7-2
翌日の深夜。
予定通り、王都への侵攻作戦は開始された。
あっけないものだと感じる暇さえない。
反乱軍の大部分は王城を目指して侵攻を開始する。
一方でセオドアを含めた少数部隊は別方向を目指していた。
彼らの目的地は王城ではなく、王都の外れにある牢獄だ。
前王を裁く、というに目標をかかげた以上はその身柄を押さえる必要がある。
王を殺さなくてはならないノーマンは当然セオドアの部隊に含まれていた。
ノーマンは流されるまま、反乱に参加する。
他に選択肢はなかった。
「では行こうか」
丸腰のままノーマンは形だけの指示をする。
ノーマンが逃亡することを防ぐためか、剣を持つことをセオドアは許さなかった。
代わりに彼が二本の剣を持っている。
ノーマンが王を殺害する瞬間にだけ渡すつもりなのだろう。
主力部隊が侵攻を開始し、王都が混乱している最中に牢獄へと侵攻する手はずだ。
ノーマンたちは姿を隠す必要があるため、王都の外側を迂回していくことになっている。
そのルート上にはノーマンが数ヶ月の時を過ごした屋敷があった。
無事だけは確認しておきたい、とセオドアに訴えることで採用された進路だ。
反乱軍のほとんどは元騎士だ。
未だにその誇りを失っていない彼らが無法を働くとは考えにくいが、街が混乱に陥ってしまえばなにが起こるかはわからない。
水汲みのために何度も往復した川沿いを歩いていく。
そうしているうちにやがて屋敷は見えてくるはずだった。
「殿下」
斥候に出ていた騎士の一人がノーマンの元に戻ってくる。
表情は険しい。
「前方で火災が起こっております。迂回したほうがよろしいかと」
嫌な予感がして、ノーマンは青ざめる。
「迂回はしない」
「しかし」
「ここで無駄な時間を使っている暇はないんだ」
ノーマンがこだわったため、部隊は予定通りの進路を取ることになった。
やがて屋敷の姿が目に入る。
そこからはもうもうと煙が立ちのぼり、辺りを赤々と照らしている。
燃えていた。
後宮にいた少女たちと共に暮らしていた住居が燃えていた。
ノーマンはとっさにその光景から目をそらし、傍らにいるセオドアをにらみつける。
「セオドア、お前の差金か?」
「いえ、決してそのようなことは」
セオドアも火災には動揺しているようだ。
彼がウソをついている可能性は十分に考えられる。
しかし今さら屋敷を燃やし、少女たちを殺す理由は思い当たらない。
もちろん絶対にやらないとも言い切れないが、ノーマンには追求する気力さえわいてこない。
「住民を救助することはできるか?」
「心苦しいことですが、殿下。我々の人数は十分とは言えません。今ここで人を割いては大望を果たすことが難しくなるでしょう。それに……もう手遅れではないかと」
屋敷はすでに天井が崩れ、燃え落ちようとしていた。
セオドアの言う通り、中に誰かがいたとしてもまず間違いなく助からないだろう。
「そうか。なら、もういい」
「力不足をお詫びします」
あの少女たちがみんな焼け死んだのだということを想像はできても、どうしても現実感はなかった。
そのせいで悲しみすらわいてこない。
もう人質はなくなった。
それは同時にノーマンがここから逃げ出す動機も消え失せたという意味でもある。
帰るべき場所もなくなった。
ケンカ別れのまま飛び出してきたことが悔やまれる。
結局なにひとつとして責任を果たすこともできなかった。
今度こそ本当になんの目的もなくなってしまった。
ノーマンの身体から少しずつ力が抜けていく。
責任も目的もなくなった身体はとても軽くて、空虚だった。
かろうじて残された目的は、父である王だった男と会うことだけだ。
それも自分の見つけた目的なのか、他人に与えられたものなのか、判断がつかない程度のものでしかない。
周囲に流されるがまま進行を続ける。
町の騒ぎの影響で、牢獄の警備は手薄になっていた。
そこにセオドアたちが奇襲をかける形になったため、大きな問題もなくノーマンは中に侵入することができた。
今のところセオドアたちの建てた計画はうまくいっている。
そのことにノーマンはなんの感慨もなかった。
「こちらです」
情報を集めていた隠密がノーマンたちを先導する。
そうでなくとも目的の人物がどこに収監されているかの検討はつく。
「ここからはぼく一人でいい。お前たちはここで待っていろ」
「なりません、殿下。危険です」
「王と二人で話がしたい」
「ではせめて自分だけでも同行させてください」
「……わかった。ならセオドア以外のものはここで待機だ」
ついに父と会う。
ずっと会いたかった母は亡くなっていたのに憎い父は生きている。
そのことにノーマンは不条理を感じずにはいられなかった。
他の囚人とは異なる、もっとも高い階層の牢にその男はいた。
「誰だ」
しわがれた声と共に老人が顔をあげる。
牢屋に入れられた前王の姿はひどくみすぼらしいものに思えた。
ノーマンは記憶にある父の姿との違いに言葉を失う。
彼の知る王、そして父は常に玉座でふんぞりかえり、自分の足で立ち上がることもなく、高いところから人々を見下していた。
丸々と肥えた身体と、神経質であることがうかがえる血走った目で周囲を威圧し、人と虫との区別のついていないような言動を取っていた。
それが今はどうだ。
汚れたむき出しの床に座り込み、立ち上がるのにさえ苦労している。
落ち窪んだ目はギラギラとした光を持って、ノーマンを見上げている。いくらかは体重を落としているようだ。
それでもまだ肉を蓄えた身体は、長く国民から搾取し続けた日々の面影を残している。
「外が騒がしいと思ったら、珍しい顔だな。生きていたとは知らなかった」
口を開けば、やはりあの男だと実感する。
ノーマンが感じる不快さが他のなによりも強烈に強い。
「こちらも、あなたが息子の顔を覚えているとは知りませんでした」
「その口ぶりだと、俺を助けに来たわけではないようだな」
セオドアが無言のまま、突入時に看守から奪った鍵を使って扉を開ける。
しかし前王は床に座り込んだまま動かない。
「なんだ、感動の親子対面とはいかないらしいな」
「あなたがぼくと母にしたことを思えば、好かれていると考えるほうがどうかしている」
「恨んでいるのか、この父を? バカげている。お前が今まで生きてきたのは俺のおかげだ。衣服も、食事も、教育も、そして命さえも俺が与えた。お前は偉大なる俺の分身となるべくして生まれ、今まで育てられてきた」
「それが喜ばれるとでも思ったのか」
「なぜ喜ばない?」
前王は心底不思議そうだった。
そのことがノーマンには理解できない。
両者の間には絶望的な隔たりがある。
そのことをあらためて認識させられた。
いくら言葉を尽くしたところで無駄なのかもしれない。
それでもノーマンはこの男から謝罪の言葉を引き出したかった。
「あなたはぼくから母を取り上げた」
「城を出たあれを側室にするには状況が悪かった。やむをえん。それで、あれは今はどうしている?」
「すでに他界した」
「そうか。いい女だったのに残念だ」
「流行り病が原因だった。あなたが薬師を殺さなければ母は助かっていたかもしれない」
「連中は魔女だった。俺の子を何人も薬と呪いで殺した。あまつさえ国家の転覆さえ企んでいた。いついかなるときも粛清は必要だ」
「本気で言ってるのか? あなたには母やぼくに詫びる気持ちは少しもないのか?」
「お前がなにを恨んでいるのかがわからん。乳離れのできない年でもないだろう」
「母さんは!」
これまで冷静であろうとし続けたノーマンだが、ついに激情を抑えられなくなる。
「母さんは侍女だったんだろう。あなたが強引に犯さなければ、ぼくを産むこともなかった。身体を悪くして、命を落とすこともなかった」
「誘ってきたのはあの女だ」
「ウソをつくな」
「本当のことだ。俺は慈悲を与えただけに過ぎない。俺たちは合意の上で快楽をむさぼりあった。たとえ我が子であろうと、そのことに文句を言われる筋合いはない」
「母さんは城を追い出されてから身体を悪くしたんだぞ。その上、母からぼくまで取り上げて」
「それはお前が産まれるから悪いんだろう」
前王は悪びれずに言った。
「俺たちは快楽が欲しかっただけだ。手慣れた側室よりも夜伽に不慣れな侍女を抱くほうが心地よいときもある。それなのにあの女の中にお前が寄生した。お前が産まれることなど、俺もあの女も望んでいなかったんだよ」
「母さんはそんな人じゃない」
「あの女の股から産まれただけで偉そうな口をきくんじゃない。子どものお前があの女のなにを知っている? 俺はあの女が奉公に来た日から知っているぞ。何度も肌を重ねた」
「もういい」
「お前さえいなければ、あの女は不幸にならなかった。お前はあの女の中にこびりついた
「黙れ」
「そんな呪われたお前を慈悲深く育てたのは誰だ? この俺だろう。そのことにさえ逆恨みしているのだから、まったく始末に負えない。他の子が一人でも生きていれば、お前などとっくに殺していた」
「黙れ!」
ノーマンは力いっぱい牢を蹴りつけた。
にぶい金属音が響いて、前王が口を閉ざす。
熱かった。
血が沸騰するような怒りの中でノーマンは前王をにらむ。
すると前王は肉のついた喉を震わせて愉快そうに笑った。
「そうだ、その目だ。取り繕った冷静さなどなんの価値もない。ようやく王の血を引く者の顔になったな。目的は察しがついている。自力で王位を奪うがいい。人民のための革命などとうそぶく連中よりかはまだマシだ」
「殿下」
傍らに控えていたセオドアがうやうやしく傅き、ノーマンに向けて二本のうちの片方の剣を差し出す。
ノーマンはためらいなくそれを掴んだ。
剣を抜く。
憎い男の生死を握っているという暗い優越感に頭がしびれた。
そして自分の中にある復讐心に気づく。
責任も目的も失ったと思っていたが、まだ自分には身を焦がすような復讐心が残っていたようだ。
「笑え、ノーマン」
牢の中で座りこんだままの前王は、自身も笑みを浮かべている。
「王とは笑うものだ。笑って人々を踏みつけにできる人間にしか偉大な仕事は成し遂げられない。お前は笑わないから、いつも泣いてばかりいたから、すべてを失ったんだ」
「もういい」
剣を手にしてからは、不思議と感情が波打つこともない。
自分もまた、目の前にあるこの薄汚い笑顔と同じ表情をしているのだろうか。
そんなことが一瞬脳裏をよぎったがすぐに気にならなくなる。
もしもこの男がもっと優しければ、ノーマンから母を取り上げるようなことはしなかっただろう。
もしも少しでも分別があったならば、ノーマンが呪われた生を受けることもなかった。
もしもこの男さえいなければ。
激情にまかせて剣を振り上げたとき、痛みを感じた。
精神的なものではなく、もっと直接的な焼けるような痛みだ。
それは昨夜、アリエルにつけられた胸の小さな刺し傷だった。
その痛みに顔をしかめたノーマンは、気づく。
憎い相手に対して怨嗟を叩きつけるように「お前さえいなければ」と吐き捨てる。
これでは、目の前にいる男と変わらない思考と行動だ。
ノーマンがもっとも毛嫌いしてきたことで、変わりたいと望んだことだ。
「くそっ……」
強張った肩から、腕から、指先から、ゆっくりと力を抜く。
身体はその決定を拒むように固まっていたが、やがて少しずつ剣を下ろすことができた。
大きく息を吸う。
怒りはまだ心の中でくすぶっている。
苛立ちもまだ腹の底で煮えたぎっている。
それらがすべて、この剣を使えば簡単に解決すると全身の血液が訴えてくる。
それでもノーマンは剣を鞘におさめた。
「殿下……?」
その行動を理解できないのか、同行してきたセオドアが驚いたような声を出す。
目の前にいる前王も不可解そうに眉根を寄せていた。
「なんだ、ノーマン。親殺しが恐ろしいか」
「老人は黙っていろ。もうあなたが口を挟む時代は終わった。ぼくはもう、あなたに囚われるつもりはない。おとなしくそこで裁きを待っていろ」
言葉にしてようやく、復讐心は少しずつ落ち着かせることができた。
ノーマンは牢を閉めると、そちらに背を向けた。
すると背後に控えていたセオドアと向かい合う格好になる。
あらためてノーマンは言った。
「ぼくはやはり、王にはならない」
この一言にはセオドアも焦ったように顔色を変えている。
「今さらなにをおっしゃるのですか、殿下」
「この男と話してあらためて思った。ぼくは王にはなりたくない」
「殿下の感情はお察しいたします。しかしだからこそお父上を否定するような名君を目指してくださればいい」
「いや、ぼくは本質的に前王と同じだ。力を向ける方向は違うかもしれない。だが感情に任せて人を殺せる。理屈ではなく私怨を優先するタイプだ」
「しかしあなたは今、復讐をなさらなかった」
「危ういところで踏みとどまったのは、ぼくが王族ではなくなったということだ」
あるいはこれがその一歩目だ。
昨夜アリエルがつけた傷に服の上から触れる。
さっき動いたせいか傷口が開き、じわりと血がにじんでいた。
「今までの自分が吐いた言葉をすべて撤回する。ぼくは民主主義を肯定するし、反乱にはこれ以上加担しない。今すぐに兵を引け、セオドア」
「今さらそのようなわがままが通ると本気でお考えですか?」
「思ってはいない。だがお前の求める絶対王政は、王族の命令に絶対服従なのだろう。であればぼくの言葉を無視することは、それを否定することにつながる」
かといって指示に従えば反乱は失敗し、絶対王政を取り戻すことはできない。
こんなものは屁理屈だと互いにわかっている。
だからこそノーマンは言葉を重ねた。
「民主主義は誰も殺さなくていいための制度だ。すべての責任を集団で共有することが正しいかどうかはわからないが、絶対王政よりも優しい制度であることは間違いない」
「殿下はお優しい。しかしそれはぬるいとされる考え方です。責任をなすりつけあう衆愚ではなく、人々の意志を統一するリーダーこそが必要なのです」
「たしかに、すべての人間が同じことを考える状況に争いはないかもしれない。だが、それは平和じゃない」
ノーマンの想像する平和は城の中ではない。
彼の想像する平和はもっと散らかっていて、雑で、うるさいものだ。
「たくさんの人が違うことを考えて生きていられる環境を平和と呼ぶんだ」
たとえばそれは、世話焼きの少女と食い意地の張った少女が台所に並んで食事の支度をしていることだ。
「異なる意見をたたかわせ、足りない部分を補って生きていけることを平和と言うんだとぼくは思う」
たとえばそれは、生真面目な少女と力の抜けた少女が協力して掃除をすることだ。
たとえばそれは、しゃべらない少女とよくしゃべる少女が一緒に洗濯をすることだ。
たとえばそれは、無邪気な少女と人に懐かない猫と大きな人形が一緒に暮らすことだ。
「どれだけ立派な思想であろうと、みんなが同じことしか考えられないような世界は平和ではない」
力仕事をしたことのない令嬢と、世間知らずの王子と、影のある侍女が、互いの身分にこだわらずに生きられることだ。
ノーマンが知っている平和はそういう形をしている。
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