3-3
様々な家事においてほとんど役に立たないノーマンだが、たった一つだけ他の少女たちよりも優れている作業があった。
それが水くみである。
これこそがウルリとの入浴中に気づいた、唯一貢献できる家事だった。
「体力があるのは意外だったわ」
川から組んだ水桶を手にしたチタニアが楽しげに言う。
彼女は一つの桶を両手で抱えて運んでいた。
「そんなにぼくはひ弱に見えたか」
一方のノーマンは竿の両端に桶を一つずつ引っ掛けたものを両肩に担いでいる。
そのため一度に合計四つの水桶を運びながら、チタニアの後ろを歩いていた。
今は料理に使うための水を運んでいる最中だ。
「そうね。王子様って言うくらいだから自分じゃ着替えもしない生き物だと思ってた」
「たしかに自分で着替えはしなかった。今でもアリエルに手伝ってもらっている。しかしそれと体力は別の問題だ。剣術を習っていたと言っただろう」
「そういえばそうだったわね」
剣の鍛錬自体は屋敷に移動した今も続けている、早朝に川辺で剣を振ると気分が晴れるし、汗をかけば水浴びで流せる。
一石二鳥だった。
「あと、外ではあんまりそういうことは言わないようにしてくれ。どこで誰が聞いてるかわからない」
「気にしすぎよ。誰もあなたの顔なんて知らないし、それにほら、あっちのほうが目立つでしょ」
チタニアが示したほうにはオベロンがいる。
ノーマンよりも後方で、息を切らしながら一つの水桶を引きずるように運んでいた。
「大丈夫なのー?」
チタニアが大きな声で呼びかけると、オベロンはゆるゆると手を振って答えた。
特別扱いを求めないオベロンは水汲みまでも平等にこなす。
しかしこちらは貴族らしく、あまり体力仕事はやったことがないようだった。
「あのご令嬢も変わり者よね」
オベロンが追いつくのを待つ間に、チタニアがつぶやく。
「名門のご令嬢といえば、あれくらいの年にはもうどこかに嫁入りしているものよ。家柄も文句なし、しかもあれだけ綺麗なら縁談の申込みは絶えないでしょ。それが未だにこうして道楽にふけってる」
「道楽じゃなくて人助けだろう。現にぼくたちは、彼女の援助なしではこんな風には暮らせない」
「人助けが道楽だってこと。自分が飢えているときに他人と食事を分け合おうなんて人間はいないわ。余っているものを高く貸し付けられるから人助けをするのよ」
「やさぐれた考えだ」
「王子様みたいな上品な考えするほうが変なのよ。あなたを助けているのだって、なにか打算や裏があったほうがまだマシよ。本気で好奇心って言い出したら恐ろしいわ」
「これはぼくが革命に協力したことへの見返りだと思うけど」
「だったら幸せね」
「それ、私も気になってました」
チタニアと話しているうちに、オベロンがすぐそばまで追いついてきていた。
どこから会話を聞かれていたのか、さっぱりわからない。
「それ、というのはなんのことですか?」
「あなたが革命に協力したことです」
どうやら会話は断片的にしか聞き取れていなかったらしい。
オベロンは乱れた呼吸を整えながらおっとりと首をかしげる。
「ノーマンさんは王子で、毎日不自由なく暮らしていたと思います。それなのにどうして革命に協力したんですか?」
「王が嫌いだったんです。ぼくがどこで生まれたのかはご存知ですよね」
「はい。王と侍女の間に生まれたとか」
「え、そうなの?」
チタニアが驚いている。
十六番目の王位継承者、つまりノーマンの出自についてはもう広く知られていることだと思っていたが、そうでもないようだ。
隠すようなことでもないので、あらためて説明しておく。
「母は城に勤めていた侍女で、その過程でぼくを孕んだ。その後、母はぼくの存在を隠して田舎で暮らしていたんだよ」
母と過ごした日々の記憶はもうおぼろげにしか残っていない。
記憶の中のノーマンは海辺の町で母と二人で暮らしている。
住む場所は城のように大きくはなく、食事も質素で、着るものも贅沢ではなかった。
それでも幸せな記憶だと思っている。
「なら子どもの頃は王子じゃなかったのよね」
「一応はそういうことになる」
「その割に野菜の皮むき一つできないのはどうなのかしら。小さい頃、母親の手伝いとかしなかったの?」
「母と暮らしていたのは四歳までだ。だからまだ刃物は危ないからと言って持たせてもらえなかったんだよ」
「あー、そういうことか。たしかにあたしも幼い子に皮むきの手伝いはさせないわね」
うんうん、とチタニアはうなずく。
その間にノーマンはオベロンに向き直った。
「革命に協力した動機は個人的に王が嫌いだったことと、自分がああいう王になりたくなかったというだけのことです。立派な動機はないんですよ」
母と引き離されたことを恨みに思って生きてきたところに、アリエルから革命の協力を依頼された。
ノーマンにとっては渡りに船だ。
だから間違っても国民のために革命を、などと考えたわけではない。
「そうだ、動機の話ならそっちのも気になるわ」
チタニアはオベロンに対しても態度を変えることなく堂々と尋ねる。
屋敷で暮らす少女は何人もいるが、ここまで誰に対しても同じように振る舞うのはチタニアくらいのものだ。
「なにが目的でノーマンを支援しているわけ?」
「革命に協力していただいたお礼ですよ」
「じゃあ質問を変える。どうしてあなたが支援することになったの? 革命に協力した貴族はシドゥス家だけじゃないでしょ」
「父が筆頭だったこともありますが、私が興味を持ったのが大きいです。だって最後の王子なんて珍しいし、面白いじゃないですか」
無邪気にオベロンが微笑むが、それを見たチタニアは不快感を隠そうともしない渋面になった。
「やっぱりロクでもなかったわ」
「どういうこと?」
「おめでたいやつがここにも一人……まぁいいわ」
チタニアは頭を振った。
まるで不必要な思考を吹き飛ばすような動作だ。
「さ、休憩は終わり。行きましょう」
結局ノーマンには、オベロンの思考もチタニアの懸念も理解できないまま話は終わってしまう。
しかし歩き出してしばらくが経つと、また前を歩くチタニアが振り返ってきた。
「ねぇ、ノーマン」
「なんだ、今のところ叱られるようなことはしていないぞ」
「そうじゃないわ。こうして水汲みを手伝ってくれるのは、まぁその、感謝してる。見直したわ。でも本題はそこじゃないの。あなた、自分がお城でなんて言ったか覚えてる?」
「あのときのことは君に胸ぐらをつかまれたことしか覚えてない」
「お望みなら再現してあげましょうか」
「遠慮しておこう」
あれは記憶が風化するほど昔のことではない。
むしろ出来事の重要性のせいか、つい昨日のことのように思い出せる。
「問題にしているのは、ぼくが再就職の面倒を見ると言ったことか?」
「そうよ。有言実行しなさい」
「しているだろう」
「どこが」
「すでにこうして衣食住を提供している」
「それはあのご令嬢のおかげでしょう」
チタニアが空いたほうの手でオベロンを指差す。
移動を再開して間もなく、彼女の姿はまた遠くなっていた。
「わからない? あたしはね、未だにこの屋敷から一人も巣立ってないってことを問題にしているのよ」
そう言われてみて、ノーマンは目を閉じる。
今朝挨拶をした少女の姿を名前と共に順番に思い浮かべた。
侍女のアリエル、令嬢のオベロン、そしてここにいるチタニア。
最年少のウルリ、無口なセティ、不思議な言動で挨拶をするデモナ。
今日もパンを盗んでいたクレシダ、相変わらず生真面目なコーディリア、おざなりな挨拶しかしないシラクス。
窓辺にたたずんだままである人形のロザリンドと、あくびの多い猫のマブ。
誰一人欠けてはいない。
「たしかに、全員いたな」
「そういうこと。別に急ぐ必要はないのかもしれないけど、あんまり悠長にしていても仕方ないわ。だから再就職の面倒を見るって言ったのを、具体的な行動にうつしてよ」
「それはわかるが……」
別荘で暮らすようになってもうすぐ二週間だ。
ただ屋敷で生活をしているだけでは事態が前に進まない。
だがノーマンには懸念があった。
「でも知っての通り、ぼくはあまり人前に顔を晒すことができない」
「出不精なのは知っているわ」
「そんな理由だったか?」
「はいはい、生きているのを知られたくないんでしょう? でも王都以外の町に行くなら問題ないはずよ。あたしだって直接会うまで王子様の顔なんて知らなかったくらいだし」
「たしかに昔からあまり公の場には出なかったからな」
「王子だった頃から出不精だったのね」
「自分でもそんな気がしてきたよ」
「で、手伝ってくれるの? くれないの?」
「わかった。手伝うよ」
実際のところ、屋敷にいたところで役に立てることは少ない。
朝の水汲みだけを済ませれば、それからは誰かの就職を手伝って町に出るのは効率的だろう。
「ならまずはチタニアが行くのか?」
「なに言ってんのよ。あたしが一番に屋敷を出たら、みんなのご飯は誰が作るの?」
考えてみると他に誰かが台所に立っている姿を見たことはない。
パンを盗み食いしているクレシダを除いて、だが。
「じゃあ誰の活動を手伝えばいいんだ」
「そこまでは注文をつけないわよ。順番に声をかけてみて、やる気のありそうな子から手伝ってあげればいいでしょ」
「なるほど、やる気のありそうな子か」
ノーマンはそれから水桶を運びながら、候補となる人物について考えていた。
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