沙織の幸運と疑念

 翌日、あたしがC4に出庁すると、真治はそこにいなかった。ただ、PCの電源がつきっぱなしだったので、真治が作った分散処理プログラムの状況を見てみた。

 さすがに、一〇〇〇台の分散処理は、今までとは段違いに速かった。制御用コンピュータの処理結果の数値はどんどん上がっていって、このペースだと、全部洗い出すまで多分一ヶ月かからなそうだ。

 でも、これでいいのだろうか。

 相手は先にクラッキングを始めていただろうし、相手に先を越されちゃうような気もする。

 ただ、あたしに今出来ることはそれほど多くない。

 その時、ふとあたしは、ボットネットの制御用コンピュータを探すことを思いついた。

 こっちが早く出来なくても、相手の邪魔くらいなら出来るかもしれない。

 気がついたら真治があたしの真横に立ってた。

「何やってるんだ?」

 真治の質問に、あたしはちょっとだけ振り向いて言った。

「相手のボットネットの制御用コンピュータを何とか妨害できないかなあって思っていろいろ考えてたのよ」

「そっか」と真治はあたしのコンピュータの画面をのぞき込みながら続けた。

「でも、そりゃやめたほうがいいぞ。もしそれで捕まえられたとしても、後で不当捜査って言われる可能性がある。業務妨害になるかもしれないだろ? そしたらすべておじゃんだ」

「うーっ、そうかも」

 あたしが不満そうに言うと、真治はあたしの頭をなでて言った。

「まあ、正義の味方のつらいところだ」

 そのさりげない行動は、あたしの逆鱗に触れる。

 何度言えば分かるんだっ。

「頭なでるなって、いっつも、いっつも、いーっつも言ってるでしょ!」

 あたしは頭に置かれた真治の手を乱暴に振り払った。

 ――まったく、真治は懲りないんだから!

 真治は「わるいわるい」ってあたしに謝ってたけど、どう見ても顔が笑ってた。

 どうも、あたしは背が低いから、真治がちょうど手の置きやすい位置にあたしの頭が来るらしい。

 だが、あたしの頭は真治の手を置く場所じゃない。

 ――真治ってば、あたしを猫かなんかと勘違いしてるんじゃない? すっごい不満なんだけど! 大人の女を捕まえて、普通、頭なでる?

 許せるはずがない。

 なので、あたしは真治の足を蹴り上げることにした。

「くらえ!」

 真治は左足のすねの辺りを蹴ったら、本気で痛そうな顔で「うわ、いて!」と叫んだ。

 そして真治はあたしをにらみつけて言った。

「沙織、お前何すんだよ!」

 あたしは真治に言い返した。

「そんな痛みなんて、あたしの心の傷と比べればなんともないわ! あたしはその百倍は傷ついたんだからねっ!」

「嘘付け! 本当はあこがれの九条特捜官になでられてボーっとしてたんだろ?」

 真治はとんでもないことを言ってきた。

 あたしが反射的に足を蹴り上げようとするのを、真治は慎重に間合いを取って避けてきた。

「あー、この! 古い話を持ち出してきて! あたしを本気で怒らせたようねっ?」

 そういってあたしは、真治との間合いをじりじりと縮めた。

 あたしは右手にあったノートパソコンを後ろ手につかむと、真治に見えないように持った。

「な、何をたくらんでる?」

 真治があたしを窺うように言ってきた。あたしは、薄く笑いながら言った。

「今に分かるわ」

 あたしは、一度フェイントで蹴るそぶりをした後、避けようとする真治の後頭部を後ろ手に持ったノートパソコンで殴りつけた。

「いてぇ!」

 真治は、大声で叫ぶ。

「沙織、いくらなんでも、ひどいぞ! 獲物を使うなんてなしだろ!」

 真治の大声でC4のメンバーが集まってきた。真治は頭を抑えながらへたり込んでいた。

 あたしは勝利の笑顔で、それを見下していた。

 これがその後、警視庁C4の「コンピュータ傷害事件」として伝説となったことは言うまでもないことだ。


 あたしは、救護室から絆創膏と塗り薬を持ってきて、真治の頭に出来たでっかいこぶの治療をしてあげた後、「やりすぎてごめんね?」と謝った。

 真治は、最初はぶすっとした顔をしていたが、「まあ、俺も悪かったよ」と言ってきた。

 よかった。何とか仲直りできそうだ。

 真治が大声を出したのは、その次の瞬間くらいのこと。

「うわっ!」

 C4のメンバーが、またコンピュータ傷害事件か?くらいの勢いで集まってきた。

「沙織っ、パスワード見つかったぞ! これ見てみろ!」

 真治の言葉にびっくりして、あたしは制御用コンピュータに駆け寄った。そして、真治の横からその画面を覗き込んでみた。

 そこには「Password found!」の文字が誇らしげに表示されていた。

 見てみると、そこには確かに二〇文字のパスワードが表示されている。

 ――やった!

 あたしはそれを見て心の中で歓声を上げたけど、真治はなぜか変な顔をしていた。

「ん? このパスワードの文字列、何だか変な気が……」

 真治はそう呟きながら、なにやらコマンドを打っている。

 不審な点があるんだろうか。

 あたしは、すぐに自席に戻って、国際決済用サーバの負荷状況を見てみた。まだ負荷は高いままだ。

 まだシンジケートはパスワードクラッキングに成功していないということだろう。

 真治は顔を上げて、あたしの方に早口で指示した。今まで検証作業をしていたみたい。

「ハッシュの計算が正しいのは間違いないな。沙織、今すぐ国際決済用サーバに侵入しろ。そこにある情報全部をこっちにもってこい。残らず全部だ」 

 あたしは真治の方を向いて頷いた。

 真治はその後どこかに電話をかけ始めていた。あたしはすぐに作業に取り掛かることにした。

 管理者権限のパスワードを知っているので、スムーズにログインできた。

 そして、データを全部こっちに持ってくることにした。

 その後、今までのあたしの作業記録を全部削除したあと、ハッキングを終了した。

 後はデータを解析するだけだけど、これくらい、C4のメンバーなら誰でも出来る作業だ。

 真治は疲れきっていたので、その日は解析手順を確認して指示すると、すぐ帰った。

 無理もない。あたしも定時になったらすぐに帰ることにした。

 あたしは家に帰ると、自分の部屋に入ってまず着替えることにする。

 ふと気がつくと、コンピュータの低い動作音が聞こえる。コンピュータが動きっぱなしだった。

 そうだった。解析プログラムを動かしっぱなしだったんだ。

 あたしは、コンピュータのマウスを動かして節電モードになった画面を表示させると、そこにびっくりするものが表示されていた。

「Password found!」

 そうだったんだ。

 あたしのコンピュータがパスワード解析に成功していたんだ。この結果を受けて、制御用コンピュータが解析成功を通知したらしい。あたしってば、実はすっごい運がいいのだろうか。

 ――だけど――ほんとに?

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