沙織の確信と、サラミテクニック
あたしはすぐに、新見課長を呼んで、部屋に開発に使える端末を設置してもらった。
そして、新見課長に操作してもらい、一つ一つプログラムと環境を確認していった。
標準化チェックを行う人は、その都度ランダムに入れ替わる。
実際にそのプログラムのチェック者を一覧にしてもらったら、全員がグルにならない限り、チェッカーが関与している線はないことが分かった。
そして、テスト環境へのアクセスが本当に出来ないか、設定を含めてあたし自身の目で確認した。
さすがに銀行だけあって、それが出来るのはコンピュータの日常運用を担当するオペレーターだけだった。
そして最後に、あたしが口座を調べて貰ったプログラムが、どこの環境のものか確認した。
それは、本番環境だった。
本番環境のソースに口座がダイレクトに記載されていたんだ。
新見課長の説明を思い返しながら尋ねる。
「本番のプログラムソースって、実行ファイルとどういう関係になるんですか?」
新見課長は肩を竦めて答えた。
「特に関係ありません。ソースも実行ファイルもテスト環境から移行するだけですから」
その説明は恐らく事実だろうと思うけど、おそらく自明な部分の説明が欠落している。
あたしはそれに気付いて、さらに尋ねた。
「何のために、ソースも移行するの? テスト環境のソースを移行したって意味ないよね? どうせ本番で使われるのは実行ファイルだけでしょ?」
新見課長は薄く笑って答える。
「テスト環境で確認しているプログラムは、必ずしも本番環境と内容が一致しません。たとえば、このプログラムをテスト環境でチェックしている時、本番環境とは違うバージョンのプログラムですよね。当然ソースも異なりますから、それぞれ別に保管する必要があります」
あたしはその説明を聞いて、ある程度納得した。
だが、新見課長はさらに説明を追加する。
「それに、希に本番環境のソースを使って、本番トラブルを解決するために緊急修正する場合が……」
そこまで言って、新見課長は固まった。
なにやら考えている。
そして、しばらく経ってから呟くように続けた。
「本番環境のプログラム・ソースは、基本的に使われません。ですが、緊急に対応が必要な場合、そのソースを直接修正して、実行ファイルを生成する場合があります」
あたしはその言葉の意味を理解した。
「この口座情報が
あたしの言葉の意味を新見課長はすぐに理解したようだった。
「私も一緒に見ましょう」
新見課長は、すぐに端末を操作し始めて、あたしに言ってきた。
「私は、テスト環境の閲覧権限を持っています。今すぐ見られます」
プログラムソースがディスプレイに現れた。
新見課長が手早く問題の箇所に移動させる。その結果は――。
テスト環境のプログラム・ソースには、あの口座は記載されていなかった。
つまり、プログラムに
開発環境にはなく、テスト環境にもなく、本番環境だけに存在する口座情報。
――その意図は何?
おもわず新見課長が叫んでいた。
「まさか!」
あたしも頭の中が猛スピードで回転していた。
――これって一体どういうこと? どうやって本番だけプログラムを変えるの?
あたしは急いで新見課長に尋ねた。
「本番環境のソースを直接修正する場合の手続きは?」
新見課長は即座に頸を横に振った。
「直接本番環境は触れません。これは絶対です」
新見課長は早口で説明を続けた。
「なので、プログラムソースを一度本番から開発環境に複写して修正します。その後に本番環境に戻す以外の方法はありません。ただ、これは例外手続きが必要で、記録が残されるはずです」
あたしは新見課長にさらに重要なことを尋ねた。
「ソースだけ移行しても意味がないわ。本番環境のソースから実行ファイルが作れるんじゃないの?」
「はい、もちろんです。一色特捜官。本番環境のソースから実行ファイルは、専用のプログラムを実行すればすぐに作れます。誤って開発環境の実行ファイルが本番に移行された時の対処に、その為のツールが用意されているんです」
それなら、もはやすべきことは自明だ。
あたしは新見課長に早口で指示をした。
「急いで開発環境から本番環境に例外手続きをした記録を調べて教えてもらえる?」
新見課長は頷いて、端末に向き直った。
「正式な書類とは別に、本番への緊急移行記録データがあるので、先に調べてみましょう」
移行で作業を行う場合、その記録をデータとして自動生成しているようだった。
新見課長は、先にそれを確認しようとしているんだ。
二分ほどで新見課長は社内ネットワークからデータを探し出してきた。
でも、該当プログラムは、その一覧表に載っていない。
それは、つまり――。
つまり例外手続は実行されていないと言うことだ。
「一覧表に載ってないわ。プログラムの変更履歴をみたら、全部移行ツールを使ってたんでしょう?」
新見課長は茫然としたように口を開いた。
「はい。このプログラムのアクセス記録を調査し、テスト環境からの移行記録と付き合わせましたから、間違いありません。ツールを使わずに移行することはあり得ません」
あたしは問題を整理するように状況を説明した。
「つまり、チェックされたプログラムが手順に乗っ取ってツールで移行されたはずなのに、テスト環境と本番環境で違うプログラム・ソースがある。こういうこと?」
新見課長は頭を抱えていた。
「そうですね。私にはどうしてなのかさっぱり分かりません」
新見課長にあたしは薄く笑みを湛えて断言した。
「簡単なことでしょ?」
間違いない。あたしには確信があった。
あたしが言い切ると、新見課長はビックリしたようにこっちを見た。
「幾つか調べて欲しいことがあるの。それから、今から言う対象者全員にインタビューをするよう調整してください。今回の被疑者が何をしたのか、あたしには全部分かったわ」
太田は、あたしの指示で書類を分類してる。
そして、突然部屋の電話が鳴り出した。電話はC4の真治からだった。
『沙織か? メモに電話するよう書いてあったが――』
「ちょっと相談したいんだ。新見課長からもらったデータ見て、考えたことがあるんだけどさ、聞いてくれる?」
『珍しいな? 普段なら断定口調なのに、ずいぶん殊勝じゃないか?』
真治の言葉には、あたしをからかうような調子はなかった。
むしろ意外そうなニュアンスだ。だから、あたしも素直に言ってみた。
「今回の件はあたしの専門分野って訳じゃないから、慎重なのよ」
『そうか。言ってみてくれ』
真治は短くあたしの説明を促してきた。
「新見課長に消し込んだトランザクション一覧をもらったんだけど、その不明なトランザクションの半分近くが、貸付利息の可能性があるの。しかもみんな少額なの。変でしょ?」
真治はちょっとだけ待ってから同意の言葉を発した。
『そうだな』
「それであたしは考えたの。これって貸付利息を切り上げてその分を少しずつ搾取しているんじゃないかなあ?」
真治は、しばらく無言だった。考えているんだろう。
そして、独り言のように呟いた。
『サラミテクニックか? ふん。あいつらならやりそうだな』
とっても気になることを真治が言ってきた。
「あいつらって何? それにサラミテクニックって?」
『サラミテクニックって言うのは、小額の金額を集めて大きな金を搾取する手法のことさ。で、今どんな捜査をしてる?』
そして、今までの経緯を簡単に説明すると、しばらく真治は一言も喋らなかった。
だけど、最後にこんなことを言った。
『沙織がそこまでするとは予想してなかった。だが――注意してくれ。特に、銀行でそれなりの地位にあるヤツを信用するな。それから、やり過ぎないようにな』
「やり過ぎるって何よ?」
あたしは不満を言葉に込めて言い返した。
だけどあたしの言葉に真治は呆れたようだった。
『お前なあ、アンコウ鍋事件のこと忘れてないだろうな。ああいうやり過ぎはやめろ。あの後、俺がどんなに苦労したか知らないだろ? 調理器具全部変な匂いが付いて大変だったんだからな』
過去に、真治の具合が悪くなって何日か休んだときがあった。
アンコウ鍋事件とは、あたしがそのお見舞いにアンコウを持って行った時の話だ。あたしは精力が付くだろうと思って、アンコウ鍋を作ろうとして大失敗した。
その結果、真治の具合がもっと悪くなった案件がいわゆるアンコウ鍋事件だ。
――あれは……確かに悪かったとは思うけど、あれは元気になってもらおうとしただけで、悪気はなかったんだからね。
まずいと思って、話題を変えることにする。
「真治はこっちにこないの?」
『俺は、別件でそっちには行けない。すぐに出なきゃいけないんだ。すまないが、沙織だけで何とかしてもらうしかない』
真治の言葉は少しの心配と、そして信頼がこもっていた。それがあたしには分かった。
『沙織、自信を持っていいよ。お前は一人でやれるはずだ。大丈夫』
真治の言葉を聞いて、あたしは気がついた。
真治は、こう言っているんだ。
専門外のこの事件を、一人で乗り切ることができれば、お前も一人前の特捜官だ、と。
あたしは一人で乗り切らなきゃなんない。
そうじゃなきゃ、あたしは本当の意味で、難事件で、真治とパートナーを組むことなんてできない。
あたしはコンピュータ特捜官なんだ。
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