3-2

「なにしてんの、あんたたち」


「ん?」



 風呂上がりにノーマンがウルリを肩車していると、チタニアが呆れた顔をして立っていた。



「肩車だよ、チタニア。かわってあげようか?」



 ノーマンの頭上でウルリが無邪気な声を出す。

 するとチタニアはため息をついた。



「遠慮しとくわ。ま、仲がいいのはいいことだけどね」


 チタニアはそれだけ言って、立ち去ろうとする。

 その後姿にノーマンは声をかけた。



「今朝のことだけど、まったくチタニアの言うとおりだと思う」


「なによ、いきなり」


「ぼくは考えが甘かった。このままでは足を引っ張るばかりで役には立てないだろう。しかし役に立てる分野を見つけた。だから他の家事についてはしばらくウルリに弟子入りしようと思ってる」


「意外な結論を真面目な顔で言うのね」


「ぼくとしてはこれでも至極理にかなっているんだ」



 自分がなにもできないことを受け入れた以上は誰かに習う必要がある。

 その点でウルリは様々な家事をある程度こなせる。

 学ぶ相手としてはうってつけだ。



「ふーん。ま、いいんじゃない? それより、そろそろ晩ごはんよ。おとなしく席について待っててちょうだい」



 チタニアはそれだけ言うと台所に戻っていった。


 もしかすると、チタニアがわざわざ声をかけてきたのは今朝のやりとりを気にしていたのかもしれない。

 一瞬だけよぎったそんな考えを、ノーマンは勘違いだと判断した。



「じゃあ行こっか、ノーマン」


「先に行っておいてくれ。ぼくは少しだけ他のところに用がある」


「はーい。じゃあまたあとで」



 ノーマンの肩から降りたウルリは手を振りながら、走っていった。

 その後姿が見えなくなったのを確認して、ノーマンは人気のない廊下に移動して侍女の名前を呼んだ。



「アリエル」


「はい、なんでしょうか?」



 アリエルはそれだけでいとも簡単に現れる。

 まるで瞬間移動でもしているようだ。



「気になっていることがある」


「好きな子でもできましたか」


「茶化すな。ウルリの件だ。あの子がどうして後宮にいたのか、説明してくれ」


「その件は以前、オベロンお嬢様がご一緒のときに説明いたしましたよ。あなたとお世継ぎを作るために、国中から集められた美女の一人です」


「しかしいくらなんでも幼すぎる」


「そういう好みもあるでしょう」


「ぼくが訊きたいのはそこじゃない。以前の説明だと、あくまで後宮に集まった少女たちは自分の意志、あるいはそれに近い動機を持っていると言っていたはずだろう」



 王の後宮に入るためにやってきた少女の中で、まだ年若いものがノーマンの側室候補として囲われた。

 あるいは城に勤めていた少女の中から見目麗しいものが後宮に召し上げられた。


 以前、アリエルはそう説明していたはずだ。



「だがウルリの年齢で、自主的に城へ来るとは考えにくい」


「おや、意外と気がつきますね」


「ぼくを阿呆だと思っているのか?」


「滅相もない。多少間が抜けているとは感じていますけれど」


「アリエル」



 たしなめるように名前を呼ぶと、アリエルは観念したようにため息をついた。



「以前の説明がウソというわけではありません。説明を省いただけです」


「ならやっぱりウルリたちは違う事情があるんだな?」


「はい。たとえばウルリは家柄で言えば貴族の娘です。後宮には他にも何人か名家の子がいました」


「なら王族の側室候補になっていたのは政略か」


「そうとも言えますね。しかし王子の後宮、という本来ならありえない場所に囲われていたわけですから実際はもっとわかりやすい力関係です」



 そこまで説明されれば、ノーマンにも察しがつく。



「つまりは人質か」


「そう言っても差し支えないでしょう。前王は諸侯が結束したり、市民が貴族の後ろ盾を得て反抗する危険におびえていた。だからこそ王子との縁談という名目で、貴族の娘たちを王城に召し上げていた……とも考えられます」


「どちらかと言うと、そっちが本命なんだろうな」



 つまりノーマンのための後宮というのは、口実だ。

 ウルリのような少女は、反乱を防ぐための人質だったのだろう。



「でも結局革命は成された。そこには貴族も関与している」


「すべての貴族から人質が取ることができたわけではありませんよ。男子しか生まれなかった家もありますし、大きな力を持つ貴族から強引に娘を取り上げるわけにもいかなかったでしょう。巧妙にくぐり抜けた家もあったでしょうね」


「たとえばシドゥス家とか?」


「ええ。そういうところは私のように奉公人を出すことでごまかしていたようです」


「お前が人質だったのか? そういえばアリエルも初めて会ったときは、今のウルリと同じくらいの年だったな」



 それは今からおよそ十年ほど前のことになる。

 そのときは当然、ノーマンもまた幼く、城に連れてこられたばかりの頃だった。



「はい。私は一応シドゥス家の遠縁にある、ということになっていましたので。直系の娘であるお嬢様の代わりにお城にいました」


「一応、というのが気になるな。城に潜り込むためのウソだったのか?」


「もう済んだことですよ。それに、私が言ったことはあまり鵜呑みになさらないでください。侍女をしている間に見聞きしたうわさ話を得意げに話しているだけですので」



 アリエルの口調は普段と変わらなかったが、ノーマンはかすかな違和感を覚えた。


 数秒の間、会話が途切れる。

 その空白でアリエルの表情を読もうとするが、そのとき別のことがノーマンの脳裏をよぎった。



「待て。その話だと前提が崩れないか?」


「なんの前提ですか?」


「屋敷で共同生活を送っている前提だよ。ウルリが貴族の娘なら、ここで暮らす理由はない。実家に戻れるだろう」



 元々行き場がないからという理由で、ノーマンたちの共同生活は始まった。

 親が貴族ならば、革命が起こった今でも娘を養うことくらい難しくないだろう。


 その発言を聞いたアリエルは首をヨコに振った。



「ノーマン様、貴族といっても格があります。シドゥス家のように大きな土地を任される諸侯もいれば、末端のものもいる。そしてその権力が絶対ではないことを、あなたはもうご存知のはずですよね」


「ああ……そうか」



 王族でさえ時には地位と権力を失うことのある世の中だ。

 貴族だからといって永続的に裕福であるとは限らない。



「なら、ウルリの実家はもうないのか」


「はい」



 アリエルがうなずく。



「特に近年は富も物資も王都に集中していたため、あまり豊かではない土地を治める貴族は経済的に困窮したのでしょう。もちろんすべての貴族が没落したわけではありませんので、後宮にいた中から実家に帰った方もいますよ」


「なら、やっぱりウルリの進路もここで決めないといけないのか」


「そうなりますね」



 ここで暮らす少女たちは出自も年齢もバラバラだが、行き先がないという点だけは共通している。

 そういうことを再確認するだけで終わってしまった。



「疑問はとけましたか」


「ああ、助かったよアリエル」


「助かったといえば、今日はウルリと楽しく過ごされたようですね」


「壁の絵を見たのか。どうだ、中々の力作だっただろう」


「そうですね。あれはノーマン様が?」


「ああ。壁に絵を描くという斬新なアイデアが光った」


「ここに間借りしているということは忘れてませんよね」


「ん? もちろんだ」


「どうやらとぼけているわけではなさそうですね。そう考えるとやはりノーマン様はとんでもないお人です」


「お前がぼくを褒めるのは珍しいな」


「まぁ、こういうのは慣れていないのでチタニアに任せることにしましょう」


「なにが?」


「いえ。そろそろ食事の時間です。みなさま、お待ちかねですよ」



 色々な意味で、と最後に付け加えて、アリエルは廊下の角に消えた。

 その後、壁に絵を描いたことが発覚し、ノーマンはチタニアにこっぴどく叱られた。

 そこで初めてノーマンは、壁に絵を描いてはいけないということを学んだ。


 あと、元々恐ろしいチタニアは怒るとなお恐ろしいということも。

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