第七章 革命前夜
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ノーマンはどこにもいなかった。
それは反乱の指揮を取ることになったせいだとも言えたし、あるいは革命が起こった日からずっとそうだったとも考えられる。
屋敷に戻れなくなってからどれくらいの日にちが経ってしまったのか、ノーマンにはわからない。
あの日、反乱を先導すると宣言してからはあっという間に話が進み、とうとう戻れなくなってしまった。
今となっては女たちと暮らしていた日々は幻のように薄れ始めている。
セオドアによる反乱の指揮を取ることになったノーマンはその後すぐに王都を離れ、馬車で国内の各地を巡っていた。
そこで潜伏していた王政復古派の人々に声をかけ、団結を促し、準備を整える。
反乱の計画は単純だ。
各地で同時多発的に蜂起し、主戦力は王都にある城を落とす。
現在は議事堂として再利用されているそこはいわば絶対王政を打倒した民主主義の象徴だ。
そのシンボルを奪い返すことで、ノーマンの即位を国中に知らしめる。
人質を取られ、無理やり従わされているはずのノーマンだが、しかし扱いはとても丁寧なものだった。
身の回りの世話をする侍女は複数いたし、食べ物にも困ることはなかった。
訪れる町では必ず歓迎の意を示され、眠る場所にも困らず、入浴することもできた。
自分で川から水を汲んでくることも、掃除のミスで叱られることも、食事の用意を手伝う必要もない。
不本意な日々ではあったが、今まで行ったことのなかった場所を訪れるとどうしても胸が高鳴ったし、日々の生活に不満もない。
退屈を感じる暇もない、忙しい日々が続いている。
そうしているうちに、ついに反乱の準備が整ってしまった。
その日、ノーマンは王都からほど近い町の宿屋にいた。
王政復古派が経営するこの建物は現在反乱軍によって貸し切られている。
ノーマンの視界いっぱいに広がる人々はみな反乱に協力する人々だ。
多くはセオドアと同じ元騎士だ。
革命の余波で帰るべき家も仕事もなくし、平和な日々の中で武芸の腕を腐らせていた行き場のない人々。
彼ら再び武器を手にし、王都を襲撃する。
ノーマンは彼らの前に立ち、演説をすることになった。
「王都を見たことのない者はいるか」
ノーマンは第一声をそこから始めた。
演説をするのは初めてのことだったが、不思議と緊張することはなく、言葉が次々と浮かんでくる。
まるで生まれてから絶えず続けてきた日課をこなすような冷静さが身体の中を満たしていた。
「諸君はこの国の様々な場所から一つの志を胸に集まってくれた。自らの故郷を思い出して欲しい。そしてここまでの道のりで訪れた町を。そのどれか一つでも、王都に匹敵するほど繁栄した場所があっただろうか」
ノーマンは彼らとは反対に王都を出た経験がほとんどなかった。
生まれ落ちた場所は違うが、育ったのは王都だ。
それだけにこの数週間で国内を巡ったことにより、大きな刺激を受けていた。
「王都は諸君らの血を吸って肥え太った虚飾の町だ。本来ならばもっと潤っていいはずの町や村から富を、資源を、人を奪い、私腹を肥やしてきた。私の父である前王はその悪しき王政の象徴のような男であった。打倒されたことも仕方がないと言えるだろう」
ノーマンは自分で言っておきながらも「私」という一人称に強い違和感を覚える。
だがここで「ぼく」と自称しては迫力も威厳もあったものではない。
違和感を飲み下してノーマンは続ける。
「しかし前王と同じように王都でふんぞり返った人間たちが、民主主義だと、民のための政治などと口にするのは欺瞞に過ぎない。高いところから見下ろす人間が民の代表であるはずがないのだ。そして彼らの決断はひどく遅い」
ここからは言葉に大袈裟な身振り手振りを加える。
「前王の悪辣さは諸君らも知っての通りである。即刻裁きを受けるべきであるのは誰の目にも明らかだ。しかし未だに牢屋の中で安穏と生きている。食事を与えられ、衣服も提供される。民が飢えている日々の中で、明日の生活を不安に思うこともなく、平然と」
牢屋の中にいる人間の心情がどうしてわかるのか、ノーマンは自分で演説しておきながらもおかしな気分になってくる。
あるいは悪王も牢屋の中ではひどく反省した日々を過ごしているのかもしれない。
そんなことを思い浮かべてみようとするが、やはり現実的ではない。
あの王が自らの非を認めることなどありえない仮定だろう。
「民主政治では悪を裁けない。なぜだろうか? 誰も責任を負いたくはないからだ。群衆でいれば顔を隠せる。責任を負うことなく、好きなことが言える。だが王を殺せば、それは個人の行動になる。自分の行動に責任を持てない臆病な人々は、全員で王を殺したという事実を用意するために無駄な時間を浪費しているのだ」
実際、裁判で死罪に決まったはずの前王は未だに牢屋で暮らしている。
そのことを許せない気持ちはたしかにノーマンの中にあった。
どこまでがウソの言葉で、どこからが本心なのか。
もはやノーマン自身にも曖昧になりつつある。
「だが人々が臆病であることを私は責めない。誰しも恐ろしいことはある。だからこそ私が責任を背負う。それが統治者の役目というものだ」
ノーマンはここまでの演説の中で、もっとも力を入れて宣言する。
「私が前王を断罪する。それが私がこの国の国王としておこなう最初の仕事だ」
ノーマンが前王である父を殺す。
この計画はそもそもセオドアたち反乱軍幹部の立案によるものだ。
その狙いもある程度は推測できる。
絶対王政に対する国民の信頼を取り戻すには、これまでの悪事を誰か一人の責任とするのがもっとも簡単な方法だ。
歴史的に積み重ねられてきた王の独裁によるデメリットを、すべて前王に集約する。
そうすることで悪かったのは個人であって制度ではないということを強調するのだ。
民衆の味方である正義の王子が悪の権化たる前王を打倒する。
この禊をもって絶対王政は信頼を取り戻し、人々の支持はノーマンに集まるはずだという考え方だ。
「諸君には苦労をかける。不甲斐ない王であるが、どうか支えてくれ」
そう言って演説を締めくくると、場内からはすさまじい歓声と拍手が巻き起こった。
「さすがです、殿下」
壇上から降りるとセオドアが待ち受けていた。
その目は歓喜の光で輝いている。
「心震わすお言葉の数々、やはりあなたは人の上に立つべくして生まれたお方だ」
「これくらいのことであまり褒めるな」
憮然として言ってみせるが、内心では想像していたほどの抵抗は感じていない。
むしろ妙にしっくりと来る感覚があった。
自分で進む方向や方法を考えられるよりも、誰かが提案したそれに同調するほうがよほど簡単だ。
一からなにもかも決めて行動するよりも難しくない。
そういう意味では、与えられたこの役割はとても気楽なものだった。
作戦を自分で考えるわけでもなく、目標を自ら定めるわけでもない。
周囲の求めに応じて動くだけでこれだけ喜んでもらえる。
目的を失った空っぽの器を自分の力で埋めなくて済む。
「もう休んでも?」
「ええ。明晩に決行ですので、それまではどうかお心のままに」
「わかっている」
宿屋の三階に用意された部屋に戻るが、どうにも落ち着かない。
反乱を拒む冷静な思考と、演説によって昂揚した気分とがかみ合わず自分の身体がバラバラになるような錯覚を抱いた。
結局、自分は苛立っているのだと決めつけて、その感情のまま侍女を下がらせ、一人になる。
熱を持った身体をベッドに投げ出して考えた。
本当に自分がやるべきことは前からわかっている。
屋敷にいる少女たちにどうにかして、反乱の危機を伝えることだ。
そうすれば彼女たちはあそこから逃げ出すことができる。
そうなればノーマンがこの反乱に協力する理由はなくなるはずだ。
しかしノーマンは見張られていた。
丁重な保護は厳重な監視と同じだ。
ノーマンがここを逃げ出すことはおろか、誰かに言付けを頼むことも、手紙を出すことも難しい。
あるいは少女たちはノーマンが帰ってくることに見切りをつけて、すでに屋敷を出ているかもしれない。
オベロンとの交換条件は果たせなかったが、温情によって少女たちの働き口を本当に用意してくれた可能性もある。
だがそれも確かめようがない。
そんな不確かな可能性にかけて、屋敷を危険にさらすようなことはできなかった。
ならば諦めるしかない。
これまでに幾度となく重ねた思考はいつも同じ結論に行き当たる。
それでも暇があると考えてしまうのは未練だ。
この反乱が成功しようと、失敗に終わろうと、ノーマンが自由を手にすることは二度とない。
心のどこかでそのことにまだ諦めがついていないのだろう。
眠れる気がせず、ただ天井を睨んでいると風が吹き込んできた。
見るとカーテンが揺れている。
窓は閉めていたはずなのに妙だ。
そのことをノーマンは侍女の不手際だと決めつけた。
アリエルならばこんなミスはしない、と考えそうになってしまう。
これも未練だ。
わざわざ窓を閉めさせ、叱責するためだけに人を呼ぶのも億劫だ。
ノーマンは自ら立ち上がり、窓際へと向かった。
窓際に立ち、カーテンに手をかけようとしたそのとき。
外からカーテン越しに手が伸びてきた。
不意をつかれたノーマンは、その手に首元を掴まれてしまう。
さほど大きくはない手だが喉を締める力は強く、ノーマンは人を呼ぶ声すら上げられなかった。
次の瞬間には窓から人影が侵入してくる。
窓を開けたのはこいつだと、ノーマンは直感したがすでに遅い。
襲撃者は黒装束に身を包み、顔もしっかりと隠していた。
相手はノーマンを部屋に押し込むと、そのまま彼をベッドの上に押し倒した。
板張りの床に引き倒せば、大きな音が立つ。
そうすれば廊下や階下に物音が響き、人が駆けつけてくるかもしれない。
それを警戒した動きなのだろうと、ノーマンはなんとか推測する。
相手は手慣れている。
ノーマンは左手で相手の手を掴み、引き剥がそうとする。
相手の手首が想像よりも細いことに気づいたが体勢が悪く、うまく力が入らない。
その間に相手は懐から空いた手で短剣を取り出し、振り下ろしてくる。
迷いのない一撃に、相手が本気で自分を殺そうとしていることを悟った。
右手でどうにかその手首を掴んで、切っ先を止める。
だが馬乗りになられた状態では力比べもまともにはできない。
ましてや、首を締められた状態ではどうにか勢いを殺すだけで精一杯だった。
相手の力もそれほど強くはなかったが、それでも短剣を完全に止めることはできない。
暗殺者がのしかかるように体重をかけると、切っ先はじわじわとノーマンの身体に近づき、ついには胸部に到達する。
目がさめるような痛みと共に、ナイフの刃先がノーマンの身体に沈んでいく。
痛みに目を見開いたノーマンは間近で暗殺者の目を見る。
目元以外は布で覆い隠されていたが、にらみ合うことだけはできた。
深い藍色の瞳。
それだけでノーマンは暗殺者の正体に気づいた。
必死で声をしぼりだす。
「あ……ア、リエルか……?」
「…………」
相手は否定も肯定もしなかったが、ナイフにかかった力はかすかに緩んだ。
その瞬間を逃さず、ノーマンは強引に相手を押し返す。
暗殺者はノーマンの上から飛び退ると、窓際に着地した。
ノーマンが咳き込んでいる間に、短剣についた血をさっと払うとそれを懐にしまう。
「よくわかりましたね」
暗殺者は手袋をした人差し指で顔を隠す布を引き下げる。
そうして彼女――アリエルはノーマンを見つめる表情から力を抜く。
いつもの微笑がそこにあった。
「あれだけ間近で目を見ればわかる。どうしてここに? いや、そんなことよりもみんなは?」
「さぁ? まだ屋敷にいるんじゃないでしょうか。引き上げたという話は聞いていません」
「さぁって……」
「私は仕事でここに来ただけです」
「仕事ってなんだ? ぼくを助けに来てくれたのか?」
「混乱されていらっしゃいますね。だったらあなたを殺そうとするわけがないでしょう」
言われてみればそのとおりだ。
ノーマンはなんとか呼吸を繰り返し、混乱した頭を働かせようとする。
しかしすぐにはうまくいかない。
「そもそもその格好はなんだ? さっきのは本気で殺すつもりだったのか? なにがどうなっている」
ノーマンは怪我をした部分よりも頭のほうが痛くなる気がした。
「衣服は夜闇に紛れることのできるものを選びました。さっきの行為が本気だったのかどうかは、わざわざ確認しなくともわかることでしょう」
見慣れぬ黒装束のアリエルは、しかし口調だけは普段のものに戻っていた。
「こちらからも一つ、お尋ねします。私が王子ではなくなったあなたについていった理由を考えたことがありますか?」
「そのことになにか理由があるのか?」
「だからあなたはまだ王子なのです。従者はどこにでもついてきて当たり前だと思っている」
反論しようと口を開くが、結局は言葉にできない。
後宮に取り残された少女たちが自分に責任を取るよう迫る中、当然のようにアリエルはついてきてくれた。
屋敷で暮らす間も献身的に世話をしてくれた。
しかしよく考えてみればそれは不自然なことでもある。
ノーマンが革命に協力した以上、アリエルはもう彼のそばにいる理由はない。
後宮に取り残された少女たちを紹介したところまではオベロンの差金だったとしても、その後の生活を共にする必要はない。
あれほどまで献身的にノーマンの身を案じる必要などなかった。
仮にそうする理由があるとすれば、なにか別の目的がある場合のみだ。
ノーマンが答えを出せずにいると、やがてアリエルのほうから正解を明かした。
「私はあなたを見張るためにいたんです。有事の際にはあなたを殺すために」
「それは誰の命令だ?」
「革命派、ということになりますね。直接命令をくだされたのは、お嬢様のお父上ではありますが」
「そこまでする価値がぼくにあるとは思えない」
「反乱の旗印になります。王族の血が絶えないかぎり、いつでも革命はひっくり返される危険がある。現に今、そうなりかけているではありませんか」
「だったら、最初から殺せば良かっただろう」
半ばやけになってノーマンは言った。
革命が終わった時点で殺しておけば、わざわざ見張る必要もない。
「そういう意見も多かったそうです。約束を破ったところで咎めるものはいない。それでもあなたが殺されなかったのかひとえにお嬢様のおかげです」
珍しいものを集めるのが趣味である彼女が、ノーマンの血統を欲しがっていることはすでに知っている。
しかしまさかそれだけの理由で自分が生かされていたとは思わなかった。
「いくら貴族のご令嬢とはいえ、革命軍がわざわざオベロンの要望に応えたのか?」
「革命における最大の後援者であるシドゥス家をないがしろにはできません。彼女のお父上もお嬢様を大層かわいがっておられます」
「だからって、それだけで……」
「ええ、野放しにはできません。だから私が引き続き監視することになりました。あなたが生活能力の低い無能な個人として暮らすかぎりは、なんの問題もなかった。しかし万が一、国家を揺るがす火種になるのなら」
そう言ってアリエルは短剣を抜く。
「私があなたを殺すことになります」
「そうだったのか」
つまりそのためにアリエルは革命後もノーマンのそばに居続けたということだ。
話は飲み込めた。
ノーマンに抵抗するつもりはない。
だが訊きたいことはまだある。
「屋敷で暮らす女性たちがどうしているのか、本当に知らないのか?」
「知りません。今の私に関係あるのはあなたの生死だけです。あなたがいなくなった以上、あの屋敷で暮らす理由もありません」
「なら仕方ないな」
関係ない、と言うアリエルに伝言を頼むのもお門違いだろう。
自分は脅されて革命に協力しているんだと言い訳をする気にもなれなかった。
短剣を手にしたアリエルが一歩ずつ近づいてくる。
ノーマンはその様子を力なく眺めていた。
「ノーマン様、最後に一度だけ質問します」
彼の首筋に短剣を突きつけたアリエルは、そのままの姿勢で問いかける。
「あなたは誰ですか?」
訊かれているのが名前でないことは確かだった。
この質問をすることがアリエルによる最大限の譲歩だということは、ノーマンにも十分に伝わっている。
きっと「平民だ」と答えればアリエルはそれを受け入れてくれる。
この場を黙って立ち去ってくれるだろうし、あるいは助け出してくれるかもしれない。
だがウソをつくことはできなかった。
「ノーマン・ハーシェル。この国の王子だ」
結局、どれだけあがいたところでそこから抜け出すことはできない。
それはセオドアの言うとおりなのだろう。
「……あなたは残酷な人です」
そう言ったアリエルの表情は変わらない。
だが彼女はノーマンが生きることを許しはしないだろう。
刺し殺される恐怖をごまかすためにノーマンは目を閉じた。
できるだけ抵抗はしないでおこうと心に決める。
自分が死ねばどうなるだろう。
セオドアは反乱をやめるだろうか。
少なくとも人質は価値を失うが、それで安全だとは言い切れないような気もする。
結局どうしたところで不安なことや、心配事は消えないのだ。
だったらここで様々な不安から抜け出せることは幸せなことかもしれない。
しかしいくら待っても、その瞬間は訪れない。
ノーマンはおそるおそる目を開ける。
するとそこにはもう誰の姿もなかった。
開け放たれたままの窓から、なまぬるい風が吹き込んでくる。
さっきのは自分の感情が生み出した幻影なのか、とも考えたが胸にできた怪我が現実であることを証明している。
アリエルはなにも言わずに姿を消してしまった。
そのことをどう解釈すればいいのか、ノーマンにはわからなかった。
彼女が去った窓際には時計だけが置かれている。
それはかつてノーマンが贈り、アリエルが肌身離さず身につけていた時計だった。
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