グローバル・アクセス・バンク

「大石の前職は、外資系金融会社だ。そう言えば聞こえが良いが、外資系金融会社には怪しい会社が沢山ある。特にやばいのが、日本に支社があるだけの会社なんだ。これは日本の会社じゃないことを意味してる。大石がいた会社はその一つだな」

 真治はそう言って説明を続ける。

「その会社は日本で銀行免許を取っているわけじゃない。つまり、言ってみれば海外の会社の日本における通信員みたいなもんだ。その会社は、アメーバのように分裂しながら、あちこちの銀行に食指を伸ばしている。大石のようなエージェントが沢山いるんだ。日本の金融資産は格好の餌食なんだよ」

 免許を取っていないのに、支社で業務を行う?

 確かに会社が海外だったら、日本の監督官庁の手が伸びるのは難しいだろう。

 ただ、あたしは当然の疑問を抱いた。

「なんで? そんな会社が何で存在できるの?」

 真治は軽く肩をすくめた。

「この辺の話は、多国籍企業が世界に根を張り始めたことに端を発しているらしい」

 多国籍企業?

 それはたくさんの国に進出している大企業だ。どうしてそれが関係しているんだろう。

「世界的なグローバル企業のこと? それがそんなことに手を染めているって想像できないんだけど」

 あたしが不満そうに言うと、真治はゆっくりと説明を始めた。

「沙織が想像しているような最近の企業の話じゃないさ。話は、第一次世界大戦の前に遡る。当時日本を含めた列強各国は、多数の植民地を本国から離れた場所に持っていた。この植民地から収益を享受していた国は、イギリス、フランス、ドイツなど多くの国に及んだ。欧米各国の植民地支配は奴隷を使った過酷なものだった。そして、本国に従属する形の政治支配体制を確立していった」

 突然の歴史の話だ。

 あたしは歴史、特に世界史が大の苦手だったりする。入試の選択科目でも世界史を選ばなかった。

 そんなあたしに真治が突然質問を投げかけてきた。

「その支配体制を維持するために、もっとも大切なものはなんだと思う?」

 真治の問いに、あたしは首を横に振った。

「さあ? あたしにはわかんないよ」

 真治は薄く笑うと、説明を続けた。

「それは本国と植民地の間の連絡網だ。そのために、各国は植民地との間に連絡体制を築いていったんだ。最初は船便だったが、それは最終的に通信回線網となった。現在、イギリスやフランスなど植民地支配をしていた国に大規模な通信会社が多いのは、それが理由なんだ」

 確かにインフラ基盤となるネット企業は、イギリス・フランス・アメリカみたいな、昔の覇権国家が多いかもしれない。

 だけど、その理由なんて考えたことがなかった。

 真治はあたしのほうを見て、さらに説明を続けた。

「植民地支配のために通信網を築いたこれら列強は、植民地を手放す際に、この社会基盤の基礎となるインフラ設備の買い取りを求め、その対価として莫大な資金を要求した。そして、それができない地域に対してインフラ設備を手放さなかったよ。まあ、インフラ設備の買い取りを要求しなかったのは、戦争に負けた日本くらいだ」

 なんだかどんどん過去の歴史の話になってる。さっきも言ったけどあたしは世界史を選択しなかった。

 だって、覚える範囲が広すぎて大変だから。

 あたしは口をとがられて真治に抗議してみた。

「歴史の話はいらない。今あたしが聞きたいのはグローバルアクセスバンクの話だよっ」

 あたしの抗議に真治はクックッと声を出して笑った。

「まあちょっと考えてみてくれ。インフラを手放さなかった地域に対して、その通信会社ができることを。それはその地域のほとんど生命線を握ることに等しいだろ? たとえば、セントクリストファーとかバルバドスだ。これらの地域は、自らの意志で電話を引くこともできないんだ。電話回線もネット回線も通信会社が押さえているんだからな。今のネット社会で、その基盤が抑えられているっていう意味をちょっと考えてみろよ」

 真治の言葉に、ぞっとする意味を感じ取った。

「どういう意味よ?」

 あたしが不安そうに真治を見つめると、真治が説明してくる。

「この通信会社がこの地域を封鎖しようとしたら簡単だ。通信設備の一部の設定を変えるだけでいい。それだけでこの地域は世界から孤立してしまうんだ。その復旧には、天文学的な費用をかけて通信網を再設置するか、通信会社にお願いするかどちらかしかないんだ」

 あたしはそこでやっと気づいた。

 ――あれ? セントクリストファーとか、バルバドスってどっかで聞いた気がする。

 あたしはちょっぴり考えてすぐ思い出した。

 新見課長が言ってた。

 確か英連邦王国って。それに、送金が途中でわかんなくなることがあるとも言ってたはず。

 怪しい匂いがあちこちに漂っている。真治はそれに気づいていたんだ。

「さて、通信会社の一部の人間は考えた。この永続的で占有的な通信網をどうにかして利益に結びつけることはできないだろうかと」

 真治はそう言って、具体的な説明を始める。

「通信会社は国際的な代金決済機構を持っている。これは、世界中に通信網を築くために必要なものだった。たとえば日本から、バルバドスに電話をかける場合を考えてみようか?」

 真治はそばにあったノートに、図を描いて説明をしてくれた。

「もちろんその島につながっている電話回線はイギリスの有名な国際電話会社だけだ。この島に、日本から直接通信回線はつながっていない。だから、アメリカを経由した後、カリブ海の複数の国を経由してやっと電話が通じることになるんだ」

 いくつかの経路を経て通信が接続される図を示しながら、真治が言ってきた。

 確かに、何カ国も経由して電話することもあるだろう。

 頷いたあたしに、真治は畳み掛けるように聞いてくる。

「さて、沙織がバルバドスに国際電話を掛けたら、そのときの代金は誰に払う?」

「日本の電話会社でしょ? 決まってるよ」

 あたしが即座に返すと、真治は頷いた。

「そうさ、日本にある国際電話会社だろ?」

 真治はそういってから、その意味を説明し始めた。

「どこの電話会社でも、基本的な支払い形態は同じことだ。国際電話会社が国際電話料金をまとめて徴収し、自分の国のコストを差し引いた後、残った代金を次の電話会社に渡すんだ。これを繰り返していって、最後の接続先まで受け渡していく。もし、仮に途中でこのイギリスの電話会社が接続しなかったらどうなると思う?」

 真治の言葉があたしには理解できなかった。

「どういう意味よ、接続しないって? 繋がんなきゃ話せないからすぐに電話を切るよね?」

 真治は薄く笑っていた。

「別の場所で、その電話を受ければいい。それはバルバドスではなく、日本から見てもっと近い経路で。もしそうなれば、それ以降の電話会社に支払う費用を全部自分が得ることができるはずだろ? 日本からはバルバドスに接続していると思っているからその料金を徴収するしかない。しかし実際は違う場所で受ける。そういうことを考えた奴らがいたんだ。事業としてね。そしてそれが始まりだった」

 最初は国際電話の到達地を詐称することによる差額を得ることを目的として始めた?

 だとしたら、世界各地にインフラを持つ通信会社がその母体だったということだ。

「それがグローバルアクセスバンク? 多国籍企業そのものが犯罪に関与してるって言うの?」

 あたしの問いに、真治は小さく答えた。

「もちろん最初は会社ぐるみでやっていた訳じゃない。一部の事業所さ。しかし、そう言う暗部があったことも、また事実なんだ。今その組織が対象とする手段は、電話料金という限定的なものから、マネーロンダリングと収納代行というもっと広範で大規模なものに姿を変えているんだ」

 眩暈がした。そんな大きな話になるとは思っても見なかった。

 あたしは、頭を整理するために真治に聞いてみることにする。

「真治は、今まで何を捜査してたの?」

「グローバルアクセスバンクに関与している企業数社を内偵していたんだ」

「そのグローバルアクセスバンクって、結局なんなのよ」

 あたしは要領を得ない説明に、直接的に尋ねることにした。

 真治はその意図を理解して短く答える。

「特に英連邦王国の決済を行っている国際決済機構だ。だが、一般的な決済機構から隔絶しているから、通常の銀行と取引することはないだろう」

 英連邦王国?

 何度も出てきた名前だけど、あまり一般的でないような、知られているような、あいまいな国の名前にそろそろ当惑し始める。

「あのさ、英連邦王国ってなんなの? イギリスのこと?」

 あたしの問いに、真治は根気強く説明してくれた。

「イギリスの王座にあるものを自国の国王として戴く国家群だ。イギリスやカナダを含め、一六カ国ある。全部、元はイギリスの植民地だった国々だ」

 そんな国家群の単位があるって知らなかった。

 地理でも学んだ覚えがない知識だ。絶対に学校で教わっていない。

「へ? カナダの国王ってエリザベス二世なの? 知らなかったよ」

 あたしの感想に、真治は軽く頷いて続ける。

「オーストラリアも、ニュージーランドもそうさ。だが、こういった国々はインフラが整っていて、悪事がしにくい。だから、小さな島国を使って、マネーロンダリングを行っていたんだ」

 ――小さな島国? それって……。

「バルバドスとか、セントクリストファー・ネイビスのこと?」

 真治は再び頷いた。

「そうさ。観光以外大きな産業なんてない国を狙い撃ちして、決済機構を作り出した。それがグローバルアクセスバンクだ。元のインフラは彼らが抑えているから簡単だったろうな」

「どこから、内偵先のグローバルアクセスバンクの情報を得たのよ?」

 あたしは不思議に思って真治に聞いた。そんなに簡単に見つかるとは思えない。

 何か取っ掛かりがなきゃ、雲を掴むような話だ。

 真治はあたしのほうを見て呆れたように言ってきた。

「あずさ銀行に決まってるだろ?」


 あたしはその言葉を呆然と聞いていた。

 知らないうちに真治はいろいろ動いていたんだ。

 真治はあたしのほうを向いて、説明を続けていた。

「坂上に俺が事情聴取に行ったのは、沙織がグローバルアクセスバンクのことを最初に俺に話したすぐあとだ。最初は警戒されて話も聞けなかった。だが、すぐにあずさ銀行が怪しいと分かった。で、宿木専務に無理やり捻じ込んで、不正取引に関する相談を受けたことにしたんだ」

 そういえば、あずさ銀行への援助で、最初に真治が謝意を示していた。何でこっちがお礼を言うんだろうって思っていたけど、こういうことだった。

 真治はそのあと不意に目線をそらした。そして低い声で説明する。 

「俺は最初に銀行内で信頼できる人物を探った。坂上の件もあるしな。そして、新見課長がお前とコンビを組むよう宿木専務を説得した。新見課長は優秀だったろ?」

「え? あれって、真治の差し金だったの?」

 真治は薄く笑ってうなずいた。

「もちろんだ。全員の履歴を確認して、大石が信頼できるか不安だったから、詳しく調べることにしたし、沙織に関わらせないようにした。背中から刺されるわけには行かないからな。そして、大石とグローバルアクセスバンクの関連企業とのかかわりが明らかになった時点で、内偵調査をすることにしたんだ」

「大石部長は新見課長に調査内容を逐次報告させていたらしいよ」

 あたしがそう説明すると、真治はにやりと笑っていた。

「ふん。大石ならやりそうなことだな。坂上も、大石のことを信用してなかった。だから、坂上は切り札を用意しようとした。それはグローバルアクセスバンクの決済サーバのクラッキングだ」

 特大の爆弾が投げ込まれた。

 もしそんなことができれば、グローバルアクセスバンクのすべてを握るに等しい行為だろう。

 それはつまり――。

「それって、うまくすればグローバルアクセスバンクの世界中の決済情報が取れるんじゃないの? それどころか、それができるなら、マネーロンダリングを使っていたすべての犯罪者、テロリストの情報がつかめる可能性があるじゃない!」

 真治は深く頷いて言った。

「ああ。もしうまくいけば、そうなったんだが――」

 真治は残念そうに続けた。

「だが、アイツは失敗した。それどころか、アイツはクラッキングのアンダーグラウンドのコミュニティで情報提供を求めて、クラックに必要な情報の一部を開示してしまったらしい。今のところは、その影響はないようだが……」

「バカじゃないの? アイツ」

 あたしが呆れたように言うと、真治は苦笑した。

「おそらく焦っていたんだろう。で、結局警察に保護されることを選んだというわけだ。結局逃げ切れなかったようだが……」

 そこまで真治が言ったとき、突然会議室のドアが開いた。

 そこから入ってきた人にあたしは見覚えがある。

 佐々木署長と一緒にいた、小田監察官だ。

「一色特捜官、いらしていたんですか?」

「はい。殺された坂上のことで、聞きたいことがあったので……」

 小田監察官は頷いた後、真治の方を向いた。

「九条特捜官。あなたの言ったとおりのことが確認されました。今回の件は偽装であると認めます。もう戻って結構ですよ。御協力ありがとうございました。これはお返しします」

 小田監察官はそう言って、真治に警察手帳を手渡した。

 聴取の間、手帳を預けさせられたらしい。

 真治は頷いてから、それを受け取ろうとして、落としてしまった。

「何してんのよ……?」

 あたしが、それを拾い上げようとすると、真治が慌てていた。珍しいことだ。

 よく見ると、広がった警察手帳の名刺入れから、写真がはみ出ていた。

 ――え?

 あたしは目を疑った。よく見えなかったけど、あたしの写真だったような気がする。

 ――真治があたしの写真を持ってるってどういうこと? あたしのこと好きだから? それとも、あたしがパートナーとして認めてくれたから持ってたってこと?

 相棒として認めた相手の写真を持っていたんだろう。

 あたしのこと大切に思ってるんだ。そうに違いない。そう決めた。

 真治はあたしが拾いかけた手帳をひったくると立ち上がった。あたしの手を引いて言う。

「沙織、行くぞ!」

「え?」

 あたしは混乱して、真治を見つめた。

「事情聴取はいいの? 疑いは晴れたの?」

 あたしが混乱しているのを確認して、真治は落ち着きを取り戻したようだった。

 あたしは真治の精神安定剤なんだろうか。

「当たり前だろ? 逆にどの経路から情報が漏れたのか分かったから、ありがたいくらいだ」

 その言葉はあり得ないものだった。

 だって――あたしが心配していた時、落ち込んだ顔をしていたじゃない。

「待ってよ! 真治、最初は落ち込んで『脇が甘かった』とか言ってたでしょ? あたしとっても心配してたのに、あんな演技してたっていうの?」

 あたしが問い詰めると、真治は真顔で言い返してきた。

「そんな覚えはない。気のせいだろう」

 そのあり得ない言葉を発した後、真治は得意そうに説明を始める。

「あの送金口座は、俺が持つ七つの秘密口座のうちの一つだ。わざと関係者に別々の口座情報を流して、どの口座に振り込んでくるのか網をかけてたんだよ。この件は警察共済の人と連携済みだ。振り込んできた口座はある意味予想外のところだったが、これで外交官が関わっている可能性が高まった。外交官は地位に比べて報酬が少ないことがままある。ゆがんだ特権意識が犯罪を正当化することも……」

 真治が得意げに話している間に準備を終えたあたしは、握り締めた拳で真治の鳩尾みぞおちの辺りに渾身の一撃を与える。

 真治は、なぜだか変なうめき声を上げて、床に膝をついていた。不思議だ。

 あたしは真治を心配そうに見つめてから、聞いてやった。

「どうしたの? 何かあったの? あんまりあたしを心配させないでね?」

 真治は苦悶の表情のまま、小さく頷いた。

 ――本当に真治ってば、バカであたしを不安にさせるし、だけど――。

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