プロフェッショナルと言うこと

 あたしは身の程知らずの馬鹿だった。やっとそれに気がついたんだ。

 あたしは、それからもっと勉強した。

 でも、その勉強は今までと違ってた。学ぶのは単なる技術だけじゃない。

 それをどうやって使うかが、大切だと分かった。

 単なる知識なんて、自己満足にすぎないんだ。

 その使い方を考えて、そしてうまく生かすこと。それができて初めて一流の最初の一歩なんだ。

 そうして、あのときのことがやっとわかるようになった。

 あのときのチャットであたしの言葉を聞いていたのは『SlapStick』じゃなかったんだ。

 あたしにコンピュータを壊すメールを送りつけてきた奴が、たぶんあたしの言葉を聞く役だった。『SlapStick』と無関係な顔をしていたけど、たぶん一人二役なんだ。

『SlapStick』は聞き役のチャットログを見て、書き込みは偽装したIPアドレスでしてたんだ。

 だから、書き込みをした『SlapStick』のIPアドレスを調べても何にもわからない。

 あたしは、偽装したIPアドレスのことはわかっていた。

 そのはずだった。

 でも、それは単なる知識だった。

『SlapStick』はそれをどうやって悪用するかいつも考えていて、それを実行していたんだ。

 あたしにメールを送ってきた『SlapStick』は、たぶんアラビア文字フォントを入れたコンピュータでファイルを作ってきた。

 アラビア語は文字の並びが日本語と逆。

『SlapStickexe.txt』っていうファイルは、本当は『SlapSticktxt.exe』だったんだ。

 txt.exeの部分の並びをアラビア語の区切り文字RLOを入れて逆にしてきたんだろう。

 あたしはそれに気がつかずに、目に見えるものだけを信じた。

 結局、コンピュータを破壊する命令を含む実行ファイルをそのまま開いてしまった。

 アラビア語の区切り文字情報RLOだって、あたしは知っていた。

 でも、それをどうやって悪用するかなんて考えてもいなかった。

 ハッキングは知識と技術だけじゃないんだ。知識の使い方を考えなきゃならないんだ。

 それから、あたしは変わった。そしてそれは、あたしに必要なことだ。

 あたしは、もともと知り合いだった『SlapStick』が荒らしたチャットサイトの管理人に連絡して、あの時にアクセスしていた全員の記録を教えてもらった。

 そして、送り付けられたメールの送信履歴ヘッダーと照らし合わせて、聞き役だったはずのチャットメンバーを特定した。

 そして、あたしは入手した情報をすべて記録して、今までの経緯とすべての内容を警視庁C4に送った。

 こいつが不正アクセス禁止法違反で逮捕されたのは、さらにその半年後のことだった。

 あたしは、それをC4からのメールで知った。

 警視庁からのメールは、cccc@keishicho.jpから、疑いもなく直接送付されていた。

 あたしは、かなり警戒してメールの冒頭に書いてあるヘッダー情報を全て精査したけど、このメールは本物だった。

 あたしはこんなメールが来るなんて全然思っていなかった。

 そのメールには、あたしの情報提供に対する感謝と、『SlapStick』を検察に送致したことの簡単な経緯説明、そして、あたしに感謝したいので、もし時間があればC4にきてもらえないかという招待がかかれていたんだ。


 C4からのメールで警視庁に招待されたあたしは、初めて新橋庁舎にある警視庁C4に向かった。

 そこは愛宕警察署の隣で、入口には詰め所みたいなのがあった。

 その詰め所みたいな場所には、長い警棒を持った警察官が立ってた。

 その警察官に呼び止められたあたしは、メールを印刷したのをその人に見せて、中に入れてもらった。

 そして建物の受付でC4の担当者を呼び出してもらった。

 C4の担当者を待っている間、あたしは建物の中をきょろきょろ眺めてみた。

 そしたら、受付を過ぎたすぐ先に、二階にいける階段があって、その先には交通管制センターみたいなのが見えた。そこには、見学している中学生が一杯いた。

 あたしは、『へー、こんなのもあるんだ』って感心して見ていた。しばらくすると、スーツをきた女性が迎えに来てくれたんだ。

 あたしはその中学生たちを尻目に、奥のエレベーターに案内された。少しだけ優越感があった。

 案内してくれたのは、C4の関係者だった。

 C4はそのビルの七階にあった。

 エレベーターを降りて、ちょっと歩いた先のドアをICカードで開けてもらった。

 そこがC4だそうだ。

 残念だけど、あたしは入口のちょっと先にある会議室までしか入れてもらえなかった。だけど、ちょっとだけわくわくした。だってこんな経験、なかなかないと思ったからだ。

 まだ中学生だったあたしは、ここで働けたら楽しそうだなあって思った。

 会議室では、C4の所長があたしの目の前に座ってた。

 あと、コンピュータ特別捜査官っていうすごい肩書きの人が一人。

 あたし、思わず見つめてしまった。

 だって、ちょっと渋くてクールな感じがして、あたし好みだったから。

 ただ、あたしはその時感じたことは、それだけではなかったことも事実だ。

 この人、何だか知っている気がしたから。

 そして、会議室に入ってすぐに、所長はあたしに握手を求めてきた。

「君がくれた情報はとても役立ったよ。実は、あのクラッカーは、一度警視庁にクラッキングをしていてね、そのときはここの九条特捜官が対応してくれて事なきを得たんだが、ずっと追いかけていたんだ」

 ――この特捜官って、九条って言うんだ?

「役に立ててうれしいです」

 あたしは、ちょっとだけ頬を赤らめて言った。

「実は――」

 九条特捜官が口を開いた。

「君の事はちょっとだけ調べてみた。SHIONって名乗っているよね?」

 あたしは頷いた。

「そうです」

 九条特捜官は軽く頷いて言葉を続けた。

「なかなか面白かった。特に驚いたことは、君がクラッキングを嫌っていることだ。君のような技術を持っている人間は、みんなクラッキングの方向に行ってしまうのが普通だと思っていたよ。特に若いやつはね。なんで君はクラッキングをしないのか、ちょっとだけ教えてもらえないか? それが聞きたくて、所長にお願いして、君を呼ぶことにしたんだ」

 ――へぇー、特捜官って変なことに興味を持つのね?

 あたしはそう思ったけど、ちゃんと説明してあげることにした。

 いい男には優しくするのがあたしのポリシーだ。

「悪いことは嫌いだからです。それから、これは受け売りなんだけど……」

 ちょっとだけ躊躇してからあたしは続けた。

「人間と技術にはミスがつきものだと思うんです。だから、それを前提にしたシステムを考える必要があると思うの。そのミスを使うだけでは、クラッカーになっちゃいます。だけど、あたしは、ミスに対処することをしたいんです。そして、ミスをした人を助けてあげたい。そうすれば、悪いやつが減るから」

 九条特捜官は、ちょっとだけ考えた後、満面の笑みで答えてくれた。

 そして、手をあたしの前に出した。

「よくC4に来てくれた。今の言葉を聞けただけで、俺は君と会えて――よかったよ」

 あたしは、そんな言葉を聞けて、ちょっとだけうれしくなって、九条特捜官と握手を交わしたんだ。

 でも、やっぱり特捜官って忙しいらしくて、その後すぐに出て行っちゃった。残念。

 九条特捜官は輝いてた。それは一流の輝き。

 あたしはそれに素直に憧れた。来てよかった。

 その後、あたしはC4の所長とちょっとだけ世間話をして、その日は終った。

 そして、あたしの特捜官に向けての第一歩はその日から始まったんだ。

 あたしはまだまだ未熟だ。

 一流になるまでに、どれだけ勉強すればいいのか想像も付かない。

『SlapStick』の件は、管理者が知り合いっていう信じられないほどの幸運があったから得られた結果だって、ちゃんとわかっている。

 だけど、あの特捜官みたいになりたい。憧れるような存在になりたい。絶対にそうなるんだ。

 あたしは、それこそ学校の勉強を放り出してコンピュータとネットワークの勉強を続けたんだ。

 目標があるんだから、がんばれる。

 でも、それをとめたのはやっぱりお父さんだった。

 学校の成績が急落していく原因を、お父さんは見逃さなかった。

 ある日、お父さんの書斎にあたしは呼ばれた。

 お父さんの書斎にはいると、そこは技術書で一杯だった。

 書斎は八畳くらいで、あたしの部屋よりちょっとだけ広い。

 お父さんは、ソファーに来て座ったんで、あたしはその隣に座った。

 だけど、あたしはなんとなくお父さんに目をあわせられずに、視線をそらした。

 ――絶対説教だ。勉強しろって言うのに決まってる! いやだなあ。

 あたしの予想とは裏腹に、お父さんはゆっくりと聞いてきた。

「何か目標があるんだ?」

 お父さんの言葉に、あたしは首を縦に振った。

「うん」

「俺に教えてくれないか? 沙織がやりたいことは応援してあげたいんだ」

 お父さんの問いに、あたしは正直に答えた。

「特別捜査官になりたいの。だからそのための勉強してるの。早く一流になりたいの」

 お父さんはあたしに向かって微笑んで言った。

「そりゃすごそうな仕事だなあ」

「うんっ!」

 あたしは勢い込んで言った。

「あたしって、クラッカーとか大嫌いなの。だから、そういうやつをどんどん捕まえられるような仕事をしたい」

 お父さんは頷いてあたしの言葉を聞いていた。

 そして最後にこう聞いたんだ。

「その夢をかなえるためには、何をすればいいんだ? ハッカーとして一流になれば特捜官になれるのかい? そしてコンピュータだけをやっていればハッカーとして一流になれる? 沙織の考えを教えてくれ」

 あたしは、お父さんのその言葉にびっくりした。

 確かに、それは違う気がする。でも、どうすればいいんだろうか。

「特捜官にはどうすればなれるの?」

「それを考えるのは沙織なんじゃないか?」

 ――これだ!

 いつもそうだ。お父さんは最後の最後でいつも突き放す。

 お父さんは、あたしのこと男の子扱いしているような気がする。

 あたしは、お父さんのかわいい一人娘の筈だ。

 とりあえず考えてみたけど、よくわからないので、あたしは勉強もきっちりやることにした。

 その結果、いくつかわかることがあった。

 たぶん、いろいろな勉強をしないと、とっても偏った知識になってしまう。知りたい知識だけを覚えるということは、知らない知識を得るためには効果的じゃない。

 いやなこと、きらいなこともみんな学ばなきゃ一流になれない。それはあたりまえだ。

 だから、勉強もした。勉強はみんなコンピュータに関連してた。それがわかった。

 数学はもちろんだけど、物理だって無関係じゃない。国語だってそう。

 それが実感としてわかった。

 そうして、あたしは少しずつ一流になっていったんだと思う。

 そんなあたしは、着実にプロフェッショナルから認められていったんだ。


 あたしが大学の推薦入試を受けてから、いくつかのことがあった。

 日本中に大発生したワームと呼ばれるたちの悪いプログラムを削除するためにC4に協力を要請されたこと。そして、大学に受かったこと。

 最後に、あたしは九条特捜官の強い推薦で、コンピュータ特捜官になれたこと。

 うれしかった。ほんとにうれしかったんだよ。

 そのとき、あたしの人生は確実に輝いていたと思う。

 好きなだけじゃだめだ。

 全てに真面目に取り組んで、そうしてみんなに認められていく。

 ミスもある。あたしは数え切れないほどのミスを犯してきた。

 人間はミスを犯すんだ。だから、あたしはミスをする人を助けられる仕事をしたい。他人のミスを自分のために使う人間を、あたしは許さない。だから、あたしはクラッカーを許さない。

 あたしは、いつも正義とともにいたい。


 そして春になって、あたしはあこがれのC4に勤めることになったんだ。

 そこで、あたしを推薦した理由を真治に聞いた時、こう言われた。

「技術力を持っている人間を探し出すのは、実はそれほど難しいことじゃない。しかし、その中で信頼できる人間を探すとなければ話は別だ。苦肉の策として、悪事に手を染めた人間を採用するケースもあるが、そんなのは例外だ。そんなヤツは信頼されない。せいぜい仕事の内容を信用するだけだ。俺たちは、誰かに背中を預けて信頼しあわなければ、仕事なんて出来ない。後ろから撃つ危険がある人間を仲間にするなんて、百害あって一理なしだ。

 そして、俺は沙織を信頼できる。だから俺はどうしても沙織が欲しかった」

 信頼してくれる人がいる。

 だから、あたしは頑張れたんだ。

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