直感に反する事実とそれが意味する人の意思

 翌日、あたしと太田は朝からあずさ銀行にいた。

「コンサルタントって、やっぱり詐欺師なのかな」

 あたしは真治の経歴にコンサルタントがあることを思い出して溜息を吐いた。

「自分はよく分かりませんが、そうなんですか?」

「事実は、それを信じる人の期待通りに変えられるものらしいよ」

「どういう意味っすか?」

「ベンフォードの法則――」

 あたしは溜息を吐いてから、真治の言葉を思い出した。

「やってみることにするよ。だから、あんたも協力しなさいよね」

 あたしの言葉に太田は一瞬だけ不思議そうな顔をした。だけどすぐに顔を上げて聞く。

「何をすればいいですか?」

「送金のトランザクションファイルについて振込金額と取引日を全部ピックアップして。全件よ」

「取引日と金額とトランザクションコードっすね? 怪しい取引だけじゃなくて、全部抽出するわけですね。後何の項目を引っ張ればいいですか?」

「取引日と振込金額だけでいい。トランザクションコードも、名前も相手先口座も他は何もいらない。ただ、もともと不明としてリストで印刷したものは分かるように分離しておいてね」

「へ?」

 あたしの指示に、太田は間抜けな声を上げて聞いてきた。

「それって、何の意味があるんですか? 振込金額だけ洗ったって、不正は分からないですよね? いや、よしんば分かったとしても、その不正を実行した被疑者が誰か分からないですよ」

 ――そんなこと分かってる。

 だからこそ、あたしには想像すらできなかった手法だ。

「だから?」

 あたしは自分自身で思いつくこともできなかった悔しさを噛みしめて聞き返した。

 それは、八つ当たりに近い感情だ。太田は冷静に尋ねてくる。

「被疑者を特定する情報を外す意味は何ですか?」

「そんな情報使わないからだよ。わかった?」

「へ?」

 再び太田が変な声を上げて続けた。

「被疑者を特定しないんですか?」

 あたしは腕を組んで頷いた。

「そうだよ」

「じゃあ何のための調査なんですか?」

「不正を犯した人間がいるかどうかを調べるの」

「被疑者を特定せずに?」

 あたしは太田の疑問に再び頷いた。


 太田が新見課長に連絡して、必要なデータ抽出を終えるまで、1時間ほどかかった。

「全件でほぼ三〇〇万件。最近三ヶ月でも数十万件のトランザクションがあります。振込金額と取引日だけだから何とか分析できると思います。確かに他の情報も入れたら、とてもじゃないけどデータが多すぎて分析どころじゃなかったでしょう」

「じゃあ分析を始めるわよ」

「はい。どんな処理をしますか?」

「簡単よ。まず、理由が不明だった取引の振込金額の頭一桁を引っ張りなさい」

「先頭ですか? つまり、数字の一桁目を引っ張るんですか? 123456っていう数字なら、1にするわけですよね?」

「うん。そんで、それぞれの先頭一桁の数の割合を調べてみて」

 あたしの言葉に、太田は不満そうに言ってきた。

「やりますけど、その意味って何ですか?」

 ――現実と乖離した人間の感覚があるか調べたいの。

 あたしは太田に聞こえないように小さく呟くと、声を上げた。

「いいから、言われた作業をやんなさいよ」

「分かりました。でも結果は分かりきっていると思いますけど」

「へぇ? どんな結果よ?」

 太田の言葉にあたしは興味を覚えた。

「先頭一桁を分類するんだから、一〇分の一になるのに決まってますよ」

 バカだ。ここにバカがいる。あたしは呆れて言い放った。

「あんたバカでしょ? 先頭に〇はこないでしょ! どうしたら一〇分の一になるのよ?」

「あ、そっか。そしたら、一から九までそれぞれ九分の一ですね」

「そうなればいいわね」

 その作業は三十分ほどで終わった。

 そして、太田は勝ち誇ったように宣言した。

「ほら! 自分が言ったとおり、一から九までほぼ均等に分かれましたよ」

 あたしは、太田の言葉に衝撃を受けて思わず立ち上がった。

 そして表情を押さえながら言葉を紡ぐ。

「じゃ、じゃあ、今度は全件三〇〇万件で同じ事をやってみて」

 そして、今度の件数は多かったけど、ツールはできあがっていたので、作業そのものは一〇分程度で終わった。

 そして、今度は太田がビックリする番だった。

「あ、あの、一色特捜官。こんな分布になったんですけど?」

 あたしは、その分布を見て戦慄した。

 真治はこのことを知っていたに違いない。信じられなかった。

 ――あたしと真治の間の距離はまだこんなにあるって言うの?

 あとどれくらい努力すればあたしは真治に追いつけるんだろう。

 あたしが真治にパートナーと認められるためには、後どれくらい時間がかかるんだろうか。

 あたしはまだ駆け出しだ。まだ視野が狭い。

 ――辛い事実だけど、分かってるよ。だから――。

 あたしは、太田に指示した。

「新見課長を呼んで。急いでね」


 新見課長はすぐにやってきた。

 あたしは、椅子からじろりと新見課長を睨んだ。

「新見課長。明らかな不正行為が確認できました」

 新見課長は若干の驚きと共に反応した。

「そうですか。では、どんな不正だったか判明したのですね?」

 あたしは間髪を入れずに答える。

「いいえ」

 すると新見課長は幾分怪訝そうな顔であたしを見返してきた。

「それでは、不正に関する調査に警視庁の援助は必要がありません。不正の有無が分からないのに、警視庁の特捜官がいるという事実が、風評リスクを生み出しますから」

「不正は存在します。それは明らかだと言ったはずよ」

「それは、どんな根拠に基づくものでしょうか?」

「あたしは、全ての送金のトランザクションを調べました。そして、その中には、送金金額に関する調査も含まれます」

 あたしの言葉に、新見課長は首を横に振った。

「不明だった取引データに不正と想定される送金はありませんでした。貴方の指示で調査と分類を実施した結果、私はそう判断せざるを得ませんでしたが――」

 あたしはその言葉を途中で遮った。

「いいえ。それは表面的な分析だわ。私は、送金金額の上位一桁の数値を調べました。その結果、もともと分析していた不明な取引の送金金額の上位一桁は、一から九までの数字がほぼ均等に分散していました」

「なるほど。送金金額の最初の一桁に〇があり得ないことを考えれば、それは妥当ですね」

 新見課長はそう言って頷いた。だけど、あたしは首を横に振って言う。

「いいえ。それは違います」

「違う? どうしてですか? 送金金額の最初の一桁に〇はあり得ません。一から九までしかありえないのですから、それが九分の一の確率で出るのは当たり前でしょう?」

「では、期間を限定しない全件を分析した結果はどう説明するの?」

 あたしが、その分類表を示すと、新見課長は困惑したようだ。

 全件を抽出したものの分布は、先頭一桁が明らかに均等ではなかった。

 一が先頭のトランザクションは全体の三割ほどを占めており、逆に先頭が九のものは、四%ほどだった。

 新見課長は茫然としたように聞き返してきた。

「これは? 事実ですか?」

「ええ。あたしも確認したから、間違いないわよ」

 新見課長は、その表をしばらく睨み付けた後、顔を上げた。

「これは、過去からおかしなトランザクションが存在していて、それが最近解消したから警報がでた、ということでしょうか?」

 新見課長は溜息を吐いた後、感心したように言葉を続けた。

「さすがですね。こんな搦め手で不正があることを実証するとは思いませんでした。しかし、いつから解消したか、そしていつからそれがあったかを調べる必要があるでしょう」

 あたしは新見課長が優秀であることを再認識した。

 ――だけど、それは違うんだ。

 脳裏に浮かんだ真治の姿を追い払ってから、あたしは説明した。

「そう考えるのは無理ないわね。だけど、それは違うのよ。人間は、事実じゃなくて自分が正しいと思うことを真実だと信じるものなの。新見課長。あなたもその間違いを犯しているわ。それは犯人も同様ね」

「私が間違っていると?」

 驚いたような新見課長の言葉に、あたしは頷いた。

「ええ。一見正しそうなことが間違っているって、よくあるでしょう?」

「ですが、私の説明のどこが変なのですか?」

 新見課長は困惑したようにあたしに尋ねてきた。

「金額のような数字の先頭が、一から九まで平均に分布することは人為的な操作がなければあり得ない。均等に分散するようにプログラムを作らなければ、そうなることはないからよ」

「どういう事でしょうか?」

 若干のいらだちを隠さずに新見課長が尋ねてきた。あたしはゆっくりと説明する。

「昇順に並ぶ数値の分布は、一から九まで平均的に並ばない。金額の先頭一桁の分布は、数学的にその分散が分かっています。最初の桁が一である確率はほぼ三分の一で、大きな数値ほど最初の桁に現れる確率は小さくなる。九になると最初の桁に現れる確率は二〇分の一よりも小さくなる」

「そんな筈は……」

 新見課長が呆然と言葉を失った。あたしは説明を続ける。

「これはベンフォードの法則と言います。そして、これは直感に反する。だからこそ、不正なプログラムは均等に数字を分散させるの。それが不正を明らかにすることを知らずにね」

「誰かがトランザクションを操作して、故意に金額を操作していなければ、こうならないと?」

「その通りよ」

 あたしの言葉を噛みしめた新見課長は、ゆっくりと続けた。

「つまり、最近トランザクションを操作したものがいることが明らかである、ということでしょうか?」

 あたしは満面の笑みで頷いた。

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