特別捜査官の意味

「サイレンサー付きの銃で撃たれてる! あんたも気をつけてっ」

 あたしの叫びに太田の目付きが変わった。

 驚いた。こんな真剣な太田を初めて見た気がする。

 太田は拳銃を取り出して、腰を低くして構えた。それはほとんど一瞬だった。

 太田は拳銃を持っていた。C4の刑事が拳銃を携帯するなんて、普通はあり得ない。

 そんなことあるはずがない。

 その瞬間あたしは戦慄に襲われながら、やっと理解できた。

 ――あたしは、子供のように護られていた。

 あたし以外みんな知っていた。

 三歳の幼児がそうであるように、あたしは自分が危険な場所にいると思っていなかった。

 ――あたしは危険な行為をしていると思っていなかった。

 あたしは危険の中にいた。あたしだけ知らなかった。

 ――あたしには何にも出来ない。何の力もない。

 そして分かった。

 コンピュータ特捜官。

 捜査官。それは部外者を意味しているんだ。

 ――あたしは警視庁の人たちに護られる存在なんだ。

 あたしが呆然としていると、太田が叫ぶ。

「一色長! そのまま屈んでてくださいっ」

 あたしはその声の方を向いた。

 太田はこっちを見もせず、拳銃を構えていた。そして、太田巡査長から銃声が数発轟いた。

 パンという音が何度か周囲に響いた。それは三回繰り返された。

 そして、その銃声が周囲の注意を引いていく。

 沈黙と喧噪があたしの周囲を包んだ。

 やがて、太田巡査長がばたりと倒れるのがみえた。

 あたしは慌てて太田の元に駆け寄ろうとした。

 太田は血まみれだった。

 一〇メートルほど離れた場所からそれが見えた。

 あたしは声も出ない。何が起きたのか理解できなかった。

 恐る恐る太田に近づく。

 太田はあたしを見て、小さく言った。

「一色長。顔を確認できなかったですが、あいつは逃げたようです。恐縮ですけど、救急車呼んでもらえますか? C4への連絡もお願いします」

 あたしはその言葉に我に返る。スマートフォンを取りだした。

 でも、手が震えてうまく動かない。

 ――救急車ってどうやって呼ぶんだっけ? C4の電話番号って何番?

 無様に震えるあたしを見て、太田はゆっくりとあたしのスマホに手を伸ばした。

 そして、太田は血塗れの手で、電話を掛けていた。

 ――あたしは一体今、何をしてるんだろう。

 あたしは何も出来なかった。

 今も震えるだけで、血塗れの太田を見てるしかできない。

 ――こんなあたしが警察官だって言うの? それどころか特捜官? 呆れちゃうよ。

 あたしは何にも分かってなかった。

 警察官っていうものを。そして、人を護るっていうことの意味を。

 あたしはバカだった。太田はあたしが傷付けたも同然だ。

 涙が溢れる。

 太田は涙で一杯のあたしを見て困惑するように言った。

「下手打っちゃいました……。すみません」

 あたしは太田のセリフに絶句した。

 ――あたしを護ってくれた太田が、何であたしに謝るの? どうしてっ?

 言葉を失ったあたしに太田は続けて言った。

「九条主任に注意されていたのに――でも、何とか一色長を護れましたよね? 大丈夫ですか? 血、出てますよ」

 あり得ない言葉だと思った。

 だから、あたしはそれが現実に思えなかった。

 嗚咽で何も言えなかった。

 ――だって、おかしいもん。何で銃で撃たれた太田が、かすり傷のあたしを心配するのよっ!

 あたしのせいだって、責めるのが普通だ、

 ――これが警察官? なんでこんなことが言えるの? どうして?

 あたしが言葉を出せないでいると、太田は途切れ途切れに説明した。

「銃弾、まずい場所に当たってるかもしれません。避けるように教えられたんですけど――そのための訓練もしてたんですが、やっぱ、現実はそううまくいかないっすね。あいつ、人を撃つのに慣れてますよ。一色長、気をつけてください……」

 その時分かった。あたしは太田に言わなきゃいけない。

 そうしなきゃ、一生後悔するかもしれない。

 ――そうなったら、あたしは自分を許せないよ。

 だから、嗚咽が止まらなくても、何とか言葉を口にした。

「お、太田巡査長。あ、あ、あたしを護ってくれてありがとう」

 あたしの言葉を聞いて、太田巡査長は微笑んだ。あたしにはそう見えた。

「自分は、ちゃんと一色長を護れましたか?」

 あたしは溢れる涙が止まらなかった。

「う、うん。あなたはあたしを護ってくれたよ」

「よかったです」

 そして、太田は視線を宙に浮かせた。

「九条特捜官、自分は――まだまだでしょうか? それとも信頼して、もらえるでしょうか?」

「なによ、それ?」

 あたしが思わず聞き返すと、太田は我に返ったように微笑んだ。

「自分は、特捜官になれません。でも、特捜官を護ることは出来ます」

 太田がそこまで呟いたとき、あたしの周囲に人だかりが出来ていることに気付いた。

 振り返ると、そこには見覚えのある顔があった。あずさ銀行のシステム部長の大石さんだ。

「一色特捜官! ど、どうしたんですか? 誰に撃たれたんですか?」

 大石部長は血まみれのあたしにビックリしているようだ。

 大石部長はすぐに状況に気付いて、側にいた部下らしい行員に指示を出した。

 そして、あたしが振り返ったとき、既に太田の意識はなかった。

 すぐに太田は警察病院に運ばれたけど――。

 あたしは、医者じゃない。だから、あたしに出来ることは祈ることだけだった。

 そして、あたしは――。警察官、そして、特別捜査官の意味を必死に考えていた。

 祈るなんて――祈るだけなんて意味がない。

 あたしは、太田のために何が出来たんだろう。これから何をすれば良いんだろう。

 あたしは真治に助けを求めたい気持ちを必死に押さえた。あたしは子供じゃない。

 あたしはコンピュータ特捜官一色沙織。

 太田が憧れていた特別捜査官。

 あたしは自分一人で、どうすればいいのか、考えなきゃいけないんだ。

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