第一章 コンピューター特捜官
コンピュータ殺人事件
「さ、殺人事件?」
あたしは聞き返した。そんなことがあり得るんだろうか?
「既にC4では伝説となった殺人事件があるんだ。聞きたいか?」
あたしはビックリして、何度も頷いた。
あたしの左隣に座っている九条真治警部補はあたしの目を見て目を伏せた後、重々しく口を開いた。
「その時、所轄から最初に電話を受けたのは俺だ。それは、C4が発足して間もない頃だった。一色沙織特捜官、つまりお前が入庁するだいぶ前の話になる。所轄からの捜査支援要請。しかも殺人事件だ。所長を含めて、誰も予想しなかったんだ」
あたしは再び頷いた。たしかに想像できない。
――なんでコンピュータ犯罪専門のC4に殺人事件の支援要請があるんだろう?
伝説の殺人事件。一体どんな事件なんだろうか。
「で、どうしたの?」
「もちろん、俺は慌てて殺人現場に駆けつけたさ。コンピュータを使った殺人事件と聞いて、警視庁のコンピュータ特別捜査官である俺が行かないわけにはいかないだろう?」
「そうよね。そのときは、真治しか特捜官がいなかったんだもんね?」
あたしたち特捜官同士の会話では、お互いほとんど階級を意識しない。時には、年配の警察官に不信そうに見られることもあるけど、気にしないことにしている。
「まあな。さすがに殺人現場に行ったときは、手が震えたよ。俺は、もうとっくに死体が運ばれていると思ってた。だが、死後二時間ほど経っているのにまだ搬送されていなかったんだ。それは、これがコンピュータ殺人事件だったからと言っていいだろう」
「ど、どういうこと? なにかプログラムを使った殺人だったの?」
プログラムを使って、何か殺人のための操作をしたのだったら、現場を変えたりするのはまずいかもしれない。
だけど、現場というのは、いつだって、予想をはるかに超える事態が生じるものらしい。
「いや、もっと物理的なものだ」
あたしは、いろいろなケースを想像してみたけど、現実はそのどれでもなかった。事態は予想の右斜め下に展開しつつあった。
「俺は、たいていのことでは驚かない。だが、さすがにそのときだけは、絶句という言葉の真の意味をはじめて知った気がする」
勿体ぶってそう言ってから、真治はゆっくりと説明し始める。
「殺人現場には、かなり大きいコンピュータがあった。そのコンピュータは、被害者のすぐ側に置かれていた。そして、俺はふと気が付いた。コンピュータの電源が入っている。そして、電源コードが近くのコンセントに刺さっていた――」
あたしは、真治の言葉を固唾を呑んで待つ。
真治は、そこで一旦口を閉ざすと、傍らに置かれたお茶を飲み干した。
そして、一気に話を続けた。
「よく見ると、その電源コードはとっても長いコードだった。そして、それは何かに巻きついていた。そう、それは、被害者の首に!」
あたしは、一瞬戸惑ったけど、すぐにその言葉の意味に気付いた。
「あの――それって、ひょっとして、その被害者は、電源コードで……?」
「そう! 被疑者は、コンピュータの電源コードで首を絞めて殺したらしい。俺が、その現場で最初に刑事に尋ねられたのは『この電源コードを抜いても良いですか?』という質問だった」
あたしは、呆れて腰に手を当てて聞いた。
「それのどこが、伝説のコンピュータ殺人事件なのよ?」
「そこで、俺があきれ返ってすぐに本部に戻って、所轄とやりあったからさ」
「ばっかみたい。真剣に話を聞いたあたしの時間返してよ!」
あたしは声を上げると、真治に背を向けた。
また真治にからかわれた。
――真治ってば、いっつもあたしをからかってばっかりで、ほんとに呆れるよっ。
振り返ると、真治は声を上げて笑っていた。
あたしは警視庁コンピュータ特別捜査官、一色沙織だ。階級が巡査部長の警察官だけど、実は大学院の学生でもある。
大学を卒業するときに、あたしは九条真治特捜官に警視庁にこないか誘われたからだ。
その時、あたしは大学院に行こうか悩んでいたんだけど、教授と相談して、社会人院生の身分で警察官として働くことになった。まあ、警察官の仕事をしながら夜間学校に通っている人もいるんで、同じだと思う。入庁後、あたしは警察学校に一ヶ月だけ通った。
だけどクラスは特捜官のあたし一人だった。寂しかったけど、卒業のときは真治が来てくれたからちょっぴり感激したのは事実だ。それだけは真治を認めてもいい。
あたしが配属された部署は、コンピュータ犯罪対策総合センターだった。英語でComputer Crime Control Centreと書くから、C4と呼ばれている。
勤務場所は新橋庁舎と本庁桜田門。
ただ、あたしは大学院にも通わなければならない。勤務終了後や休日に学校に行くこともあるが、突然呼び出しされてあたふたすることもあった。
――だって事件がスケジュールどおりに起きるわけないから。
C4であたしがする仕事は、技術支援か、本部か所轄の捜査支援、それから不正アクセス事件の捜査だ。何かコンピュータ関係の判断が必要になると、あたしか、C4にもう一人いるコンピュータ特捜官の真治のどちらかが呼ばれて、意見を求められるんだ。
警視庁にいるもう一人のコンピュータ特捜官、九条真治は警部補。
真治は、あたしとちょっとだけ専門が違う。もちろんハッキングとかネットワークもそれなりにこなすが、真治はどちらかといえばプログラムとか設計の仕事の方が得意だ。
あと、なぜか真治は外にいるときは、携帯で連絡を取れない。正確に言うと、Wifiに繋がっているときは、スマホのメッセージアプリ経由で連絡を取れるが、携帯電話会社のSIMカードを入れていないので、電話をかけられない。
あり得ないと思うんだけど、なぜかC4では真治に限ってそれが認められていて、有名らしい。外出中に仕事の電話がかからないようにしているんだろうと、あたしは睨んでいる。
真治があたしを特捜官に推薦してくれたんで、今のあたしがいる。なんでも、かなり強力にあたしのことを推薦したと聞いた。
最初は真治を名前で呼ぶなんてあり得なかったけど、ある事件で打ち解けてからは、呼び捨て出来るようになった。
大きな事件だと、真治と組んで現場に行くこともある。だけど、最近はあたしも慣れてきたので、一人で判断して、ある程度は事件を捌くこともできるようになった。
そして、一人で出来るようになると、なぜか今まで以上に真治にからかわれるようになったのが、あたしにとって不満の種だった。
「先日の渋谷の件ですが――」
あたしの右隣から太田健太郎巡査長が言ってきた。
「渋谷の件って、あの転売屋の奴?」
「はい。一色長が違和感があるって言った例の事件です」
名前の後につける長って言うのは、あたしはよく知らないんだけど、巡査部長を呼ぶときにつけるらしい。
椅子の上に胡座をかいて太田の方を向くと小さく言った。
「あれは違和感って言うより、不自然という感じだなあ。後で渋谷署に行くからその時確認するつもりだけど」
「椅子の上で胡座をかくと、また田神警部に注意されますよ?」
そういえば、椅子の上に正座したり、あぐらをかいて座ったときに限って、技術支援班長の田神警部に見つかって、『行儀が悪い』って注意されていた。
C4は、新橋の愛宕警察署の隣にある庁舎の七階にある。あたしの席は、C4の入口から一番奥の方。技術支援班はC4の一番奥まったところに固まっている。あたしの席はそんなに広くないけど、あたし専用のコンピュータと、いろんな資料がお気に入りの飾りと一緒においてある。最近はこの席に座ると落ち着くようになった。
「この座り方の方が落ち着くんだよね」
あたしが開き直ると背後から声がかかった。
「そんな座り方してると、いつまでも大人の女性扱いされないぞ」
「あたしのどこが大人じゃないって? セクハラ大王がよく言うよ」
振り返って、その声を発した真治を睨んだ。
すると真治は真面目な顔でとんでもないことを言い放ってくる。
「警視庁にはセクハラという言葉は存在しない。そんなことを言い出したら、わいせつ画像に関する捜査なんてできないだろう」
一瞬納得しかけたが、何とか正気に返って言い返そうとした。
だけど、やっぱり真治に機先を制される。
「大人の女性っていうのは、大場巡査のようなタイプを言うんだ」
たしかに、大場加奈子巡査は、あたしより五歳ほど年上で、ショートカットがとっても似合う美人だ。警察マニアの専門誌に、警視庁のアイドルとして写真が載ったこともある。
スタイルは負けないつもりだが、どこをどう見ても、あたしの背は足りない。悔しい。
あたしが近くにいた加奈子をチラッと見ると、すまなそうな顔で一瞬見返された後、目線を逸らされた。
あたしのムカつき度がレベルアップする。その向かう先は真治だ。
その様子に気付いたのか、太田が割って入ってきた。
「一色長、あの会社員が、不正カードを使って仕入れた商品をネットで転売した事件、何が不自然だったのか、教えていただけますか?」
その言葉に真治のからかうような表情が一変した。
「例の渋谷署の件か? 被疑者がわかっているんだから、もう身柄拘束しているんだよな?」
あたしは小さく頷いた。あたしが追い返されそうになったあの渋谷署の事件だ。
被疑者は坂上真一っていう。コイツを身柄拘束したのはガサ入れと同時。もちろん、すぐに渋谷警察署の担当刑事が事情聴取を始めた。そして、今日検察に送致されるだろう。
坂上は半年前までダークサイトで入手したカード情報を使って、ネットショッピングサイトで大量に商品を購入して、転売サイトで売りまくっていた。他人のカードで原価は0で購入しているのだからそれなりに儲かっただろう。
この事件は所轄が捜査しているから、あたしたちC4はその捜査支援を行うだけだった。ただ、所轄からすると、本部の協力があることはありがたいことらしい。
「こいつ、無職だったけど、たぶん元プログラマーだよ。それも、たちの悪いタイプ」
「へぇ? どうしてそう思う? 不自然なのはそれが理由か?」
真治は興味を引かれたらしい。あたしの方に向き直って真剣な表情になっていた。
「ネット上のFX取引でAJAXのクライアント処理に介在して、時間差取引の不正を行ってた」
「なんだそれ? 単なる不正カード情報を使った転売屋じゃないのか?」
「事件はそうだよ。だけど、押収したPCで署名されてないプログラムを調べたら、署名されたプログラムを改ざんしたヤツがあって、調べてみたの。そしたら、こいつFX取引の決済金額の確定を五秒遅らせてた。そんで、今の価格と比べて、自分に有利なほうを選ぶプログラムを作ってたんだ」
「FXって外国為替証拠金取引だよな? 為替レートの差で利益を得るゼロサムゲームだろ」
あたしは頷いた。FX取引は、手数料を取る取引業者を除けば、誰かが得をすれば必ず損をする人がいる。市場全体をみればゼロにしかならない。だからゼロサムゲームだ。
個人の取引は、カジノで利益を得るような行為といわれることもある。企業がこの取引をする場合、その目的は利益ではなく、たいていは海外取引の収益を確定させる保険目的だ。
「そのゲームでルール不正を働いた訳か。五秒の間に、たとえばドルと円の間で為替レートが変わったら、今の金額と五秒前とで比較して、自分に有利なレートを選ぶようにしたのか?」
「そうだよ。刑事総務課に聞いたけど、このケースは値決めの話になるから、違法性を認めるのは難しいんだって。実際と異なる価格で決済したのなら詐欺に出来るけど、五秒前とはいえ、実際の価格だから」
刑事総務課は警察で刑事事件の法解釈で困った時の相談部署とあたしは勝手に思っている。
あたしはそこまで説明した後、ひと呼吸を置いてから疑問を口にした。
「だけど、コイツがもしそれを意識してこの改ざんをしているなら、あたしには分かんないことがあるよ――」
あたしの後を継いで、真治は言葉を発した。
「そんな注意深いヤツが何で、こんな馬鹿な事件で捕まってるんだ、か? 確かに不自然だな」
あたしは真治の方を向いて頷いた。真治はもう一度考えた顔をしてから、溜息を吐いた。
「まあ、そう気にするな。とにかく拘束が終わってるなら、後は検事も調べるだろう。今の件は報告書に書いてあるんだろ?」
真治の言葉に、頷いてから渋谷署から相談されたことを思い出した。
「ただ、誰から知恵をつけられたのか知らないけど、身柄拘束後に黙秘続けて、知らぬ存ぜぬを通しているんだよ。
コンピュータからは動かぬ証拠が出ているんだから、もう何やっても意味無いのに! あたしはこのバカのせいで、また渋谷署まで行かなきゃなんないの!」
「そりゃ大変だな。椅子の上で胡座もかきたくもなるか……」
「渋谷署まで太田巡査長に送って貰うからね」
真治が頷くのを見てから、あたしは憮然とした顔で太田を呼びつけた。
「渋谷署まで行くから車出してくれる? あたし青免持ってないから」
青免は、警察車両を運転するときのライセンスだ。内規で決まっている。普通免許を持っている人が、警察内部でもう一度実地試験を受けて、青免を取るらしいが、あたしはそもそも普通の免許を持ってない。太田が肩をすくめて言った。
「そろそろ自分も運転手扱いを卒業したいですよ」
そして、あたしは肩に提げたでかいショルダーバッグに、近くのコンビニで買ってきたおにぎりを突っ込んだ。あたしは突然の移動に備えて、いつも食べ物を朝買って準備してるんだ。何でそんなことをしているかって言うと、あたしカツ丼にうんざりしているから。
そして、太田にあたしが作った大量の証拠資料を持たせて、渋谷署まで行くことになった。
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