あずさ銀行の真実
あたしは新見課長に宣言するしかなかった。
「新見課長。あたしと調査した内容を、今後一切大石部長に報告しないでください」
あたしの言葉に、新見課長は慎重に尋ねてきた。
「それはどうしてですか?」
「田辺を陥れたのが大石部長の可能性があるからよ」
「そうですか」
あたしの言葉に、新見課長は驚いていなかった。
あたしはそのことに逆に驚かされた。
「驚かないんだ?」
「ええ」
新見課長はあたしの方を意味ありげに見返して説明を続けた。
「一色特捜官と太田さんが怪我をされた時、私も大石部長と共にあの場にいたんです。あの時の部長の言葉を覚えてらっしゃいますか?」
新見課長はゆっくり呟くように言葉を発した。
「大石部長は『誰に撃たれたんですか?』と一色特捜官に尋ねられました」
あたしは頷いた。確かに大石部長はそう言っていた。
新見課長は真剣な表情で、言葉を続ける。
「しかし、あの場で銃に撃たれたとどうして気づけたのでしょうか? 警察官ならまた話は別かも知れません。しかし一般人があの場で何が起きたのか、すぐに分かるはずはありません。実際、私がその場で起きた出来事を把握したのは、ニュースを見てからでしたから。それに――」
そう説明した後、若干のためらいを見せてから、新見課長はきっぱりと言い切った。
「一色特捜官の言葉なら信じられるような気がします」
新見課長の信頼の言葉に、あたしは少しだけ赤くなった。
あたしはゆっくりと言う。
「じゃあ、もうちょっとだけ協力して。今回のツールの調査じゃなくて、あのよく分からなかった大量のトランザクションの調査をもっとしなきゃいけないの」
「確かに、田辺の口座に振替えられたのは小額でした」
新見課長は頷いた後、続けて問題点を指摘してくる。
「ただ、問題があります。大石部長は早く援助を終了させようとしています。宿木専務も傷害までおきたこの件に関して、早く収束させたいことは確実です。私が一色特捜官に協力できるのは、せいぜい明日まででしょう」
今日を入れて、二日間だけ。
短すぎる時間だけど、やるしかない。
「それでいいわ。明日までに調べ上げましょう」
あたしと新見課長と加奈子の三人で調べ始めたのは、振替先口座だった。
それはざっと数えて、百近くの数があった。
そのほとんどで、新見課長も見たことのない銀行のコードが指定されているらしい。
そして、それを表に纏め上げるのにほぼ半日を費やした。
新見課長は、その口座がプログラムソースに含まれていないか、検索する役割を負った。
田辺の口座情報みたいに、プログラムに含まれているかもしれないからだ。
あたしが貸与されたPCを新見課長は操作し続けている。
そして、検索結果は、ゼロだったようだ。
途方にくれる新見課長に、あたしは尋ねた。
「新見課長、どれでも構わないんだけど、分かる銀行コードは本当に一つもないの? それって変じゃないの?」
あたしの言葉に、もう一度口座の一覧を眺め始めた新見課長は独り言のように小さく言った。
「海外向けの仕向送金で、コルレス勘定を複数経由するものなんてあまりありませんから」
出た! 専門用語だ。
あたしは、この銀行に来てから知らない用語のてんこ盛りにうんざりし始めていた。
仕向送金、コルレス勘定。
どっちも意味不明だ。
言ってる意味がぜんぜんわからない。
とりあえず意味を聞いてみた。新見課長は即答してくる。
「海外の口座に直接送金せずに、中継地点の銀行に送金しているんですよ。最終目的地が正しく指示されないと、中継地点の銀行が何のための送金がわからなくて、送金が途中で止まってしまう危険性があります」
「なにそれ? そんなことあるの?」
あたしはそんな状況がまったく想像が出来なかった。
「メジャーな金融立国以外への送金では、たまにありますね。バルバドスとか、セントクリストファー・ネイビスなんかに送金する場合がそうです」
そんな国、高校の地理の時間でも一度も聞いたことのないに違いない。自信がある。
「聞いたことないけど、それってどこ?」
あたしの質問に、新見課長はこちらを見もせずに世間話のように短く説明をしてくる。
「英連邦王国の小国ですよ。小さな島国で、観光地としてはいいところらしいですよ」
そこまで言いかけて、新見課長は突然「ん?」と怪訝そうな顔をした。
「この口座、見覚えがありますね」
あたしが新見課長に顔を向けると、何かを思い出すように考え込んでいる。
そして、思い出したようにPCの操作を始め、一つの社内通達を探し当てたようだ。
「通達に出ていた、マネーロンダリングの懸念の有る口座ですね。間違いない」
「マネーロンダリングの懸念の有る口座?」
マネーロンダリングは、別名、資金洗浄と言う。
出所が怪しいお金をいろいろな手口で痕跡を消して、普通のお金に換えてしまう手口を言う。
麻薬とか不正な武器売買で得た利益を、全然関係ない保険とか口座に移して、それを何度か繰り返す。それによって、元の出所を分かりにくくする。
それがマネーロンダリングだ。
「警察庁と外務省から金融機関各社に届出を要請されている口座があって、そのうちの一つです。御存知ありませんか?」
「警察庁? あっちは捜査機関って言うより、行政機関だからなあ……。真治――九条特捜官は付き合いがあるらしいけど、あたしはあんまり知ってる人いない――」
そこで、不意にあたしは思い出した。
外務省の人を知ってる。しかも参事官だ。偉いなんてレベルじゃない。
だけどいいんだろうか。
一瞬だけ考えたけど、躊躇している余裕なんてない。
あたしは、財布の中から七尾さんの名刺を取り出した。そこに書かれた個人携帯番号に電話することにする。
七尾さんはすぐに出た。あたしは名前を名乗ってから、すぐに本題に入った。
すると、七尾さんは何でもないことのように即答した。
『ああ、その口座なら知ってますよ。ついこの間判明した口座ですから。ICPO経由で手配された資金洗浄の恐れがある口座ですね』
それを聞いて、あたしは七尾さんがマネーロンダリングに詳しいと思った。
いい機会だ。色々聞いてみても罰は当たらないだろう。
「あの、資金洗浄の恐れがある口座への送金って、どういうケースで起きるんですか?」
七尾さんはあたしの質問に快く答えてくれた。
『一番多いのは、タイミングの失敗だろうね」
タイミングの失敗? どう言う意味だろう。
あたしが怪訝に思って黙っていると、七尾さんが説明を続けてきた。
『つまり、資金洗浄の恐れがある口座って言うのは、知られた時点でもう使い物にならなくなるんだ。だから、新しい口座に振り込むべきだったのを、知らずにまだ前の口座に振り込むって言うケースじゃないかな。残念だけど、外務省が指定した時点で、もう情報は古くなっているんだよ。これでいいかな?』
「はあ、それって指定そのものは余り意味がないって言うことですか?」
『そんなことはないですよ。口座凍結というのは不正な資金を断つという意味でとても強力な措置なんです』
分かった。口座の資金が移動できなくなるということが目的だから、犯罪に使った資金を没収する効果を期待しているということらしい。
あたしが丁寧に感謝の言葉を述べると、七尾さんは面白そうに続けた。
『今度、是非一緒にお話させてください。イギリス軍で訓練を受けたこともあるんで、外務省では私が一番銃とか詳しいんですよ。そのあたりの話でも……』
「はあ。またお時間があれば――」
あたしはそう言って電話を切った。
残念だけど、警視庁であたしが一番銃のことを知らないから、会話が弾まないことは明白だろう。
あたしが困惑している様子に気付いて、新見課長は薄く笑うと、社内通達を指差した。
「これです。おそらく、通常の送金手続きではないので、見過されていたんでしょう」
「でも変じゃない? 大石部長が関与していたとして、何で、そんな国際手配されているような口座に送金してるの? 自分の口座に送金するんだったら分かるけどさ。それに、何でこんな変な口座に送金してるのに、プログラムを調べても、この口座情報がないの?」
あたしの追加の質問に、新見課長はしばらくあり得る可能性を考えていたようだった。
そしてゆっくり答えてきた。
「口座情報をプログラムではなく――何かのデータとして持っているのかもしれません」
「ありえるけど、それって調べることは出来る?」
「出来ますが、時間が掛かりますね。少なくとも、数日で出来るような作業ではありません」
それを聞いて、田辺が言っていたセリフを思い出した。
「
「そうです。良く御存知ですね? メインフレームは苦手かと思っていました」
正解だ。だけど、人から言われると結構むかつく。
「特捜官を舐めないで」
あたしはちょっとだけ不機嫌な顔を装ってから続けた。
「口座情報は暗号化して持たせているのかもしれないわね。ファイルに持たせているにしても、プログラム内に記載しているにしても、口座情報をダイレクトに持たせると、危険でしょ? 標準化チェックで分かってしまう可能性があるから。暗号化が不自然じゃなくて、利息計算をするプログラムはどのくらいあると思う?」
「当社のデータベースにおいては、顧客の生年月日が暗号化されています。プログラムの実行の都度複合することになっていますから、そこに紛れ込まれるのが一番わかりにくいでしょう」
「何で生年月日を暗号化してるの?」
新見課長は当然のことのように説明をしてきた。
「個人情報保護のためです。データベースからデータを抜き出しても、生年月日が分からなければ、最終的に個人を特定できませんから。よく電話で本人確認のために生年月日を聞かれるのは御存知でしょう?」
あたしは納得して、頭の中を整理した。
生年月日を含んで、利息計算をするプログラム。その中に紛れ込ませているんだろう。だけど、大石部長自ら修正したとは思えない。誰かにやらせているはずだ。
「大石部長がプログラム開発を依頼するとしたら、それは一体誰にやらせると思う?」
「確かに、部長が自ら変更したら目立ちすぎるでしょうね。ですが、おそらく、そんなことを依頼する人物はもういませんよ」
新見課長は残念そうに言った。あたしはその言葉がどういう意味かわかんなかった。
「どういう意味よ?」
あたしが聞き返すと、新見課長は肩を竦めて説明する。
「部長付けの開発担当者がいましたが、現在は退職しています。その開発担当を使わずに直接開発依頼するのは、まあ無理でしょうね」
「退職者?」
あたしは、退職者にインタビューできるかどうか一瞬悩んだ。
――あれ? こんなこと、前にも一度あった気がする。
あたしはしばらく考えて、思い出した。
例の田辺の口座を調べたときに、そのプログラムへのアクセス一覧に、退職者がいたんだ。
あたしは、段ボール箱からアクセス一覧を探した。そして、それを見つけた後、あたしはそれをじろじろ見た。
退職者の名前を頭の中で読み返した後、あたしの全身に衝撃が走った。
――何でいままであたしは気付かなかったんだろう?
そして退職者が書かれた紙を、新見課長の前に示す。
「ひょっとしてこの人?」
あたしが示した紙を見て、新見課長は戸惑いながらも頷いた。
多分、これだ。
コイツがすべての証拠を握っていたのに決まってる。
退職者の名前は、坂上真一と書かれていた。
それは、あたしが渋谷署で取り調べた、あの転売屋だ。
そして、刑務所で殺された。
「グローバル・アクセス・バンク……」
あたしは小さく呟いた。
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