5-3
「だってしょうがないじゃん」
ノーマンに、露店で騒ぎを起こしたことを注意されたクレシダは子どものようにむくれていた。
「あいつ、偽物を本物だって言って安く売ってたんだよ? そんなことしたら、ちゃんとした本物が売れなくなるじゃない。そうしたら本物を売る人がいなくなっておいしいものが食べられなくなっちゃうでしょ」
「それはそうかもしれないが」
「でしょ? それに間違ったことは言ってないもん。あれはぜーったいに偽物だった」
「食べ物に関して、クレシダが不誠実なことはしないとわかってるよ」
ノーマンはクレシダを叱るつもりだったが、うまくいかなかった。
すっかり気力の萎えたノーマンは同じ部屋にいるセオドアに目を向ける。
セオドアと再会した後、ノーマンはクレシダとも合流し、宿に移動していた。
ここで用心棒と警備をしているというセオドアの紹介だったため、予定よりも安く宿を取ることができた。
そしてそのまま彼を部屋に引き止めている。
「彼女の言い分も理解できます。調査組織に連絡して、あの店については真偽を確かめておきます」
「色々と面倒をかけるな、セオドア」
「いえ、構いません。それよりも殿下、これはいったい……?」
「事情は説明するよ。いいだろう、アリエル」
「どうぞ、お好きになさってください」
ことさらうやうやしくアリエルは一礼をしてくる。
それが彼女なりの嫌味なのだということはノーマンにもわかっていた。
しかし自分の生存を知られた以上、セオドアに事情を説明しないわけにはいかない。
そしてきちんと口止めをしておくべきだろう。
ノーマンはこれまでの経緯のあらましをセオドアに説明した。
革命に協力したことを話すとさすがに驚いたようだったが、同時に合点がいった様子でもあった。
「殿下は昔からお父上のことを良く思っておられない様子でしたね」
「それは今でも変わらない。心配をかけたことは詫びる」
「いえ、自分はこうして殿下と再び会えただけで望外の喜びです」
「わかっていると思うが、このことは」
「はい。口外いたしません」
「助かる」
そこからノーマンは、後宮に残っていた少女たちと共同生活することになったことや、自分が家事もできないという話をした。
そして今は少女たちの再就職および次なる行き先を決める手伝いをしている、というところでノーマンの話は終わりを迎える。
最初は緊張した面持ちだったセオドアも、話をしているうちに徐々に打ち解け、話を終える頃にはすっかり穏やかな表情になっていた。
「微力ではありますが、自分にも手伝わせてください」
ノーマンの現状について聞き終えたセオドアははっきりとした口調で言った。
「この市場でなら多少は口利きをすることもできます。彼女を受け入れてくれる店もいくつか見繕うことができるでしょう」
「本当か。助かる」
「いえ、早速確認してまいります。それでは」
一礼をし、部屋を出て行きかけたセオドアは足を止めて振り返る。
「殿下、本当によくぞご無事で……」
「わかったから、いちいち涙ぐむな」
思った以上に心配をかけていたようだ。
セオドアは何度も振り返りながらもようやく部屋を出て行った。
「で、あの人は誰?」
セオドアが部屋を出て行った直後、クレシダはぶっきらぼうに言った。
「城の騎士だった男だ」
「へぇ、貴族?」
「いや、平民の出だ。田舎はたしか東の方で、実家は農家と言っていた気がする」
「仲良かったみたいだね」
「騎士の中では若くて年が近い方だったし、話しやすい相手ではあったな。多少の無理は聞いてくれる。剣術の訓練もつけてくれた」
「ふーん。ま、なんでもいっか。おかげであたしの就職が決まりそうだしね」
「たしか希望があるんだったよな」
「ええ。食事に関する仕事で、働きながらお腹がいっぱいになるところ」
「そんな働き先ってあるのか?」
アリエルに尋ねるつもりで視線を向ける。
「どうでしょうね。まかないという形でならあるとは思いますが」
そう答えたアリエルは普段と同じ涼し気な表情だったが、内心ではどう考えているのかノーマンには読みきれなかった。
そして翌日の昼にはあっさりとクレシダの就職先は決まった。
セオドアが話をつけてくれた店を何軒か回り、クレシダ自身が交渉することによって雇用が決まった。
ちなみに昨日、クレシダが追求した食品偽装は事実だったらしい。
その出来事のおかげで、繁華街の人々には彼女の評判が広く知られていたようだ。
働き出すのは数日後となり、クレシダは荷物をまとめるためにノーマンたちと夜には屋敷へ帰ることになった。
「屋敷に帰る前に、食べ歩きに付き合ってよ」
そうクレシダに誘われたノーマンは二人で露店を見て回ることになった。
といっても主な役割はクレシダが注文したものに対して金銭を支払うというものだ。
クレシダは最初から財布としてノーマンを誘ったようだった。
日中と日没後では露店の種類も違うらしく、日が沈んだ今は食材そのものよりも調理済みのものを売っている店が多い。
クレシダは両手に様々な料理を携えて、満面の笑みを浮かべている。
「うんうん。やっぱりトゥーンガは焼いたのが一番おいしいよね。ノーマンもちゃんと食べてる?」
「もう苦しいくらいに食べてるよ」
「まだまだこれからなんだから。そういえば、忘れがちだけどあんたって元は王子だったんでしょ?」
「一応は。だけど、あんまり町中でそういうことを言わないでくれ」
「大丈夫、こんなところで人の会話に聞き耳を立てるやつなんていないって。みんな食べ物に夢中なんだから」
どうも屋敷で暮らす少女たちにとってはノーマンの身分というのは意識しないものらしい。
そのほうが堅苦しくなくていいと感じる面もあるが、頻繁に確認されるのは困る。
「でもノーマンって警戒心薄いよね。今だって、食べてるものに毒が入っているとか考えてないでしょ?」
「たしかに考えたこともなかった」
「屋敷にいたときだって、みんなとおんなじタイミングで食べ始めるしさ。色々と信じられない」
クレシダはノーマンをからかっているような調子で続ける。
「あたしさ、後宮では毒見係だったんだよね。毒見係って知ってる?」
「聞いたことはある」
「王子様にはついてなかったの?」
「目の前で食べている姿を見たことはない」
自分の食事を大勢の料理人が手がける、という話は城にいた頃聞いたことがある。
ノーマンが食べるためだけの食事であっても、一度に何人分も作る。
そうしてそのうち無作為に選んだいくらかの料理を毒見係が食べて、安全が確保されてからノーマンに提供されるのだ。
そういう風になっているのだと、以前城で学んだことがあった。
「ま、知ってるなら話が早くていいね。あたしは後宮でその毒味係だったの。何十人といる中の一人だけどね」
「食材に関する知識はそのときに学んだのか」
「そう、自然とね。毒が入ると変色する食べ物とか、食品の産地とか、そういうのに詳しくなるんだよ。後宮の仕事は忙しかったけど、珍しくて高品質な食事を食べれるからそんなにつらくなかったかな。でもね、ある日隣の子が毒見で死んだの」
「まさか。ぼくはそんな話、聞いたことがない」
毒見係とはあくまで抑止力だ、と教えられていた。
そういう存在がいる、というだけで暗殺者は食事に毒を混ぜることを諦める。
そういった目的で設けられた役割であって、本当に毒で死ぬ人間がいたなんて聞いたことがない。
「そりゃわざわざ公表はしないでしょうよ。でも毒見係をしていた子が死んだの。あたしも、もう少し早く口をつけていたら同じように死んでいたかもしれない」
「即効性の毒だったのか」
「そうだよ。遅効性のほうがバレないのかもしれないけど、何度も食事に毒を盛るリスクはおかせないでしょ。だから毒見係が引かないことを祈って、イチかバチかで仕掛けたんじゃない?」
たしかにノーマンの兄弟、もういない王位継承者の中には毒殺を疑われた者もいたと聞いている。
それくらい毒を用いた暗殺は珍しくなかったのだろう。
「それからは死んだ子の分も食べようと思って、食べられるときには食べられる限界まで食べるようにしたんだよね」
「普通は食べるのが怖くなるんじゃないのか?」
「でも怖くたって食べないわけにはいかないもの。だから精一杯食べて、毒まで食べて死ねるならそれはそれでいいかなって。でもお屋敷を出るなら暴飲暴食はやめないとね」
「クレシダ、もしかして屋敷でパンを頻繁に盗んでいたのは」
誰かが意図的に盛った毒を確認するだけでなく、腐敗を確認するのも毒見だと聞いたことがある。
だとすれば、クレシダはみんなのために毒見をしてくれていたのだろうか。
「ううん、あれは単にお腹が減っていただけ」
「なんだそれ」
「成長期なんだもの、仕方ないでしょ」
冗談めかしてクレシダはケタケタと笑う。
「ありがと、ノーマン」
「今回の就職に関して、ぼくはなにもしていない。礼を言うならセオドアに言ってくれ」
「そうね。でもこれは働き先が決まったことに対するお礼じゃないの」
そしてクレシダは振り返る。
「今のは、これまでずっとあたしと同じものを、同じように食べてくれたことに対するお礼よ」
そのときノーマンは初めてクレシダのことを知ることができた気がした。
これでまた屋敷から一人の少女が旅立つことになる。
残り、七人。
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