捜査一課の横やりと小田監察官の疑惑

 あたしが考えていると、突然ドアが開いた。

 そこには厳しい顔をした大石部長が立っていた。

「犯人が見つかったと聞きました」

 大石部長の横には新見課長が立っている。新見課長が口を開いた。

「部長の指示で既に捜査一課に連絡しました。すぐに刑事がやってくるでしょう」

 ――は? 何のこと?

 あたしは半ば混乱して、悲鳴じみた叫びをあげる。

「ま、待ってよ! まだ何も判明していないわ」

 あたしのほうを向いた大石部長がかすかに微笑んだ。

「御謙遜を。あなたがいなければ、この男が犯人だと分かりませんでしたよ。どうもありがとうございました」

 そう言って深々と頭を下げる大石部長を見て、あたしは考えた。

 ――まずい。

 捜査一課から刑事がやってきたら、田辺は任意同行を求められるだろう。

 強行犯を担当する捜一は甘くない。恐らく逮捕状も取ってくるはずだ。

 任意同行を拒否したら、間違いなく逮捕される。

 そしたら、もうあたしは事情聴取できなくなるだろう。

 いや、それどころか事件の幕引きの犠牲になる可能性だってありそうだ。

 実際に警官が撃たれているんだから、取り調べは過酷に違いない。

 所長に相談する?

 ちょっとだけそう考えたが、それはダメだ。

 捜査一課長にC4の所長が意見できるはずがない。組織としてセンターと課は同格じゃない。

 そもそもC4が所属する生活安全部と捜査一課の刑事部とでは相手にならない気がする。

 ――どうすればいい? 何とか今のうちにできることは……。 

 その時、あたしはひらめいた。

 

 そうだ、先に行動できるのならやれることがある。

「田辺さん」

 あたしは田辺の方を振り返って高らかに宣言する。

「私は、あなたにコンピュータ犯罪対策総合センターに任意同行することを求めます。よろしいですか?」

 田辺はあたしの言葉にぎょっとしたようだった。

「え? 何で?」

 あたしは小声で田辺に囁くように説明する。

「応じないと、あなたは捜査一課の刑事に逮捕されちゃうの。あたしの方がましだと思うよ?」

 事件で複数の所属の刑事がかち合うことは珍しくない。

 所轄と本部でかち合ったときは暗黙の裡に本部が優先されることが多いかもしれない。

 だけど、本部同士、所轄同士の場合、特に被疑者の身柄をどこが抑えるかが重要になる。

 そして、被疑者が複数事件でかち合ったときの主管部署がどこになるかの争いは、日常茶飯事と言っていい。

 そんなときに主管を決めるルールは明快なんだ。

 それは早い者勝ち!

 身柄を確保するときに、複数の機関が動いていたとしても、先に確保した方に優先的な捜査権がある。

 あたしが先に確保すれば、あたしが先に話を聞けるんだ。

 田辺はビックリしたようだけど、その意味に気付いて頷いた。

「分かりました。任意同行に応じますっ」

 あたしは、加奈子の方を向いた。

「今すぐ、C4に戻るわよ? 田辺さんを連れて、ね」

 加奈子はあっけに取られていたけど、すぐに頷いた。

 大石部長と新見課長は、まだ混乱しているようだった。あたしは、新見課長に言い放った。

「この前、頼んだ資料はC4まで送付ください。お願いします」


「まずいことをしてくれたなぁ」

 技術支援班長の田神警部はぼやくようにあたしに言ってくる。

「刑事部とことを構えることになりかねないよ。人生最大の危機だ。ピンチだ」

 田神班長はそうは言いながらも、気にしているのは手間が増えたことに対してのようだった。

 本気で困っているようには見えない。

「そこはそれ、警察内の軋轢を気にしない特捜官の暴走ということで、纏めていただけませんか? そもそも、あたしだって被害者ですよ?」

 あたしがぺろりと舌を出して言うと、田神班長はため息をついた。

「もう所長の方に抗議が来てるらしいよ。捜査一課長から」

「大変そうね」

 あたしが感想を述べると、田神班長は呆れたように呟いた。

「他人事なんだ? まあ状況は聞いたけど、もっとうまい方法があったんじゃないかね?」

 田神班長はもう一度ため息をつくと、所長に呼ばれていそいそと所長室に向かった。

 あたしは、加奈子と共に田辺がいる取調室にいく。

 田辺は捨てられた子犬のような目で呆然と椅子に座っていた。

 あたしに気付いて、田辺が情けない声を出してくる。

「あの、俺ってこの後どうなるんですか?」

「え? まあ、しばらく休みを取ることにすればいいよ。有給休暇あるでしょ? 後であたしが新見課長に話してあげる。だけど、ここにいる間だけでも、あんたには協力してもらうわ」

 あたしの言葉で、田辺は被疑者扱いされていないことに気づいたらしい。

「何で、俺のことを信じてくれるんですか?」

「今回の件は怪しすぎるわ。もしあんたが犯人だったら、辻褄が合わないことが多すぎるの」

 あたしがその説明をしようとしたとき、突然、取調室に田神班長がやってきた。

「一色特捜官。佐々木所長から話があるそうだ」

 ――来た。お小言だ! ヤバイっ。

 だけど、逃げるわけにはいかない。

 あたしは「すぐ戻るから」と言って、取調室を離れて、所長室に向かった。

 あたしはドアをノックしてから「一色巡査部長、入ります」と申告して中に入る。


 所長室には、佐々木所長のほかに知らない人がいた。

 ――ひょっとして捜査一課長?

「待ってたよ。一色特捜官」

 佐々木所長は、あたしを見て座るように言った。

「なかなか暴れているようだが、大丈夫かね?」

 あたしが「はい――」と言って捜査一課のことを口に出す前に、佐々木所長が言葉をつづけた。

「ああ、そうそう、捜査一課長には私のほうから言っておいたから、心配しなくて良いよ。向こうも最初はケンカ腰だったけど、こっちは怪我人が出てるんだって言ったら、『お察しします』って引っ込めてくれたから」

「あ、ありがとうございます」

 あたしは毒気を抜かれて答えた。さすがは所長だ。

 だけど、もしそうなら、隣にいるこの人は誰なんだろう?

 あたしの目線に気付いて、佐々木所長は一瞬躊躇ってから言った。

「ああ、紹介が遅れたね。この人は私の旧友で、小田監察官だ」

 小田監察官は、座ったままあたしに手を伸ばした。

 握手の後、小田監察官は、佐々木所長に目で何かを聞いた。

 佐々木所長が小さく頷くと、小田監察官はあたしに聞いてきた。

「一色特捜官に尋ねたいことがあります」

「え? あたしに?」

 ――監察官が? いったい何だろう。

 世間話だろうか。最近のサイバー犯罪の動向とか?

 あたしの疑問は、小田監察官がすぐに打ち砕いてきた。

「九条特捜官に関する事項です。これは監察官としての質問だと思ってください」

 あたしはビックリして目を白黒させた。何であたしに真治のことを聞くんだろう?

 あたしが戸惑いながらも頷くと、小田監察官が質問してきた。

「入院した太田巡査長がいつもあなたのそばにいたのは、九条特捜官が指示したためだと聞きましたが、事実でしょうか?」

「はい。太田からそう聞きました」

 あたしがおずおずと答えると、小田監察官は続けて聞いてくる。

「太田巡査長は、あなたがやっていた捜査を克明に記録して、九条特捜官に報告していたことは知ってますか?」

「え? そうなんですか? でも、あたしはちゃんと報告書出していたけど?」

 あたしはびっくりして、つい聞き返してしまった。

「報告書に書かれていない事項を知りたかったんでしょう」

 小田監察官は、別に咎めることもなく、感想を述べてきた。

 その言葉に、あたしは前にグローバルアクセスバンクのことを報告書に記載しなくて、真治に怒鳴られたことを思い出した。

「真治ってば、あたしがまた書かないかもしれないって思ってたのね?」

 ついあたしから出た地の声に、小田監察官は微笑んでいた。そして、口を開いた。

「九条特捜官は、あなたを監視させるために太田巡査長を同行させたのかもしれませんよ」

 あたしは小田監察官の言葉の意味が分からなかった。

 あたしは恐る恐る尋ねてみた。

「ひょっとしてあたし、何か疑われているんですか?」

「疑われているのはあなたではありません」

 あたしはその瞬間気付いた。

 最初に『九条特捜官に関する質問』って言ってた。

 ――真治が監察官に疑われてる! 一体何を? そんなバカなっ!

 そして、次に差し出された写真を見てあたしは絶句した。

「この写真の人物に見覚えはありますか?」

 真治と外国人らしい人物が話し込んでいる姿が映っている。

 スーツ姿で何だかごつい男だ。肌は白で、瞳はブルー。

 その写真は、親しげにその外国人が話しかけ、真治は憮然としている場面に見えた。

 そして、あたしはその男を知っている。

「これは――誰ですか?」

 あたしは狼狽する姿をごまかすようにそう尋ねることしかできなかった。

「それは、外交的見地から明らかにできません」

 小田監察官は拒絶の言葉を発した後、あたしを厳しい目で見つめて続ける。

「この人物をご存じですね?」

「はい……」

 あたしは言うしかなかった。

「この男は、あたしを撃った被疑者です」

「ほぅ。あなたを撃とうと? それは妙ですね。そんな人物がなんで九条特捜官と親しげに話しているんでしょう?」

 小田監察官は皮肉めいた質問をしてきた。

 あたしはそのことに反発を覚えて言い返した。

「お言葉ですが、この写真を見る限り、親しげには見えません。むしろ、真治は拒絶しているように見えるわっ」

「なるほど。そして、この男がシグ・ザウエルを持っていたというわけですね?」

「ええ。確かに見たわ」

 その瞬間、なぜか、小田監察官の表情が緩んだように見えた。


 とぼとぼと自席に戻ったあたしは、ドスンと自席に座った。

 あたしを襲ったやつをもう一度考える。

 あたしが調査を続けるとまずいと思ってる。つまり、あたしのことをよく知っている。

 人を殺すことを躊躇しないヤツを使える。

 あたしの報告を知りえる立場にいる。

 そして、そいつは恐らくコンピュータに詳しい。

 たぶん、それはあたしのすぐ近くにいる人間だ。

 あたしの頭に思い浮かぶ顔は信じたくないものだった。

「まさか真治が?」

 そんなはずない。絶対ない。

 だって、C4にやってきた時、何であたしを警視庁の特捜官に推薦したのか尋ねたときがあった。

 その時、真治は言った。

『技術力を持っている人間を探し出すのは、実はそれほど難しいことじゃない。しかし、その中で信頼できる人間を探すとなければ話は別だ』

 真治は何かを思い出すように続けていた。

『苦肉の策として、悪事に手を染めた人間を採用するケースもある。だが、そんなのは例外だ。そんなヤツは信頼されない。せいぜい仕事の内容を信用するだけだ』

 そして周囲の警察官を指さしてこう続けた。

『俺たちは、誰かに背中を預けて信頼しあわなければ、仕事なんて出来ない。後ろから撃つ危険がある人間を仲間にするなんて、百害あって一利なしだ』

 そしてあたしを見つめて、真剣な顔をしてゆっくり言ったんだ。

『そして、俺は沙織を信頼できる。だから俺はどうしても沙織が欲しかった』

 あたしはその言葉を信じてここまで来たんだ。

 だから、絶対そんな筈ない。

 ――だけど、もしそうなら、あの男と一緒の写真は何なの?

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