7-3

「殿下は前王とお会いになって、少々錯乱されていらっしゃるようですね」


「だったらどうする?」


「僭越ながら自分が前王の断罪を肩代わりさせていただきたく存じます」


「それもさせるつもりはない」



 ノーマンは剣をセオドアに向かって構える。



「殿下は前王を恨んでいたのではないですか?」


「当然だ。今でも憎い」


「ならばご自身の手で裁くべきだ。それができないというのなら、自分がやります。少なくとも守るような理由はない」


「この男は死罪。それは裁判で判決が出ている。刑の執行も法律に則っておこなわれるべきだ」


「失礼ながら、あなたはご自分が決断を下せないことを正当化しているだけに見えます」


「決断ならばすでにした。ぼくに必要なのは王位でも復讐でもない。すでに燃え落ちた時間だったんだ」



 今さら取り戻すこともできないが、まだこれから死に直すことはできる。



「さてどうする。ぼくはこれから全力で抵抗し、この囚人を守るつもりだ。セオドア、お前はぼくを殺すか?」



 これは答えの決まりきった問いかけだ。


 セオドアたち反乱軍にはノーマンを殺せない。

 そんなことをすれば王家の血筋が絶えてしまう。

 今さら前王を玉座に引っ張り出すことも難しいだろう。


 だからノーマンに恐れることはもうなにもない。


 武器をもった相手がいようと、絶対に自分を殺せないのなら、それは負けがない勝負と同じだ。



「できればやりたくはありませんでした」



 だがセオドアはためらいがちに剣を抜く。

 どうやらやる気のようだ。



「殿下は名誉の死を遂げた、そう思うことにさせていただきます」


「それで王位はどうする? お前が玉座に座るのか?」


「いいえ。新たな王子を侍女の一人が孕んでいます。殿下のご子息です」


「身に覚えがない話だな」


「それはそうでしょう。これから用意いたしますので」


「捏造するつもりか?」


「やむを得ません。血筋は十分条件であって必要条件ではない。真に求められるのは幼少期から王となるべく育てられたという事実であり、経歴です」


「王子として育てられば、それが誰であっても王になれるという理屈か。しかしニセモノの王位継承者を国民は信用するだろうか?」


「突然王の隠し子を名乗るのは難しいでしょう。しかしすでにノーマン殿下が生きていることは、一定数の人に知らしめてあります。信憑性を高めるために、侍女を必ずあなたのそばに同席させました」


「ぬかりないようだな」



 わざわざノーマンを連れて各地を回ったのは、生存を知らしめるだけではなくそういう目的もあったらしい。

 侍女をそばにつけたのも、いざというときの保険だったようだ。


 しばらく会わない間に、セオドアはずいぶんと狡猾になっていた。

 あるいはノーマンがそういった一面をこれまで知らなかっただけなのかもしれない。



「ニセモノの血筋で事足りると言うのなら、最初からぼくを殺しておけば良かっただろう」

「自分は、本心からあなたが王になるべきだと考えていたのです」



 セオドアは声を詰まらせている。

 もう相容れることはないが、セオドアのこういった情に流されやすいところをノーマンはどうしても嫌いにはなれなかった。



「お前も大概甘い」


「殿下は信頼を裏切った。一度ならず、二度も欺いた」


「悪いとは思っている」



 空気が重みを増してくる。


 ノーマンとセオドアにらみ合い、互いに決戦の火蓋を切って落とすタイミングをはかっている。


 やがて。



「どーん!」



 そんな間の抜けた声と共に、扉が開かれ、木製の槍が炸裂する。



「なっ――!」



 そんな不意打ちを背後からまともにくらったセオドアはその場に倒れ伏した。


 あまりのことにノーマンも言葉を失って立ち尽くす。

 いったいなにが起こったのかまるでわからない。



「おぉ、ラッキーだったわ。あー、びっくりした」



 木製の槍を持って立つ少女は、見覚えのある悪い笑みを浮かべていた。



「ち、チタニア? どうしてここに?」


「そりゃもちろん――」



 つかつかと早足で近づいてきたチタニアは思いきり振りかぶって、ノーマンの横っ面を拳で殴りつけた。


 目の前がチカチカとするような一撃は強烈で、頬が腫れるどころか、口の中が切れて血の味が広がるほどの威力だった。



「あんたをひっぱたくためよ」


「そういうことは先に言うべきだ。それに今のはどちらかというと殴打だと思う」


「アリエルから事情は聞いたわ」


「アリエルが?」


「そうよ。あなたが反乱の指揮をしているって教えてくれたの。多分、あたしたちを人質に取られてるんじゃないかって」


「なるほど。お見通しだったのか」



 意外に思う気持ちと納得する気持ちのどちらもある。


 やはりアリエルに隠し事はできない。



「なら、みんなは?」


「無事よ。今はもう王都の外に逃げてると思う。マブとロザリンドを連れて行くのは大変だったけどね。屋敷を燃やしたのは、監視の目をごまかすためよ」


「借りている立場なのによくやる」


「所有者の発案だもの、問題ないわ」


「オベロンが?」


「ええ。前から準備していたみたい。ご令嬢の考えることはよくわからないわ」


「そうかな。ぼくには少しだけわかるよ」



 そのときノーマンは、以前オベロンと寝室で話したことを思い出していた。


 彼女はいつか自由を手に入れると語っていた。

 生まれも性別も関係ない、自由を。


 その成功例としてノーマンの存在をあげた時点で気づいても良かっただろう。

 オベロンもまた自身の死を偽装しようとしていたんだと。


 屋敷、つまりシドゥス家の別荘が燃え落ちたのはその仕掛けだったのだろう。


 アリエルから反乱の動きを知らされた彼女は、それに合わせて自分の死を偽装した。



「それより、よくもあたしたちを足手まとい扱いしたわね」


「ぼくが殴られたのってそれが理由なのか?」


「そうよ。あたしたちが人質に取られたせいで、不本意なことをやらされたなんて被害者ぶってるけど、元々はあんたが素直に相談しないからこんなことになってるんだからね」


「そう言われると返す言葉もない。そうだ、ずっと謝ろうと思ってたんだ。以前、泣かせて――」


「泣いてない」


「いや、泣かせて――」


「あたしは泣いてない。いいわね?」


「……わかったよ」



 これがチタニアなりの許し方ということなのだろう。

 ノーマンはその心遣いをありがたく受け取ることにした。



「わかったならよろしい。今のうちにさっさと帰るわよ」


「待て」



 チタニアの不意打ちによって倒れていたセオドアがよろよろと起き上がる。



「その御方はお前のような女が気安く声をかけていい相手ではない」


「関係ないわよ。あたしにとってこいつはただのノーマン。家事がロクにできなくて、世間知らずで、でも水汲み係として役に立つってだけの男よ」


「いかにも責任のない人間が言いそうな言葉だ」


「あんたはよほど高尚なお考えなんでしょうね。でも残念。この反乱はすぐに鎮圧されるわ。王城を襲撃した連中も、今頃は現政府側の兵士に取り押さえられているでしょうね」


「それで、諦められるくらいなら最初から行動を起こしていない」


「セオドア」



 彼をここまで執着させたのは自分だ。

 ノーマンはその責任を取るために言う。



「もう引け」


「そうはいきません。まだ方法はある。あなたが死ねば再び人々を団結させられる。なんの罪もない高潔な王子を殺した現政府への不満を集約すれば、今度こそ絶対王政をよみがえらせることが……」


「なら決闘をしよう」



 ノーマンは足元に落ちていたセオドアの剣を拾い上げると、それを投げて渡す。



「なにしてんのよ、ノーマン! あんなやつ無視してスパーンと帰ればよかったのに!」


「それは難しいな。ここにセオドアを置いていったら囚人を殺されてしまいかねない」



 なにを考えているのかはわからないが、牢屋の中の囚人は黙ったままだ。

 呆然とこちらを見ているのはわかるが、ノーマンのほうから声をかけるつもりはもうない。



「なに言ってんのよ。あの父親のこと、あんたは好きじゃないんでしょ? 助けてやる義理なんてないじゃない!」


「好きじゃなくても助けるんだ。それともチタニアはぼくが好きだから助けに来てくれたのか?」


「そんなわけないでしょ」


「なら同じだ」


「でもそれならわざわざ武器なんか渡さなくても、ボコボコにのしてやればよかったのよ」


「それは騎士道に反するだろう」


「あんたは騎士じゃないでしょ!」


「そうだな」



 チタニアと話しているだけで、ここが屋敷の中に戻ったような気持ちにさせられる。

 まるで台所で野菜の皮むきを失敗したときのようだ。



「嬉しかったよ、生きていてくれて。それに、助けに来てくれて」


「そういう融通がきかないところ、ホント嫌い!」


「いるんだろ、アリエル」



 ノーマンがどこへともなく呼びかけると、入り口に黒い影が立った。



「はい、こちらに」



 アリエルがここにいることはすでにわかっていた。


 そうでなければ、屋敷に火事を起こしたタイミングに説明がつかない。


 アリエルから反乱の日程を知らされたからこそ機能する。

 ただ屋敷が燃えただけで、オベロンの死は偽装できないだろう。


 また、チタニアがここに駆けつけることができたのも同じ理由だ。


 監獄の入り口に待機していた騎士たちを退けるのも、いくら不意打ちとはいえチタニアだけでは難しい仕事だろう。

 だがそれもアリエルならば不可能ではない。



「ぼくを殺さなくていいのか?」


「完璧な私にも、やりたくない仕事が一つくらいはあります。それに死んだ王子をもう一度殺すことはできませんよ」


「よく言う」



 素直に助けるのではなく、アリエルはノーマンを試したのだろう。

 あるいは彼女自身も葛藤していたのかもしれない。


 本当のところはわからないが、別に構わない。


 なにもかも明瞭であるよりかは秘密があるほうがアリエルらしいとノーマンは思う。



「忘れものだ」



 ノーマンは懐にしまっておいた時計をアリエルに投げて返す。



「チタニアと行ってくれ。ぼくはもう一度ここで死に直す」


「わかりました」



 多くの言葉は不要だった。

 他ならぬアリエルならばそれですべてが伝わるだろう。


 チタニアはまだぶつくさと文句を言っていたが、それでもアリエルに連れられて牢獄を出て行った。


 そしてこの場にはノーマンとセオドアだけが残された。

 鉄格子の向こうにいる老人は未だに一言も口をきかない。



「女たちが殿下を変えてしまったのですね」


「ぼくが変わりたかったんだ。彼女たちはそれを助けてくれた」


「人は簡単には変われない。我々は王が正しいと信じてきた。苦しい戦もあなた方を信じていたから戦えた。残酷な虐殺もあなた方が正しいと言うから執行できた。それが突然、王は正しくなかったと言われても、これまでの生き方を変えることはできません」


 セオドアたち、騎士が過ごしてきた日々はノーマンの想像を絶する。


 そんな日々を支えてきたのが王の神性という正義なのだろう。


 間違った構図だ、とノーマンは思う。


 王は自分がやらないからどれほど過酷で、残酷な命令も躊躇なく下すことができる。

 騎士は正しいと信奉する王族の命令だからこそ、どんなことでも実行できてしまう。


 それがセオドアのような善良な人間を少しずつ歪めていったのだろう。



「変化した社会にはじき出された我々は、どうすればよかったのですか?」


「死んだつもりで生きればいい」


「殿下のそれは理想論です。考え方も、生きる環境も、みながあなたのようにできるわけではない」


「わかっている」



 だがそれ以外に言えることなどなにもなかった。


 二度と彼らのような人間を生み出さないためにも、王による威光ですべてを決めてしまう制度は間違っていると思うだけだ。



「場所を変えよう。ここは決闘をするには狭い」



 ノーマンの提案にセオドアはうなずいた。


 監獄の外に出ると、表で待機していた反乱軍の騎士が気絶していた。

 どうやらアリエルは誰一人手にかけなかったらしい。

 ノーマンに気をつかってくれたのかもしれなかった。



「始めましょうか」



 セオドアが剣を構える。



「ああ」



 ノーマンもまた、彼に教えてもらったとおりに剣を構える。


 会話はもう必要ない。


 それから二人は剣戟を交わした。


 今までにも何度か稽古で剣を交えることはあった。

 しかし真剣を用い、互いの肉を裂きながらも続けられるのはこれが初めてのことだ。


 そして最後になることもわかっていた。


 やがて、ノーマンがセオドアを組み伏せる形で終わった。


 ノーマンは本気で戦ったが、この決着は予定調和的なものだとわかっている。



「私の負けです」



 ノーマンに組み敷かれたセオドアが涙を流す。


 結局どれほどの理屈を並べ立てて身を守ろうと、セオドアにノーマンが殺せるわけがなかったのだ。


 それがどうしても悲しくて、ノーマンは黙ったままセオドアから離れた。


 身体を起こしたセオドアはひざまずくと、剣の刃を慎重に持ってノーマンに柄を差し出した。



「せめて殿下の手で私を裁いてください。それが王族である、あなたの責任だ」


「セオドア」



 ノーマンは差し出された剣を手に取ると、それを遠くに投げ捨てた。



「もう王族が人を裁くようなことはおこなわれない」


「だとしても私は、あなたに裁いてほしい。誰よりも優秀なあなたに裁かれるのであれば、私は自分の罪を認めることができる」


「そうじゃない」



 ノーマンは言い聞かせるようにセオドアへと語りかける。



「優秀な人間なんていないんだよ。ぼくはたしかに王族としての教育を受けた。読み書きも計算も多くの人よりうまくできるだろう。扱える楽器の数も人より少しは多いかもしれない。だけどできないことも多いと思い知った。彼女たちが教えてくれた」



 ノーマンは革命が起こってからの生活を思い出す。



「ぼくは料理ができない。洗濯も、服をたたむのも下手だ。掃除をすれば汚れを見逃すし、人と交渉をするのもそれほど得意じゃないとわかった」


「そんなことは関係ないのです。あなたには王子としての品格と知識がある。人を裁き、導く人間はそういう人でなくてはならない」


「たしかに読み書きのできる人間は、できない人間よりも優れているかもしれない。けれど字の書けない人間は他の分野で優れているかもしれないだろう。だったら、なにか一つのことができないことを卑しく情けないとする理由にはならない」



 そうするならばこの世の人はすべて卑しく、情けないことになってしまう。


 なにかができても、できなくても、それだけで人の価値を判断するべきではない。



「少なくともぼくは優れていない。ならばどちらにしろ、お前を裁くのはぼくの役目じゃないよ」



 ノーマンはセオドアに背を向ける。


 そしてノーマンは再び死んだ。


 前と違うのは、少女たちも道連れにしたことだけだった。



***



 指導者であり、旗印でもあった王子の死が各地に伝わると反乱は次々と鎮圧された。


 その後、新政府は王子は革命のおりに死亡しているという判断を覆さず、今回の暴動に参加したのは影武者だったという見解を示している。

 その影武者もまた王都で起こった暴動のさいに死亡したとされた。


 民衆の死傷者はほとんどなかった。

 これは暴動の参加者の多くが元騎士であったことが原因ではないかと分析されている。


 例外は王都の外れにあったシドゥス家の別荘が燃えたことだ。


 ここに滞在していたと見られている令嬢とその侍女たち総勢十名は騒動後も行方不明のままであり、それから何年が経っても見つかることはなかった。


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