、大石という名前だった。真治はあたしを見ながら、ゆっくりと口を開いた。

「さて、今回の件ですが、私たちとしても、最善を尽くそうと思って、忙しい中、一色特捜官に来てもらったわけです。彼女は、日本で最高の技術をもつ特捜官の一人で、世界でもトップクラスの実力を持ちます」

 七人の銀行員の感嘆が聞こえた。あたしは、ばかばかしくなって真治をにらみつけた。

 ――なによ? これって、ひょっとして茶番劇? もう、勘弁して!

「まず、状況を整理させていただきましょう。脅迫文は都内の消印のある郵送で送られてきた」

 それを聴いた瞬間、あたしは真治の意図を見抜いた。そして、全身全霊の力を込めて全力で脱力した気がする。今のあたしは蒟蒻のようにふにゃふにゃだ。

 真治はあたしの様子に気がついても、気にも留めずに言葉を続けていた。

「それには、五〇〇万の送金指示と振込先口座が記載されていた。そして、期限は明日午後三時。それまでに振り込まれなかった場合は、ネット取引ができないようにクラッキングすると、そういってきたわけですね?」

 銀行員たちは全員頷いている。

 真治はあたしに向かってこう言い放った。

「一色特捜官、何か意見はありますか?」

 ――うう、あたし、スケープゴートだよ。参ったなあ。

 しかしまあ、あたしは生贄の山羊さんになりきることにした。仕方ないじゃない。

 期待に満ちた目があたしに注がれた。あたしは説明するほかない。

「このケースは、おそらく、外部からネット取引ができないようなクラッキングが期日までにされる可能性はほとんどないでしょう。内部犯行はあり得ますが、その場合手紙という手段は普通とりませんし、その確認方法は皆さんの方が詳しいでしょう。大石部長、こちらの銀行では、この件からログに関しては集中監視してますよね? それを少なくとも三ヶ月続けた方がいいと思います」

 真治は、そこから口を開いた。

「後は銀行口座と手紙の追跡調査から被疑者がある程度特定できるはずです。被害届けが出次第、その調査をしてもかまいませんが、その点はよくお考えください。ある程度状況が判明してからでも、決して遅くありませんから」

 宿木専務はその言葉に頷くと、もう一度あたしに手を差し出した。

「いやあ、本当にありがとうございました」

 すごくばかばかしい気がするのは気のせいだろうか?

 ――だって、あたしの来た理由って、一体何なのよ!

「もしクラッキングされたら、すぐに一色特捜官が対処してくれるはずです」

 真治はにこやかに安請け合いをしてきた。あたしは憮然とした顔だ。

 そのあと、ほんのちょっとだけ事務手続きに関する話をした後、C4のメンバーは忙しいという理由で、速やかに退席した。

 五分後、あたしたちは外にとめてあった車に乗り込んでいた。太田が運転席に座って、後部座席にあたしと真治、そして助手席に加奈子が座っている。

 車が動き出すと、あたしは一度目を閉じた。そして真治に聞いた。

「あのね! いまのは何なの?」

 車の中で、あたしは真治に詰め寄った。真治はちょっとばかりバツが悪そうな顔で言った。

「いやあ、なんだか、あの銀行、警視庁の上のほうとつながりがあるらしくてね、とある人から対応を依頼されたわけさ。見てのとおり、どう見たっていたずらか単なる脅しなんだけど、それで収まりがつきそうもなかったから、暇そうな何人か連れてきて説明したんだ。最後は優秀な特捜官にご登場願って、問題解決を図ったってわけさ。おかげで三〇分で終っただろ?」

「あたしは移動時間を含めて一時間以上無駄な時間を過ごしたんだけど?」

「いい経験しただろ?」

 真治は、ぜんぜん悪びれていなかった。それを聞いて、あたしは爆発しそうになった。

「もう絶対真治の仕事手伝ったりなんかしないからねっ!」

 ちなみに、後で聞いたんだけど、この銀行はやっぱりクラッキングなんてされなかった。

 それでも銀行は被害届けを丸の内署に出したらしい。

 さすがに丸の内署は手馴れたもので、口座と手紙から被疑者を一週間で特定していた。

 しかも間抜けなことに、誰かにクラッキングを依頼してたらしいんだけど、そのクラッカーが未熟で何もできなかったらしい。

 要するに、この案件であたしだけが馬鹿を見たのだった。

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