第三章 人間とコンピュータの狭間で

悪意に基づく行動の証明

 問題点の根幹に気付いたあたしは、百円未満の小さな振込明細をピックアップすることにした。

 普通の取引だったら少額で振り込みを行うケースは少ないと思ったからだ。

 太田と手分けして、片っ端から明細データを漁った。そしたら、興味深いことが分かった。ごく最近、特定の銀行に振込みが集中している傾向がある。

 沢山の口座にまぎれているけど、明らかに集中している口座も含まれていた。

「集中している口座があるから警告が出たのかな?」

 あたしが呟くように言うと、太田が首をかしげた。

「一色長。過去の情報を見た結果だと全然口座が集中してませんけど?」

「ほんと? ということは、ごく最近集中するようになったってこと? だとしたら、それがいつからか調べる必要があるわね」

 ダンボール二箱の明細を、丸一日かけてチェックした。部屋の中はリストで一杯になった。

 調べた結果、明らかに最近三日間で特定の口座が使われだしている。

 しかも、それは国内の銀行口座だった。

「変ね。何で最近になって、口座が集中してるの? しかも、国内の口座なんて……」

 その銀行口座をメモに書き写してから、窓の外を眺めた。もうかなり遅い時間だった。

「太田巡査長。そろそろ今日は終ることにしない?」

「そうすね」

 太田は疲れを見せずに答える。

 太田はあたしより七歳も年上だ。

 あたしはこんな性格だから、かなりきついことを言ったりもするけど、太田は怒ったりしない。

 たまに泣き言はあるけど。

 あたしは、その時ふと思って聞いてみた。

「あのさ、太田巡査長に一度聞いてみたかったんだけど。あたしみたいな年下の女にいろいろ指示されて腹が立ったりしない?」

 あたしの問いに、太田はビックリしたように聞き返した。

「自分が? そんなわけないっす。一色長は憧れの特捜官ですよ? それに階級が上だし……」

「えー? 憧れって何?」

 あたしが尋ねると、太田は取り成すように慌てて言った。

「そういえば、九条特捜官に一つだけ言われていることがあります」

「真治に?」

 あたしは不思議に思って問い返した。

「ええ。九条特捜官は自分より経験が長くて、憧れなんて恐れ多くていえない人なんですけど――一つだけ言われました。一色特捜官がやばいときは、身を挺して守れって」

 そんな台詞を真治が言う姿は、あたしにはまったく想像出来ない。

 普通にからかった時に、太田が誤解したんじゃないだろうか。

「えー? ホントに?」

 あたしの言葉に心外そうに太田が力説する。

「ホントっすよ。だからあずさ銀行の区画も一色特捜官と一緒にしたんだと思います」

「真治は、あたしがそんなに信じられないのかなあ?」

 あたしが小さく言うと、太田は慌てて首を横に振った。

「違いますよっ! 九条特捜官から聞いたのは、役割が違うってことですっ。一色特捜官には、代わりがいないんです。でも、自分は沢山いる警官の一人じゃないですか。だから、九条特捜官がいないときに、一色長が危険な現場にいくなら、必ず側にいろと言われているんです」

「な、何よそれ?」

 どういう意味だろう。

 ――側にいろ? 危険な場所?

 あたしが困惑していると、太田が真剣な口調で言ってきた。

「自分はそのための訓練を受けているんです。でも、一色長は違いますよね? だから、自分たちがいるんです。安心してください」

 真治がそんなことを言ってた? ほんとうだろうか?

 ――あたしってば、真治に大切にされてるっていうわけ?

 太田の言葉に驚いたけど、突然その言葉の真の意味に気付いた。

「ねぇ、それって、この銀行にいることが危ないって言うこと?」

 あたしは、そのことを理解して絶句した。

 ――なんで? 真治は一体何を知っているんだろう?

 何があるんだろうか?

 あたしは突然心の中に暗雲が立ち込めるのを止められなかった。


 翌日、あたしはC4に出庁したけど、真治はいなかった。

 加奈子に聞いても真治がどこにいるか知らなかった。真治は携帯を持ってないから、連絡のつけようがない。

 ――まったく、コンピュータ特捜官が電話連絡できないないなんて、どうして許されるのっ?

 あたしは、簡単に報告だけ纏めた後、バカ真治の机の上に報告書をおいて、連絡よこすようメッセージを置いた。そして、太田と共にあずさ銀行に向かった。

 そして部屋につくと新見課長に電話をかけた。

『はい。新見ですが?』

 あたしが名乗ると、すぐに聞いてくる。

『何でしょう? 例の件でしたら、まだ調査中ですが……』

「あ、違うの。今から言う口座が含まれているプログラムを検索することって出来る?」

 あたしが、昨日見つけた、最近集中している口座情報を説明すると、新見課長が戸惑ったように聞いてきた。

『プログラム検索すればすぐに分かりますが、何の口座なんですか?』

「後で説明するから、とにかく調べてもらえますか?」

 あたしがお願いすると、新見課長は『分かりました。すぐに分かると思います』と請け負ってくれた。そして、一時間後、約束通り丁寧に梱包された段ボール箱が部屋に届けられた。

 その先頭には、プログラムリストが載っている。プログラムは一本しかなかった。

 ダンボールに入っていたのは、プログラムリストと、その設計書一式だった。

 あたしは、プログラムリストをぱらぱらとめくった。そして、ため息をついて呟く。

「はあ。これって、ひょっとしてCOBOL(コボル)? こんなの使ったことないよ」

 COBOL(コボル)っていうのは、プログラム言語の一つで、とっても古いものだ。

 あたしはそんなの使ったことなんて一度もない。

 ざっと見渡してみると、なんだか英文っぽい文が沢山並んでいた。

 それでも何とか気を取り直して、プログラムを流し読みをしていると、途中に付箋が張ってあるページがあった。そのページにはマーカーで赤く線が引かれた場所がある。そこに、あたしが言った口座が書かれていた。赤い殴り書きで『法人口座か確認中。インラインの口座記載はプログラム標準化に違反』とあった。

 あたしがその意味を考えていると、部屋の電話が鳴り出した。

 電話を取ると、相手は新見課長だった。珍しく口調が慌てている。

『一色特捜官。先ほどの問合せの件で説明に上がってよろしいでしょうか?』

 あたしが同意すると、ほぼ一分後に新見課長がやってきた。立ったまま早口で尋ねてくる。

「一色特捜官。今から怪しい対象者に対してインタビューを実施したいのですが――」

 新見課長の言葉をあたしは慌てて遮って尋ねた。

「ちょ、ちょっと待って! 突然なんで?」

 あたしの言葉に新見課長は小さく頷いた。

「確かに、こちらが調べた結果に対してすべて報告してからの方がいいでしょう」

 新見課長は、振り返って注意深く部屋を閉ざしてから、テーブルの上のプログラムリストを指差した。

「まず、当行のプログラムに文字列として口座など固有情報を入れることは禁止されています。そんなことをしたら、もし口座変更が生じた時、その都度プログラム変更をしなければならないからです」

 新見課長が説明をはじめる。

 あずさ銀行では、特定の文字列をプログラム内に直接記載することを禁じているらしい。

 例えば、消費税率十%の計算で、0.1という数字を直接計算式に記載するような行為だ。

 そんなことをしたら、消費税率が変更される都度、プログラム全体を調べて変更して、テストして確認するという羽目になるからだ。

 そんなことをしないで済むように、データテーブルにその情報を書いて、その計算が必要な都度、共通部品のプログラムを呼び出して利用する。例えば『消費税計算共通モジュール』といった感じにのものを作っておく。

 そうすれば、例えば消費税率が変更になったとしても、テーブルの情報に新しいものを追記すれば、共通部品が特定の日付以降の計算を自動的に変更してくれる。

 口座番号に関しても、それは同じだ。

 新見課長はそのように説明した後、最後にこう言い放った。

「ですから、プログラムの標準化規則で、それを禁止しています。このプログラムは明らかに規則に違反しています。ですが、問題はそこではありません」

 新見課長はそこまで一気に言うと、あたしの前の椅子に座った。そして、さっき持ち込まれたダンボールの箱から一枚の証明書のようなものを取り出した。

「この通り、このプログラムは標準化チェックを通っているんです。だから、不当な手段で本番にプログラムを移動させたんでしょう」

 驚いた。新見課長は本当に優秀だ。自らの知識から、問題点を特定している。

 新見課長はプログラムリストの一部分を指さして、断定してきた。

「このプログラム中に埋め込まれた口座情報は、当行の行員のものでした。該当行員は、現在出社しております。また、該当プログラムにアクセスしたものの一覧を策定したところ、その行員が含まれていました。一色特捜官はそれを御存知でしたね?」

 新見課長の言葉で理解した。恐らく、あたしの言葉で調べた口座に関して、一通り調べて、それが被疑者だと考えたんだろう。

 だけど、あたしはそれだけでは確信できない。

「そのプログラムにアクセスした人の一覧はありますか?」

 新見課長は無言で表を一枚出した。

 そこには、一〇人ほどの名前と所属が書かれている。協力会社の名前が書かれている人もいた。でも、名前なんて見ても意味がない。

 その中に退職者と書かれた人が一人いた。あたしは流し読みをしながら、退職者にはインタビューできないかもしれないと思った。

 そして、あたしはちょっぴり目を閉じて、考えてみる。


 今回の話は、プログラム改変が原因の可能性が濃厚だ。

 そして、太田の銀行と共済の利子の違いの話から気付いたことがある。

 利子は一円未満の端数が生じる。計算で生じた細かい誤差の取扱を決めるのはプログラムだ。誤差については、お金の計算についても仕方ないものと思われているらしい。

 それを自分に都合のよいように変更したら、たぶん、そのお金についてはだれも気付かないだろう。そのやり方はいくらでもある。

 今回、大量に発生しているのは貸付利息だった。

 利子より利息の方が金利が高いから、もし搾取するのであれば都合が良いだろう。

 利息はプログラムで計算している。その算出プログラムでは、顧客には切り上げて請求して、銀行には切り捨てて組み入れる。その差額を自分の口座に送金すればいい。

 たとえば、一二万円借りている顧客がいたとする。金利は年間一二%。毎月にすれば一%。だから最初の月は一二〇〇円の利息を払うことになる。元の借りているお金を返さなきゃ借金が減らないから、たとえば毎月一万円返すなら、利息を除いた八八〇〇円が返済額になる。そうすると、翌月に残ってる借金は一一一二〇〇円。

 毎月の返済額が一定な支払い方法を元利均等方式と言うらしい。この元利均等方式だったら、返済額のどこまでが利息なんて利用者に把握できるはずがない。

 たとえば利息は千円単位に切り上げる。一二〇〇円を二〇〇〇円にして、差額の八〇〇円を別なところに送金する。

 毎月支払う額が同じ元利均等方式なら絶対ばれっこない。

 だって、銀行が取る利息はちゃんと合ってるから。

 金額は少ないけど、銀行の顧客は膨大だ。毎月自動的に沢山のお金が送金されることになるだろう。

 そんなトリックの可能性がある。

 あたしはそのことにやっと気付いたんだ。


 だけど、この話は悪意のあることが前提だ。

 ――悪意のある人をどうやって特定すればいいんだろう?

 新見課長は、口座をダイレクトにプログラムに入れるのは禁止していると言ってた。

 標準化チェックというので、それを確認してるらしい。

 標準化チェックというのは、プログラムの構造を一定のルールの下で記述されていることを確認するチェックのことだ。

 普通なら、そんな修正をしたのであればすぐに分かるはずだ。

 銀行の管理システムは信頼性が高いと聞いている。

 新見課長はこのリストを『該当プログラムにアクセスしたものの一覧』と言ってた。

 それは機械的にとられた記録(ログ)だろう。機械が取得したものからは、人間の意思は間接的にしか判別できない。

「新見課長。標準化チェックが終ったプログラムってその後どうなりますか?」

 あたしの質問に、新見課長は注意深く答えた。

「誰も触れないテスト環境に移され、動作確認テストをした後、問題がなければ申請に基づき本番環境に移動されます」

 その回答を聞いて、あたしは理解した。

「その申請書って残ってますよね? その申請書とこの一覧表を付き合わせてもらえる? そうすれば――」

 その後の言葉は新見課長が引き継いだ。

「そうすれば、申請に基づかない移行を行ったのが誰かわかるというわけですね?」

 あたしの満面の笑みに、新見課長は満足そうに頷くと、すぐにその場を辞した。

 申請に基づかない移行。

 それが悪意に基づく行動の証明だ。

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