エピローグ
海辺にて
ノーマンは海辺にいた。
近くには小さな町があるが、それ以外にはこれといって特筆すべきことのない場所だ。
「ここが……」
岬には一軒の家がぽつんと立っていた。
まるで人目を避けるようにして立つその建物は潮風で傷み、ところどころ雨漏りの形跡もあった。
塗装も剥げてしまっている。
「予定よりも安く手に入りましたね」
ノーマンに続いて玄関から入ってきたのはオベロンだ。
以前の華やかな服装ではなく、村娘のような質素な衣服に身を包んでいる。
それでも内側からあふれる気品は隠せていなかった。
「村長と交渉したときに、あまりに安いから裏があるとは思っていましたがこれほど古いとは」
「あら、雰囲気があっていいと思いません? 私は好きですよ。それに海辺が良いと言ったのはあなたのほうですよね?」
「それはそうですが、オベロン様が即決しなければまだ節約できたかもしれません」
「ああいうときは即決したほうが今後の交流では有利です。それよりも」
オベロンはノーマンの背中に抱きつくとわざとらしく頬をふくらませる。
「様とつけるのは禁止ですよ。私はもう令嬢ではないのですから」
「以前とは立場が逆になってしまいましたね」
「そうですね。それと、私とあなたは夫婦ということになっているんですよ。もっと親密さをアピールしていきましょう。ね、ノーマン」
「では敬語もやめたほうがいいですか?」
「いいえ。誰に対しても偉そうなあなたが、私にだけ敬語を使ってくれるのはなんだか特別な感じがするので好きです」
「え、ぼくって偉そうですか?」
「それよりノーマン、私との約束を覚えてますよね? こちらの準備は整っていますよ」
「約束、ですか」
それは多分、夜這いに来たときに話したことを示しているのだろう。
たしかに障害はなくなった。
ノーマンもオベロンもただの人となり、その行動を縛るものはなにもない。
「いつにしますか? ねぇ、いつにします?」
ぬふふ、と意味深に笑いながらオベロンが頬ずりしてくる。
どうも貴族ではなくなってからのオベロンは笑い方もスキンシップも異なる。
距離がずいぶん近いような印象だ。
令嬢だった頃はあれでも自重していたほうだったのだろうか。
「なーに、ベタベタしてるんだか」
呆れた声と共に入ってきたチタニアはすれ違いざまに、ノーマンの脇腹を肘で小突く。
「ウルリもいるんだから教育に悪いことはこっそりにしなさいよね」
「チタニア、ぼくって偉そうか?」
「まぁ自然と振る舞いが偉そうではあるわね」
「ショックだ」
「別に悪いとは言ってないでしょ。あんたの場合、それも特長みたいなもんだし。まぁいいことだとは思わないけど」
「慰めるなら素直に優しくしてくれ」
「忙しいのよ。話は夜にして。さて台所のチェックしないと」
チタニアはそっけなく言うと新居の点検を始めてしまった。
「あー、オベロンずるーい。ウルリもー!」
不満の声と共に入ってきたウルリは、ノーマンの足元に抱きつく。
背中に貼り付いたオベロンは負けじと力を強くする。
「たとえウルリが相手でも負けませんよ」
「ウルリも負けない!」
「ではどちらが先にノーマンを絞め落とせるか、勝負です」
「よーし! 覚悟ー!」
「そういう形式の勝負だとは知らなかった」
ノーマンがオベロンやウルリとじゃれている間にも、続々と少女たちが入ってくる。
「あー、疲れた。歩きすぎたー。あたし、もう寝るー」
足をひきずるようにして歩いているシラクスがぼやくと、同意するように足元のマブがぶみゃと鳴く。
「いいですね、海! しかもここなら第三惑星の光がよく見えます。あ、ロザリンドさんは窓際がお好きですよね。了解です」
ロザリンドを背負っているデモナは早速彼女の座席を窓際に作っている。
無口なセティは興味深そうに家の中を見回すと、壁の隙間や屋根の穴を数えているようだ。
今から修理の算段を整えているのだろう。
「でもここってボロすぎないー? この人数で住めんの?」
「シラクス、ぼやいてないで火を起こすの手伝いなさい」
「いい天気ですねぇ、ロザリンドさん。あ、セティさん、ちょっと手伝ってください」
「えー、新しい家だし、みんなで遊ぼうよ! ここなら壁に絵を描いても怒られないよね」
「あ、虫! 見たことない虫です! マブ、捕まえてください。でも食べちゃダメですよ」
少女たちによって狭い家はあっという間に賑やかになる。
王都を離れたノーマンは一人ではなく、やはり少女たちと一緒だった。
「えー、みなさま」
最後に家へ入ってきたアリエルは、両手を叩いて注目を集める。
「まずは優先順位を決めて、役割分担をしましょう。屋根の修理、室内の掃除、そして食事のために釣りや狩り。近隣への挨拶周りも必要になります」
シワのないエプロンドレスをまとったアリエルは、今日も折り目正しく少女たちとノーマンに指示を与える。
この町は王都に比べれば小さい。
地図の隅っこに小さな文字で載っているような、特筆すべきもののない場所だ。
しかし家畜の世話を手伝ったり、海で魚を釣ったり、森で狩りをしていれば当面の暮らしは問題なく送ることができるだろう。
さいわいノーマンは剣も弓も、人並み以上に扱える。
時には町の子どもたちを相手にそれらを指導するのも悪くはない。
それは女性たちも同じことだ。
後宮で教養を身に着けた彼女たちは町で様々なことの先生ができるだろう。
困っている人のために家事の代行も引き受けられる。
そうして人と交流しているうちに新たな道が定まることもあるはずだ。
それまでは再びここで共同生活をすることになる。
ノーマンはもう顔も姿もおぼろげな母の姿を思い浮かべようとする。
かつてあの家で母と過ごした時間は幸せだった。
食事のあたたかさも、母の優しい声も、具体的には思い出せなくてもたしかに心に残っている。
ここで暮らす日々が彼女たちにとって、そういうものになればいい。
ノーマンはそう思う。
「ノーマン様にもしっかり働いてもらいますよ」
「わかってるよ」
そして賑やかな生活はまだしばらくの間、続くことになる。
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