6-6
アリエルと別れたあと、ノーマンは一人で夕暮れの町を歩いた。
冷静になるために時間が必要だったわけではない。
すでに結論が出ていることを、うまく伝える方法について思案していた。
いつか辿った道をなぞるようにして、ノーマンはセオドアのいる宿へと向かう。
一歩進むごとに気分は重く、しかし決意は変わらなかった。
扉をノックすると、警戒した顔つきのセオドアが現れたが来訪者がノーマンであることに気づくと表情を明るくした。
「殿下! 使いを送ってくだされば、すぐにでもお迎えに上がりましたのに」
「いくらぼくでも一人で町くらいは歩ける。それよりもセオドア、話があるんだ」
「わかりました。どうぞ、お上がりください」
「いや、ここでいい」
「そういうわけにはいきません。あなたはご自身の重要性をもっと意識するべきです。本来であればどのようなところであれ、一人で出歩くべきではないのですよ」
強く主張され、仕方なくノーマンは家に上がることにした。
窓から日の差し込まない裏路地の一室は夕方でも暗かった。
ランタンの置かれた机の周りしかはっきりとは視認できない。
ノーマンはセオドアの用意した椅子に腰かける。
セオドアはひざまずいた姿勢でノーマンに尋ねた。
「今日こちらにいらっしゃったということは、ついにご決断なされたと期待しても良いのでしょうか」
「間違ってはいない。だがお前の期待には添えないな」
「と、申されますと?」
「反乱に手を貸すことはできない、と言いに来た」
道中思案したが、結局はっきりと伝えることにした。
迂遠な表現をするのも自己保身のようで気に入らない。
これで恨まれるというのならそれは自分が負うべき責任だ。
セオドアは顔を下に向けたままなので表情がわからない。
それが少しだけ不気味だった。
「セオドアの言うことはわかる。ぼくは王子として育てられた。王となることを見越した教育を受け、特権を甘受してきた。革命が起こったからといって、それだけで平民としては生きられないし、そうすることは無責任なのかもしれない」
だけど、と続けるノーマンの脳裏には彼と過ごしてきた少女たちの姿が浮かんでいた。
「それでもぼくは王になるつもりはない」
「なぜですか?」
「王族に対する嫌悪感を捨てられないのもある。だが一番はもう争いに懲りているんだ」
それに、と続ける。
「もしもぼくに政治的な能力があると言うならば、議会に参加できるように立候補すれば済むだけのことだろう。なにも絶対王政にこだわる必要はない」
「王が民に媚びるようなことはすべきではありません。また無学な人々があなたの能力を見抜けるとも考えにくい」
「だとすれば、ぼくは今の世の中に適した人間ではないというだけのことだ。もちろん、ぼくも自分にできることがあれば誰かのために行動したいとは考えている。だけど今は自分が生き直すのに精一杯だ」
ノーマンは格好つけずにそう打ち明けた。
本当に毎日を生きるだけで手一杯で、他に考えることがたくさんある。
まず優先すべきは屋敷で暮らす少女たちのことだ。
今度こそ彼女たちの心情を無視するのではなく、話し合うことで将来を決めていきたい。
そうすることはノーマン自身の今後を決めることにもなる。
「これを身勝手だと言うのなら、その批判は受け入れよう。それでもぼくは玉座に座ったまま、他人のことを勝手に判断する独善的な人間にはなりたくない。それは本人と話し合って決める。人間は理屈ではなく、感情で動く生き物のようだからな」
それが唯一、今のノーマンが屋敷での暮らしで学びとったことだ。
「しかし殿下はこれまでずっと王になるべく過酷な教育を受けてこられました。あなたはご自身の優れた能力を腐らせてしまうおつもりですか?」
「優れているかどうかはわからないが、そのとおりだよ。ぼくはまさにそういう変化を目指している。身近にいる誰かを泣かせるくらいなら、ぼくはこれまでの王子として生きてきた十年を否定してもいい」
優先順位は最初から決まっていたことだ。
セオドアはめまいを感じたように、手のひらで頭を押さえた。
「……わかりました」
「わかってくれたか」
「はい。殿下があの女たちに惑わされているということが、よくわかりました」
「セオドア、そうじゃない」
「いえ、殿下は王の器だ。それを腐らせるようなことを、本来ならば望むはずがない」
立ち上がったセオドアは部屋の隅に立てかけてあった剣を手にする。
「殿下を蝕む女郎を排除します」
「バカなことを言うんじゃない」
「殿下は錯乱されている。であればそれを払うのも臣下のつとめ。同志に連絡すれば今夜中には事が片付くでしょう」
「セオドア!」
「殿下、もう一度だけお尋ねする愚をお許しください」
焦って立ち上がるノーマンをよそに、剣を手にしたセオドアは彼の前に再びひざまずいた。
「あなた様は王になる意志があるのか否か、お教え願えますか?」
こちらを見上げるセオドアは冷静に見える。
しかし本気の目をしていた。
ノーマンが断れば今すぐにでも屋敷を襲撃するつもりなのだろう。
セオドアの言う同志がどれくらいいるのかはわからない。
しかし女性だけで暮らしている無警戒な屋敷を攻め落とすのにさほど時間はかからないだろう。
本来ならば騎士道にもとる行為だ。
しかしセオドアをそれも辞さないとはっきり口にしている。
これは脅しだ。
ノーマンの背中に嫌な汗がにじむ。
セオドアは狂信者のフリをしながら、狡猾な取引を持ちかけてきている。
すべての虚飾を取り払えば、やりとりは単純だ。
反乱に協力しなければ屋敷にいる女たちを殺す。
ただそれだけの意味しかない。
そんなことはできないだろう、とたかをくくるには危険が大きすぎる。
また少女たちを危険にさらしてまで我を通すのでは本末転倒だ。
つまり、ノーマンはこの脅しに対して抵抗するすべを持たない。
セオドアもまたノーマンが拒否するとは考えていないだろう。
だからノーマンが言うべきことと、そしてやるべきことは決まっていた。
「……わかった」
「今、なんとおっしゃいましたか?」
「お前の言葉で目が覚めたよ。やはり国の統治は正しき資質と選ばれた血筋を持つ人間がおこなうべきだ」
「そうですか。自分の言葉が殿下のお役に立てたとすれば、それは身に余る光栄です」
白々しいやりとりだとわかっていても、ノーマンは続けなくてはならない。
「ぼくの国を取り戻す。協力してくれ」
「もったいないお言葉。我々はただ殿下が命令してくだされば、命を捧げる覚悟があります。さぁもう一度」
セオドアはあくまでも強い言葉で宣言するようにねだる。
おそらくはこの宿の一階にいた人々が、彼の言う同志なのだろう。
だから彼らにも聞こえるくらい、力強い宣言を求めている。
だが逆らうわけにはいかない。
「ぼくが王になる。不届き者から国を取り戻せ!」
「はっ!」
宣言はノーマンの本心から発した言葉ではなかった。
しかし一度口にしてしまうとそれは呪いのようにノーマンの身体を這い回り、自分の血が濃くなるような気さえした。
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