第一二章 一人になった特別捜査官

シグ・ザウエルを持つ男との再会

 そして、金曜日。あたしは二日酔いの頭でC4に出庁した。

 C4に真治はいなかった。

 あたしは、警察手帳を手にGABホールディングに向かうことにする。

 潜入捜査をしているわけだから、普段は警察手帳を持ってきてない。別に使う場面ないし。

 でも、今日は違う。

 ガサ入れのときはさすがに持っていないと格好が付かない。

 そして、自分の机を見ると、封筒が置いてあった。

 封筒を見ると、中にUSBメモリーと手紙が入っている。

 心当たりがなかったので、手紙を一読すると、それは警察庁の四谷さんからだった。

「あー、そういえばPCを借りる時、ツールも送るって言ってたっけ」

 あたしは、簡単な機能の説明を読んで、これは使えそうだと思った。


 相変わらずノートルダムが仕事を割り振ってくれないので、その日も朝から暇な時間が嵐のように襲ってきた。

 だから、あたしは時間のある限り管理者のアクセス履歴をさがして、その中で最も頻繁にアクセスされているファイルを見つけ出した。

 そして、ネットワークに送信する前の一時保管場所にあるデータベースファイルを見つけることに成功した。

 それはまだ送信前のようだった。

 あたしは、警察庁の四谷さんの説明を思い出して、ツールでそのファイルを複写しておいた。

『ハードディスクは、かなりの部分を書き込み失敗に備えたエリアで埋められています。新品ですらアクセス不能エリアがあって、読み取れなかった部分を避けられるように、不良区画が記録されています。これをPリストと言います。これを旨く使えば――』

 あたしは、そのファイルをツールで確保した後、自分の噂のことを思い出した。

『あの噂の一色特捜官』という言葉が、あちこちに飛び交っていた。

 あたしは、それを思い出して、残った時間つぶしにインターネットで調べてみようと思った。

 当然、閲覧履歴は取られているだろうから、あまり細かい調査は出来ないだろうけど。

 だが、いくつか分かったことがあった。

 どうやら、米国で有名な専門家が、あたしに関する噂の出所らしい。英語で自分の名前を検索してみたら、FBI捜査官らしき人がコメントしているブログまで見つかった。

 何でだろう?

 全然見当が付かない。あたしが悩んでいると、お昼休みの時間になった。

 お昼はお弁当を作ってきてある。

 あたしが一〇階の食堂に降りてお弁当を広げたとき、突然気が付いた。

 テーブルの端に見慣れない男が座っている。ファストフードらしきものを頬張っていた。

 昼食時の食堂に男がいるのは、あたしが見る限り初めてだ。だいたい弁当を持ってきた女の人がグループでいるか、あたしのようなバイトが一人で食べている。

 男の人は自席で食べるか、外に食べに行く人しか見たことがなかった。

 あたしは、気付かれないようにその男をじろじろ見て、思わず声を上げそうになった。

 ――コイツ、公園であたしをシグ・ザウエルで襲おうとした、あの外国人だっ!

 叫び声を上げそうになって慌てて口を押さえると、頭脳をフル回転させた。

 ――どうしよう? ここで逃げたら気付かれるかもしれない。それに、追わなきゃっ!

 あたしはドキドキしながら、お弁当をしまうと、男の視線に入らない位置に移動する。そして、ゆっくりとお手洗いに向かおうとした。

 女子トイレを覗き込む。

 他にも入っている人がいるかもしれない。確認したけど、結局わからなかった。

 トイレの個室に入ったとき、あたしは安堵のため息をついた。

 そして、慌ててスマホから電話を掛けて、真治を呼び出そうとする。

 センターに電話をしたけど、みんな出払っているようだ。

 当然真治が出るはずがない。こんな大事なときなのに!

 代わりにあたしは加奈子に電話しようとした。

 だけど、番号を登録しているはずなのに、なぜか番号が消えていた。あたしは何度か間違い電話を繰り返した後、何とか加奈子の携帯の番号を思い出すことができた。

 すぐに回線がつながる。

 あたしは、他の個室に入っている人がいても聞こえないように小声で、慌てて説明した。

「加奈子? あたしだけど、今すぐ真治たちに伝えて欲しいの。あたしを襲って、太田を撃ったやつがここにいるのっ。あたし、アイツがどこにいくか後を追うから、誰か目立たなそうな――そうね、加奈子が来てくれない? 食堂は一〇階だから」

 加奈子は、周辺を固めるために建物の側に来ていたらしい。すぐ来るって言ってくれた。

 安心して、女子トイレを出ようとした瞬間、あたしは待ち伏せされていることに気付いた。

 目の前に男が立っている。女子トイレの入り口に仁王立ちしている男。アイツだ。

 にやりと笑った男は、肩をすくめてから懐から何かを取り出そうとする。

 加奈子は間に合わない。

 あたしはこの場で何とかしなきゃいけない。

 前回と違って逃げ場はある。うまくすれば何とか逃げ切れるかもしれない。

 個室に閉じこもれば、手出しは難しいだろう。

 だけど、ダメだ。

 あたしが逃げたら、こいつは役員たちに警察官が紛れ込んでいることを知らせるに決まってる。

 そうすれば、ガサ入れは不発に終るだろう。

 ――どうすればいい?


 悩んでいる間に、男が間合いを詰めてくる。

 あたしはその瞬間、理解した。

 あたしを殺すにしても、拉致するにしても、食堂に声が聞こえるような場所じゃあ周囲の目がありすぎる。

 女子トイレの中にあたしを押し込もうとしてるんだろう。

 逃げ場のない個室は思う壺なんだ。

 ――どうすればいいの?

 あたしがそう考えながら、さらに一歩退いたときのこと。

 水が流れる音がして、トイレのドアが開いた。

 予想外の出来事にあたしは立ち尽くした。そしてあたしの横に、若い女性が現れた。

 その人は昼食時に何度か見たことがある。

 トイレにいたらしい。

 あたしが呆然としている様子に気づいて、その女性は怪訝そうに尋ねてきた。

「どうしたの?」

 あたしがその質問に答えられずにいると、その女性は、女子トイレの前の男を一瞬だけ見つめて、ずいっとあたしの前に出ようとしてきた。何か誤解をしたのかもしれない。

 あたしがその瞬間理解したのは、さっきよりまずいことになったということだった。

 ――この人が撃たれそうになったら、あたしが守らなきゃなんない。

 あたしは、警察官なんだ。

 この人を盾にすることなんてできない。

 そんなことをしたらあたしは特捜官どころか、警察官でもなくなってしまう。

 警察官と警備員の違いは、こういう場面で逃げ出していいかどうかなんだ。

 あたしたちは逃げ出さない。たとえ身一つでも、武器に立ち向かわなきゃいけない。

 太田がそうしたように。

 命がかかっている場面でも逃げ出すことを認められていないんだ。

 そんな危険な場面でも命をかけて行動しなきゃなんない。

 ――この人を自分の命をかけて守らなきゃいけない。

 警察官が拳銃を持つことだって許されているのは、そんな義務があるからなんだ。

 あたしが覚悟を決めてその人を庇うように、一歩前に出たときのことだった。

 その男は肩をすくめてから、くるりと後ろを見せると、そのまま逃げ出していった。

 あたしは、それを追おうとした。

 数歩歩き出そうとして、自分が震えていることに気付いた。

 うまく走れない。

 だけど、必死に後を追う。

 あたしがエレベーターの横の階段に向かう男を追っているときのこと。

 エレベーターのドアが開いた。中に加奈子がいる。

 加奈子に叫んだ。

「その男が例のヤツよっ!」

 あたしの叫び声を聞いた加奈子は躊躇しなかった。

 軽やかにドアから飛び出すと、加奈子は男が階段に向かうのを身体でさえぎっている。

 あたしは加奈子の表情を見てビックリした。

 声をかける前と別人のようだ。こんなに怒りを込めた加奈子を見たことがない。

 その瞬間、男は走る速度を速めた。

「通さないと後悔するぞ? いろいろな意味でな」

 男はそう嘯いた後、遮る加奈子をかわそうとした。

 男がほぼ半身ですり抜けようとするとき、加奈子が男のスーツに手をかけた。

 その瞬間、加奈子がびくっとしたように見えた。

 その隙に、男が逃げる。

 そして、すぐ前の階段ではなく、建物の反対側にある非常階段の方に駆けていった。

 男がさらしている無防備な背中を見て、加奈子は複雑そうに目を向けた。

 あたしは加奈子の側に走りよった。

 なんだか変だ。

 あたしの表情に気づいて加奈子はため息をついて説明する。

「あの男、防弾性の対刃衣を着てました。私たちと同じように」

 スーツに触れたときに気づいたんだろう。加奈子は説明を続ける。

「撃っても無駄だと判断しました。一色長は平気ですか?」

 あたしは辛うじて頷くと、加奈子の姿をじろじろと見つめた。

 加奈子は周囲に警戒しながら袖の隙間を指さした。

 そこから、なんだか金属質のものが見えている。

 対刃衣だ。初めて見た。

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