沙織の矜持
「その怪我は一体どうしたんだ?」
警察病院から帰ってきたあたしを、なぜかお父さんは待ち受けていた。
「べ、べつに――」
あたしは「たいしたことないわよ」と言おうとした。
だけど、声が震えて涙が出そうだった。
だから、そのまま言葉を濁して立ち去ることにする。
あたしは靴を脱いで、お父さんの横をすり抜けようとした。
そしたらお父さんは、あたしの腕を掴んでそれを止めようとしてきた。
それはほとんど力を入れられていなかったけど、怪我をした肘には十分だった。
「痛いっ!」
あたしが短く叫ぶと、慌てたようにお父さんは手を引っ込めた。
「悪かった。だけど、教えてくれ。一体どうしたんだ?」
お父さんを見た。目に不安がある。それが分かった。
そして、あたしの頭の中で理解したことがあった。
あたしは一人の特捜官として、みんなに信頼されなきゃいけないんだ。
――あたしは、太田に身を挺して守ってもらった。命を賭けて。
あたし自身がそれに応えなきゃいけない。
太田のしてくれたこと。あたしは、それに意味があることを証明しなきゃいけない。
あたしは、泣き出しそうな感傷を振り切った。それがあたしのしなきゃいけないことなんだ。泣いてなんていられない。
キッと目を上げて、お父さんを睨んだ。
「心配してくれて有り難う。だけど、あたしは特捜官だよ。怪我をすることだってあるわ。それに仕事のことを家族に漏らすなんて出来ないよ」
その言葉に、お父さんはビックリしたようだ。
だけど驚きの目のあと、お父さんが微笑んだような気がした。
「――分かった」
そして、しばらく考えた顔の後、あたしに背を向けて続けた。
「だが、気をつけてくれ。あずさ銀行は安全じゃないんだろ?」
お父さんの言葉にあたしはびくっとした。何であずさ銀行のこと知ってるんだろうか?
C4のメンバーがら伝わるはずがない。誰が言ったんだろうか。そして、気がついた。
あたし、あずさ銀行の封筒を幾つか持って帰ったことがあった。たぶん、それだ。
あたしって、まだまだ甘い。考えが浅い。あたしは泣きたくなるくらい子供だ。
早く大人にならなきゃいけない。
――もし、あたしが真治だったら? あたしは何をするだろう。何をしなきゃいけないんだろう。
あたしは、まずあの外国人が使った拳銃を調べることにした。
銃弾からライフリングが分かる。そうすれば使った銃も分かる筈だ。
でも、それは既に刑事部が調べさせているだろう。ただ、あたしは実際にその銃を見ている。
なにかの役に立つかも知れない。
銃の形状を色々なサイトで調べた。
そして、一時間ほどで、あたしは銃の種類を特定することが出来た。細かい形式は分からないけど、何処製の何かは分かった。
――今度は何をすればいい? 太田を襲った犯人を探しに行く? でも、どうやって?
違う。あたしがすべきことは、そんなことじゃない。
あたしが今必死に逃げ出していること。それをしなければダメだ。
あたしはしなきゃいけないことがあるんだ。
あたしは太田の家族に会わなきゃいけない。
会わせる顔なんてなかったけど、それはしなきゃいけなかった。
それが、あたしの大人としての責任だ。
太田の父親は署長まで務めた元警察官だと田神班長から聞いた。
柔和そうな顔をした人だ。
ただ、大きな傷が顔にある。
それが、警察官の仕事の意味を明確に主張しているように思えた。
そして、優しそうな母親と共に、警察病院の待合室であたしを出迎えた。
あたしは叩かれることを覚悟してた。
だけど、警察病院の待合室であたしが頭を下げた後、発せられた言葉は意外なものだった。
「あなたが一色特捜官でしたか――」
そう言って、あたしをじっと見つめている。そして、感慨深げに続けた。
「息子はめったに家に帰らなかったんですが、あなたともう一人の九条特捜官の話を沢山聞かせてもらいました。息子があなたたちのことを話すときは、まるで憧れの人のことを話すように、誇らしげで熱心でしたよ」
あたしは、その言葉に、何も答えられなかった。
「息子はどうでしたか? 息子も、ちゃんとあなたを守れたでしょうか?」
父親は、あたしの左肘に巻かれた包帯を気にしながら尋ねた。
「守る?」
あたしが聞き返すと、父親が薄く微笑んだ。
「息子はあなたを必死で守ろうとしていましたよ。息子はC4における自分の役どころを理解していたようです」
「役どころ、ですか?」
あたしはその意味を理解できずに、聞き返すしかなかった。
「ええ。それは、あなたの盾になるということです」
そう言って太田の父親は説明を続けた。
「組織は頭だけではダメですから。手足や、再生可能な皮膚がなければ維持できないんですよ。息子は、そのために訓練をつんだはずでしたが、まだまだ未熟だったんでしょう……」
あたしは、涙を堪えられなかった。
「太田巡査長がいなければ、たぶんあたしが撃たれていたでしょう。太田巡査長はあたしの身代わりになったんです」
あたしが涙ぐむと、母親があたしに何かを言おうとした。
「あなたが――」
だが、太田の父親はそれを遮って、強く言った。
「もしそうなら、あなたを守ったあの子を褒めてあげてください」
「はい――」
あたしはそれ以上何も言えなかった。
母親の方は、あたしに背を向けて、もう何も言葉を発そうとしなかった。
それを見て、父親がゆっくりと口を開く。
「息子はすべき仕事をしただけです。あなたも気にしないでください。おそらく警察は威信にかけて被疑者を特定するでしょうから」
太田の容態は、まだ予断を許さないと聞いている。
それでも冷静なその言葉は、元警察官としての矜持だろうか。
その言葉を聞いて、あたしは決意を堅くした。あたしは、太田のしたことに意味があることを証明しなきゃいけないんだ。
「あたしは――あたしなりの方法で、太田巡査長を撃った犯人の手がかりを追います。あたしがそれをしなければ、顔向けできないから……」
あたしの言葉を聞いて、太田の父親は、厳しい顔つきで言った。
「無理はせんでください。あなたに何かあれば、息子がしたことが無駄になりますから」
あたしは小さく頷いた。
「はい」
真治は別の捜査に行ったままで、あたしから連絡も付かない。
だけど、連絡が一度だけあったそうだ。
真治は電話を取った加奈子から太田の話を聞いたとき、長い沈黙の後「沙織は無事だったんだな?」とだけ確認したという。
そしてあたしはC4所長の佐々木警視正に進言した。
「あたし、太田の件、最後まで追うつもりです」
佐々木所長は困ったように言う。
「既に捜査一課が動いてる。一色特捜官に出来ることは――」
「あたしが襲われたんですよ? 太田巡査長はあたしの身代わりだったんです! その理由をあたし以上に分かる人なんていません」
そして、あたしは気付いたことがあった。
あの直前、スマホに衛星のアイコンが出ていた。あれはGPSの位置取得だった可能性がある。
「今思えば、直前にスマホであたしの居場所を確認された可能性があります。あたしの名刺に携帯番号があるから、そこからあたしのスマホを特定されたかもしれない」
スマートフォンの大まかな所在地を把握するのは容易だ。
ただ、それは事前にスマホを持っている人の承認が必要になる。普通だったら、「位置情報の取得をされています。承認しますか」のような確認があって、承認するか、最悪放置された場合に限って提供される類いのものだ。
もちろん位置情報を必須とする怪しげなアプリなんか、あたしがインストールするはずがない。
だけど、電話会社に特別なコネがあれば、もし、相手が大規模な組織なら、それを回避して位置情報を把握する手段があるかも知れない。
例えば、一一〇番通報をする時、その携帯電話の所在地は警察に通知されている。
電話やメッセージの発信時の所在情報の通知手段はいくつか知っているけど、こちらが何もしていないときに、一方的に位置情報を把握する方法なんて、あたしは知らない。
でも、その可能性も考えておくべきだ。
「だが、強行犯はC4の所管じゃないぞ」
所長の言葉にあたしは頷いた。
確かに、強行犯は強面の刑事部捜査一課の所管で、生活安全部のC4なんかの出る幕はない。特に拳銃が出るような案件で、出しゃばっていけるはずがなかった。
佐々木所長はさらに追い打ちをかけるように言ってきた。
「一色特捜官は、太田を撃った銃が何だかも知らないだろう?」
あたしは頸を横に振った。それは知っている。
「調べました。シグ・ザウエル。高価で予算が潤沢な組織でないと使えない自動拳銃。九ミリパラベラム弾」
あたしの言葉に佐々木所長は眉をひそめた。
「そんなはずはない。別な銃痕だと聞いている。それに、もしそうなら襲った人間は――」
予想外の反論に佐々木所長は驚いたように言ってきた。
あたしはその言葉を途中で遮った。
「あたしは襲ってきた人間が銃を取り出すところを見ています。間違いありません」
所長はしばらく考えた顔をしてから、あたしの方を見つめた。
「それが事実なら、かなり複雑な事件と言うことになる。それは、C4が関われる範疇ではない。コンピュータに関係する事件ではないからな」
「ご心配なく。あたしはあたしが出来る捜査をします。別に、強行犯に関わるつもりはありませんから」
あたしの言葉に、佐々木所長はほっとしたような、でもまだ不安そうな顔を見せてくる。
「それから、所長に聞きたいんですが、九条特捜官はどこをほっつき歩いているんですか?」
あたしの言葉に佐々木所長は苦笑しながら答えてきた。
「別件だ。それ以上は言えない」
――あたしに言えない? 同じ特捜官の同僚に言えないってどういうこと?
あたしは所長の言葉に聞くしかなかった。
「真治は、あずさ銀行が危険だって知ってた! その理由を知りたいんですっ」
所長はあたしの言葉を聞いて、驚いた顔を示した。
「何? ホントか?」
佐々木所長はその言葉に衝撃を受けたようだ。小さく呟くように言う。
「それはまずいな……」
――まずい? 何がまずいんだろう?
所長はしばらく考えた素振りをした後、佐々木所長は加奈子を呼んで厳しい口調で指示した。
「大場巡査、太田巡査長に代わって、一色特捜官の補佐を命じる」
加奈子はその命令を受けて、復唱する。
所長は、続けて強い口調で指示した。
「あずさ銀行では一色特捜官から一歩も離れるな!」
「はい。分かりましたっ」
加奈子の言葉に、佐々木所長は厳しい顔のままで続ける。
「いいか? ヘマをするなっ。C4の関係者から二人目の犠牲者を出すわけには行かないからな」
二人目の犠牲者?
嫌な言葉だ。
なぜ怪我人ではなく犠牲者なんて言葉を使うんだろう。あたしは、加奈子を不安そうに見つめた。
加奈子はあたしの目に気付いて、微笑んで言う。
「私は柔道と剣道の段位も持っていますし、何度も賞を取ってます」
「え? そうなの? そんなに身体細いのに?」
あたしがビックリして聞くと、加奈子はなぜだか寂しそうな笑顔で頷いた。
「はい。太田巡査長と、やりあったこともあります」
加奈子は女だから、あたしと一緒に居易いという判断なんだろう。
佐々木所長はきっぱりと言い切った。
「九条特捜官の件は、こっちでも調べる。理由が分かったらすぐに連絡させる」
そう言って、話を打ち切られた。
所長室から追い出されたあたしと加奈子は、顔を見合わせるしかなかった。
所長は、かなりあせっているようだった。
別に聞き耳を立てたわけじゃないけど、所長がどこかに電話している。
「恐らく……報告させていた……、知られたから……監察官……」
途切れ途切れにそんな言葉が聞こえた。
あたしは最後の監察官という言葉にビックリした。
警察官の悪事を調べるのが監察官だ。
そんな言葉を本部で聞くことになるはずがない。
だから、絶対聞き間違いだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます