第三章 家事分担と一人目

3-1


「へたくそ! こんなに厚く皮をむいてどうするのよ!」



 食事の準備を進めていたチタニアが怒鳴る。

 小太刀を片手に持ち、もう一方の手にはボロボロの野菜を持ったままのノーマンは首をかしげた。



「しかしぼくは言われたとおりのことはやった。薄くむかなかったのは指を傷つけないためで、これは安全面に配慮した合理的な……」


「食材がもったいないって言ってるの!」


「その点は考慮していなかった」



 屋敷で暮らすようになって一週間が経つ。

 自室でぼんやりしているのにも飽きたノーマンは、数日前から家事の手伝いを申し出ていた。


 元後宮の少女たちはこれまでノーマンに手伝うよう求めなかったが、やはり良心が咎める。

 それにせっかく自由になったのだから、自らの生活能力を鍛えるのは必要なことだとも思った。


 だが今の所あまりうまくいっていない。


 ノーマンはチタニアのしかめっ面を見て、冷静にそんなことを思った。



「ほんと、使えない! 野菜の皮むきもまともにできないの? 同じ箱入りでもあのお嬢様はなんでもそつなくこなしてるわよ」



 令嬢であるオベロンは、相変わらず率先して家事を手伝っている。


 日常的にやっていた元後宮の少女たちに比べるとまだ劣るようだが、それでもノーマンよりかはうまくやっているようだ。

 そのせいかあっという間に屋敷に溶け込んでいる。


 一方でノーマンはまだどこか浮いているような感覚が拭い去れずにいた。

 それは性別のせいかもしれないし、単にノーマンの性格と技能に問題があるのかもしれない。


 ノーマンは無表情のまま手にある野菜とチタニアの顔を交互に見比べた。


「初挑戦のわりにはうまくやれたつもりだ」


「その自己評価の高さはなんなのかしら。あー、もう! アリエル!」


「なんですか?」



 チタニアの大きな声を出すとすぐにアリエルが現れた。

 今回も足音はなく、城にいた頃と変わらないエプロンとドレス姿だ。



「この王子様、全然使えない」


「それはそうでしょうね。想像通りです」


「おい、本人の前でするにはひどい会話じゃないか」



 ノーマンの控えめな抗議は意味を成さず、女性二人はやり取りを続ける。



「とにかくこっちじゃ面倒見切れないわ。よそに連れて行ってよ」


「そこをなんとかお願いできませんか」


「嫌よ。台所仕事にこだわることないでしょ。他にも洗濯とか」


「衣類をシワまみれにしてしまったため一昨日追い出されました。無口なセティさんが身振り手振りでやんわりとノーマン様の手伝いを断る姿は、見ていて心が痛みましたよ」


「じゃあ掃除は?」


「手際が悪く、見落としも多いという理由で昨日のうちに。生真面目なコーディリアさんが遠回しな表現を探しているうちに、シラクスさんが簡潔に足手まといとの評価をくだされました」


「それで今日は台所に来たのね。だからってこっちだって忙しいんだから、余計な仕事を増やされるのは困るわよ」


「おっしゃるとおりです。だそうですよ、ノーマン様」


「言いたい放題だな」



 ノーマンもここまで邪険にされては穏やかではいられない。



「手厳しいことばかり言ってくれるが、ぼくはどれも初めて挑戦するんだ。そのわりにはうまくやっているほうだろう」


「なにも自分でしたことないのね。じゃあ王子様はお城でなにして暮らしてたのかしら?」


「算術や文字の読み書き、あとは馬術と武術と剣術。楽器の扱いも少し」


「なるほどね。賢そうだけど生活能力はないってわけだ」



 やれやれ、と呆れたようにチタニアがかぶりを振る。

 その態度にまた気分が悪くなる。



「みんなが教えてさえくれさえすれば、ぼくだって」


「あのね、ノーマン。ここはあなたのための教習所でも学校でもないのよ。ぼーっとしているだけで手取り足取り教えてもらえるわけないでしょう。もちろん住む場所とお金を用意してくれているのはあなただけど、それとこれとは別の問題よ」


「ぼくもそのことを恩に着せるつもりはない」


「だったら余計な仕事は増やさないで、おとなしく本でも読んでいて。それが一番みんなのためになるわ」


「しかし……」



 なにか反論しようと口を開くが、結局なにも浮かばずにノーマンは息を吐いた。

 そうすると一緒に様々な感情も出ていって、身体の熱が冷める。



「そうだな、そのとおりだ」


「ふん。怒りもしないのね」



 チタニアはノーマンの態度に拍子抜けしたようだ。

 不愉快そうに鼻をならすと、アリエルに向き直った。



「そういうわけだから引き取って」


「わかりました。ではノーマン様、行きましょう」



 アリエルに手を引かれて、台所を後にする。



「そう気を落とさないでください。チタニアはああいう言い方しかできない人です。それに今は新しい環境に慣れず、みな大なり小なりピリピリしているんですよ」


「ぼくは別に落ち込んでない」


「それに、ノーマン様が役に立つ場所はまだあります」


「屋敷の隅で本を読んでいる以外にか?」


「ええ、たとえばロザリンドさんの髪を梳かすとか」



 ロザリンド、と言われてノーマンはその姿を思い出そうとする。

 まだ屋敷で暮らす女性たちについて、そこまできちんと把握できてはいなかった。


 それでもロザリンドがどんな姿形をしていたかはすぐに思い出せる。



「しかしロザリンドは人形だろう」


「ではマブの毛並みを整えるというのはいかがでしょう」


「そっちは猫だ」



 話しているとちょうどマブが足元を通りかかった。

 しっぽをゆらゆらとさせながら屋敷を闊歩する姿はまるで屋敷の主を思わせる風格だ。



「わかりました。ではウルリのところに向かいましょう」


「ウルリってあの、人の顔を見るたびに遊ぼうとしか言わない子どもだったな。あの子にも仕事があるのか」


「もちろん。この屋敷で呆けていたのはノーマン様だけです」


「いちいちトゲのある物言いをする」


「そう聞こえるのは心にやましいところがあるからですよ。さ、どうぞ」



 アリエルに案内された一室ではウルリが一人で絵を描いていた。



「あ、ノーマンだ!」



 入ってきたノーマンに気づくと、ウルリは筆を置き、駆け寄ってくる。

 そしてそのままノーマンの足に抱きついた。

 手と顔には色の違う絵の具がついている。



「遊ぼう!」


「いや、ぼくは遊びに来たんじゃなくて……」


「はい。ノーマン様がウルリと遊んでくれるそうです」


「なに?」


「やったー!」



 足に抱きついたウルリが顔をグリグリとこすりつけてくる。

 喜びを表す仕草なのだろうか。

 ウルリがそうしている間に、ノーマンは小声でアリエルに尋ねる。



「どういうことだ。ぼくは家事労働を手伝うと言ったんだぞ」


「年少の面倒を見るのは家事の一つですよ。それとも子育ては家事に入りませんか?」


「そうは言っていない。しかし聞いていた話と違う。お前はさっき、ウルリも仕事をしていると言っていた」


「子どもにとっては遊ぶのが仕事である、と誰かが言っていました。気に入らないと言うのであれば、教育とお考えください。年長のものが年若い人に技術や知識を継承するのは素晴らしいことです」


「教育係というやつにはあまりいい思い出がない」



 ノーマンが城で学んで楽しいと感じたのは、騎士であるセオドアとおこなっていた剣術の訓練くらいのものだ。



「それに、絵の具やおもちゃで一緒に遊ぶのが教育になるのか?」


「机に向かうだけでなんでもできるようになるとおっしゃるのであれば、ノーマン様は向かうところ敵なしですね」


「相変わらず皮肉が冴えてるよ」


「恐れ入ります。ともあれ、年少の子と遊ぶのは難しいことです。荷が重いとおっしゃるのであれば断ってくださっても結構ですよ」


「そうやって言えばぼくがやると思ってるんだろう」


「違うんですか?」


「もちろん違わない。やるさ」



 他の役割はできそうもない。



「ではよろしくお願いいたします。あ、注意事項をひとつだけ」


「なんだ?」


「小さい子はなんでも真似して覚えますので、いつも以上に品行方正な振る舞いを心がけてください」



 それでは、とお辞儀をするとアリエルは足音もなく姿を消した。



「お話終わった? じゃあ遊ぼう、ノーマン!」


「わかった。それじゃあ……」



 そこで一旦考える。


 これまでノーマンは自分よりも年下の人間と接する機会はほとんどなかった。

 そのためどういう風にすればいいのか、とっさには判断ができない。


 ノーマンはヒントを求めて視線をさまよわせる。

 本の音読、歌の練習、など色々と候補が浮かんでは消える。


 最終的にノーマンの関心を強く惹きつけたのは絵の具の存在だった。



「絵の続きでも描こうか」


「ノーマンは絵、上手なの?」


「城にいたときに勉強したことの一つだ。しかし、ただ紙に描くよりも面白いことがしたいな」



 どうせやるなられば、何事も全力でやりたい。

 そもそもノーマンは誰かと遊んだ経験がないため、加減がよくわからなかった。



「よし、できるだけ大きな絵を描くことにしよう」


「それって面白そう! でも、そんなに大きな紙ないよ? 買ってくるの?」


「紙に描くと考えるから狭くなる」



 ノーマンは壁に触れる。



「ここに大きなキャンバスがある。ここに描こう」



 ちょうどこの部屋の壁紙は白く、大きい。

 一面に描けば立派な作品になるだろう。



「それいいね!」


「そうだろう」



 人に褒められるということに慣れていないノーマンはすぐ有頂天になった。

 表情には現れないが、声がどうしても弾んでしまう。


 上機嫌のノーマンは絵筆を取ると、早速壁に一筆刻んだ。



「なに描くの?」


「そうだな……ドラゴンを描くことにしよう。色塗りはウルリに任せた。合作だ」


「おぉ!」



 ウルリも絵筆を手に歓声をあげる。

 そうしてノーマンとウルリはあっという間に打ち解けていた。


 その後、ノーマンは下絵を描き終えるととウルリと共に色塗りに参加した。


 まるで競い合うように夢中で楽しんだのだが、冷静になってみると手も顔も衣服もすべて絵の具まみれになってしまったことに気づく。


 あっという間に時間は過ぎていて、その頃にはもう夕暮れ時となってしまっていた。



「まずいな。こんな服を見せたら、誰になんて言われるか……」



 主に洗濯を担っているセティは無口だが無感情ではない。

 汚した衣服を提出すればいい顔はしないだろう。


 チタニアに見つかれば最悪だ。

 今朝の調子で叱られてしまう。



「ノーマン、内緒にしたいの?」



 ウルリが気遣うようにノーマンの顔をのぞきこむ。



「じゃあ一緒にお風呂入ろう」


「たしかにそれで身体の汚れはどうにかなるが」


「服はウルリが洗ってあげるよ。大丈夫、こっそり洗ったらバレないよ。いつもそうしてるもん」


「そうなのか?」


「うん。だから一緒にお風呂入ろ」


「よし、わかった」



 城と同じく、この屋敷にも風呂の設備がある。

 とはいえそれほど大勢で入るためのものではなく、使用するのは朝が基本だ。


 城では毎日大量の水を運ばせていたようだが、ここでは自分で用意する必要がある。

 屋敷は川にほど近いため、ノーマンが何度か往復すればそれほど時間がかからないうちに水は整った。


 下から薪をくべ、水をあたためる。



「まだぬるいうちに洗っちゃうね。ノーマンも脱いで、脱いで」



 そう言うとウルリは準備していた洗濯板を扱い、自分のものと一緒にノーマンの衣服を洗い始めた。


 それまでは半信半疑だったが、あっという間に絵の具が落ちてしまう。

 無邪気な印象とは異なる、見事な手際だった。


 そういえば以前も洗濯をしている少女たちと一緒に川辺で見かけたことがあった。

 あのときは遊んでいるものだと思っていたが、実際はこうして手伝っていたのだろう。



「すごいな」


「えへへ、もっと褒めて!」



 と言ったところでウルリがくしゅんとくしゃみをした。

 裸で洗濯をした影響で身体を冷やしてしまったようだ。



「湯に入ろう。お礼と言ってはなんだが、ウルリについた絵の具は落としてやる」


「やったー、ノーマンとお風呂ー!」



 ウルリは紐で長い髪を頭の上でまとめた。

 言動とは異なる、大人びた所作だ。


 そうして二人は向かい合うようにして湯に浸かる。

 ノーマンが指でウルリの顔についた絵の具をぬぐってやると、彼女は嬉しそうにはにかんだ。



「ウルリは色々できるんだな」


「うん、お城にいる間に覚えたんだよ」


「誰かに習ったのか?」


「ううん、汚したのがバレちゃうと怒られるからこっそり見て勉強したの。わからないところは、それとなくみんなに聞いたりしてね」


「偉いな」



 心のどこかでみくびっていたウルリのほうが、自分よりもよほどきちんとしている。

 ノーマンは感じた恥ずかしさをごまかすようにウルリに触れた。



「えへへー、顔は怖いけどノーマンっていい人だね」



 するとウルリのほうも嬉しそうにノーマンに抱きついてくる。

 華奢な身体は彼女がまだ幼いことを否応なく伝えてきた。


 だからこそふと気になってしまう。



「ウルリはどうして後宮にいたんだ?」


「ん? わかんない。それまで暮らしてたところから馬車にのせられて連れてこられただけだよ」


「自分で選んだんじゃないのか」



 意外な気持ちはしたが、考えてみれば当たり前だ。

 ウルリのような子どもが自らの意志で後宮へ入ったとは考えにくい。



「じゃあ後宮がどういう場所かもわかってないんだろうな」


「それは知ってる。ノーマンのお嫁さんになるんでしょ? お城にいたとき、みんなが教えてくれたもん。王子様と結婚するからお姫様になれるんだよって」


「残念だけどぼくはもう王子様じゃないよ」


「別にいいよ。ノーマン、絵が上手だから好き」



 そう言ってノーマンの顔を指でぬぐう。

 自分がしてもらったように、今度はノーマンについた絵の具を落としてくれているのだろう。



「ウルリはきっといい女の人になるよ。どんな大人になりたい?」


「綺麗な人!」


「それはきっと時間が経てば問題ない。そうだな、じゃあどんなことをして暮らしたい?」


「えっとね、絵を描くのと、追いかけっ子するのと、絵本を読むのと、あとはね」


「ウルリは将来、どんなことでもできそうだな」



 だからこそ余計に自分の不甲斐なさが気になる。



「ぼくも洗濯や掃除、それに料理を覚えないとな」


「なんで? 服を汚したら、また洗ってあげるよ?」


「それは嬉しいけど、自分でなんでもできないとダメだろう」


「一人で暮らすならそうかもしれないけど、今はみんなと一緒なんだよ? だったらみんなが同じことをできるより、違うことができたほうが楽しいでしょ?」


「そういうものかな」


「うん。ノーマンは洗濯ができないかもしれないけど、ステキな絵が描ける」


「それは生活に結びついてない」


「でも私は楽しかったよ。だからお洗濯もがんばろー、って気持ちになったし」


「役割分担ということか」



 いきなりなんでもできるようになる、というのは理想が高すぎるということを言いたいのだろうか。

 そう考えてノーマンはかぶりを振る。


 まさかウルリがそんな難解なことを言いたいわけではないはずだ。

 ただ、みんなの特技は違ったほうが楽しいという感想なのだろう。


 しかしその言葉に少しだけ慰められた気分になった。


 新しいことをすぐに覚えるのは難しくとも、徐々に覚えていくことはできる。

 そしてそれまでの間は自分ができることを活かしていけばいい。


 そういうことなのだとノーマンは解釈した。



「ね、それよりノーマン、明日はどんなことをして遊ぼうか」


「そうだな、屋敷の中をあらためて探検してみるのもいいかもしれないな」



 ふにふにとしたウルリの身体を抱きかかえたまま、二人は湯がぬるくなるまでそうして過ごした。

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