5-2
次の日、早速ノーマンは馬車に揺られて再び王都を離れていた。
今回の旅路には以前、コーディリアと共に出かけたとは違うことが三つあった。
まずは行き先。
前回行った山間の町ではなく、それよりも遠い場所にある繁華街を目指していた。
日帰りで何度も往復するのではなく、数日間泊まり込みで活動することになる。
そのため荷物も多い。
次に同行者の数が前回よりも一人多くなっていた。
「本当についてくるのか?」
「主が外泊するなら同行するのが侍女の仕事というものです」
涼しい顔でノーマンの隣にいるアリエルは言い切った。
「ノーマン様は私が同行することになにかご不満でも?」
「そうは言っていない。でも屋敷に残ったオベロンのことはいいのか?」
「お嬢様は近頃あまりお世話をさせてくれません。それにご自分で着替えもできます」
「ぼくも最近は一人で着替えてるだろう」
「すっごくバカっぽい会話」
ノーマンがアリエルに抗議をしていると、反対側からクレシダの冷めた声が聞こえた。
「そんなことより、着いたらなにを食べるかとか、そういう大切な会話をしようよ。あ、宿だけど食事が豪華なところにしないとね。食べ物がおいしくないと他のサービスがどれだけ良くても意味ないし」
「物見遊山に行くわけじゃないんだぞ」
「わかってるって。でも似たようなもんじゃん。気楽にやろうよ」
前回と今回でもっとも大きく違う点、それは今回就職活動をするのがクレシダということだった。
食い意地が張っていて、いつもパンを盗んでばかりいるクレシダであれば、巣立ったところで屋敷の運営にさほど影響は出ない。
ノーマンはそう判断して、クレシダに対して就職するように促した。
その代わりにクレシダが出した要求がこれだ。
「働くのは別にいいけど、そのかわり行き先はあたしに決めさせてよね。前から食べてみたい……もとい、行ってみたいところがあったの。当然泊まりがけだから。あと職場環境を調査するために色んな店を食べ歩くからそのつもりで。それと――」
最初に屋敷を出たコーディリアとは正反対で、クレシダからの注文はとても多かった。
馬車に乗ってからもこの調子で着いてからのことに思いを馳せている。
ほどなくして着いたのは交易が盛んな町だった。
ノーマンがこれまで目にしたどんな町よりも道幅が広く取られていて、絶えず荷物をたくさんのせた馬車が行き交っている。
両端には露店が連なっており、地域の特産品はもちろん別の産地から運ばれてきた食材も売られていた。
いわゆる繁華街というやつだろう。
「はぁー、ステキ! 死ぬまでに一度は来てみたかったんだよね!」
クレシダが歓喜のため息をもらす。
王都ほどではないが行き交う人の数は多い。
特に露店の前では立ち止まる人がいて、流れが滞るため実際の人数以上に道は混み合っていた。
「はぐれないように手でもつなぎましょうか」
「どこまでぼくを侮るんだ。これくらいの人混みはどうということもない」
「それは結構なことです。ではお尋ねしますが、クレシダはどちらに?」
「クレシダなら、すぐそこに……」
ノーマンはついさっきまでクレシダがいたはずの場所に目を向ける。
だがそこにはすでに見知らぬ他人が行き交うだけで、クレシダの姿はなかった。
「いないな」
「そうですね」
「ぼくが悪かった」
「いえ、お気になさらず。おそらくまだ遠くには行っていないでしょう。それに行き先も検討がつきます」
「それはぼくにも想像がつく」
クレシダのことだ、なにかおいしい食べ物を求めてさまよっているに違いない。
さすがに店のものを盗みはしないとは思うが、放っておいていいということにはならない。
見通しの悪い人混みの中をアリエルと共に進む。
周りの店からは呼び込みをする声が絶えず続いており、声を頼りに探すのも難しそうだ。
「なんだ、あんた! オレの売ってるもんにケチをつけるつもりか!」
これだけ人も店も多ければ揉め事もあるようだ。怒鳴り声に群衆も一瞬静まり返る。
「だって変じゃん」
怒鳴り声に対して応じたのは少女の声だ。
しかも嫌に耳馴染みがある。
思わずノーマンとアリエルは顔を見合わせた。
「これが本当にオイコトの実なら、もっと色が鮮やかなはずでしょ。それにそれにロウクフ鳥の身は干すとにおいが強くなるから、こんな風に吊るして運んでこれない。どっちもニセモノじゃないの?」
どうやら店主とやりあっているのは、いなくなったクレシダのようだ。
まだ食べ歩きをしていてくれたほうがマシだった。
なんとかノーマンは騒ぎの渦中に近づこうとするが、人垣が邪魔で前進するのに時間がかかってしまう。
「お前に物の良さがわかるってのか?」
「当然。あたし、本物を見たことあるもの。食べたことだってあるし」
「これはお前のような下賤な女が食えるようなもんじゃない」
「本当だよ。だってお城にいたんだから。あそこよりもいいものが食べられる場所って他にないじゃん? それでもまだあたしの言うことを疑うつもり?」
城のことを持ち出したのはまずい。
案の定、野次馬たちがどよめく。
革命後の今、どうしたって王族関係者への風当たりは強い。
ましてや王城で暮らしていたとなれば、重税に苦しんだ民を尻目に豪遊していた一人なのだと思われかねない。
アリエル、と名前を呼んで仲裁を命じようとしてノーマンは思いとどまる。
彼女の服装は明らかに侍女のものだ。
侍女の存在はこの繁華街でも珍しくはないが、今の状況で出て行けばクレシダが城にいたことを補強してしまう。
それは避けなければならない。
代わりにノーマンが出て行こうとすると、アリエルに腕を掴まれた。
「今はこの場を離れましょう。少しずつ人が集まってきています」
「だからこそ騒ぎを止めてくるんだろう」
「ご自分の立場をお忘れですか? あなたが注目を集めるのは、どうあっても避けるべきことです」
集まってくる群衆の中にはノーマンの顔を知っている人間がいるかもしれない。
アリエルはそれを危惧しているのだろう。
「外套を羽織っている」
「そんなものは気休めにしかなりません」
「だとしてもクレシダを置いていくことはできない。この後どうなるかはわからないんだぞ」
クレシダ本人は気づいていないようだが、このままだと袋叩きにあってもおかしくはない。
それくらい危険な状況だった。
「秘密が知られればクレシダだけでなく、屋敷で暮らしている女性たちにも危険が及びます」
「だったら、どうする?」
「まずはノーマン様の安全を確保してから考えます」
「悠長なことを」
こうしている間にも、クレシダと店主のいさかいは続いている。
いつ相手が手を上げないとも限らない。
焦るノーマンがようやく人混みの隙間から状況をうかがえる位置までたどりついた、次の瞬間。
「やめるんだ」
よく通る低い声によって、場の空気が凍りつく。
見れば長身の男が一人、クレシダと商人の間に割り込んでいた。
ノーマンの位置からは男の背中しか見えず、顔立ちまではわからない。
しかしその声にはなぜか懐かしさを感じた。
「どんな疑いがあるとしても、この場で揉め事を起こしたところではっきりはしないだろう。店主も大声で喚き立てたところで、評判は良くならない。後ほどあなたの話は聞かせていただく。身の潔白はそのさいに証明すればいい」
どうやら男はこの市場の警備をつとめているようだ。
男は店主が黙ったのを見て、次にクレシダのほうへ視線を向ける。
「ご婦人も、事情はどうあれいきなり強い口調で疑えば誰だって気分を害します。ここは誰もが楽しむための場です。穏やかではない振る舞いはご遠慮願いたい」
「それは……ごめんなさい」
クレシダが素直に謝罪する。
男の仲裁によって市場は一瞬失っていた活気と平和を取り戻した。
止まっていた人の流れも再び動き出す。
その流れの中でノーマンは立ち止まったままだ。
「行きましょう」
ノーマンの耳元でアリエルがささやく。
「この場は収まりました。クレシダとは後で合流すればいい」
「待て。仲裁をしてくれた男性に礼くらいは言ってもいいだろう」
「何度も言いますが、注目を集める場にいるということは、それだけノーマン様のお顔を知っている人と遭遇する危険性が高いということになるんですよ」
「殿下……?」
そのとき、驚愕に震える声がノーマンの耳に届いた。
この場で殿下と呼ばれる人間などそうはいない。
どうやらアリエルの懸念は現実のものとなってしまったらしい。
「だから言ったのに……!」
強引にノーマンを引き寄せたアリエルが苛立たしげな声と共に、懐に手を入れる。
すると一瞬で彼女の藍色の瞳が鋭さを増す。
殺気を感じたノーマンはとっさにその手を掴んで止めた。
「なにをするつもりだ」
「ご想像どおりのことです。あなたの生存を他人に知られるわけにはいきません」
「だからって人を殺すことはない」
アリエルは間違いなく目撃者を手に掛けるつもりだ。
「それが一番リスクが低い方法です」
「こんな町中でか?」
「雑踏の中なら犯人がわかりづらいというメリットにもなりますよ」
「だったらこのまま逃げればいいだろ」
「先ほども言いましたがリスクの問題です」
「ダメだ。ぼくはお前に人殺しをさせたくはない」
「私はお気遣いいただくほど、綺麗で可愛い女ではありません」
「ぼくの気分の問題だ」
「……どうなっても知りませんよ」
アリエルは不満げだったが、懐に入れた手を素手のまま抜いた。
そうしている間に人の流れに逆らって、声の主が目の前に現れる。
服装から見ても、先ほどの仲裁をしてくれた男性のようだ。
多少やつれてはいるが、その背の高さと精悍な顔つきには見覚えがあった。
「もしかして、セオドアか?」
ノーマンの問いかけに、男の表情はぱっと明るくなる。
相変わらず感情が顔に出やすい男のようだ。
「殿下、本当に殿下なのですね」
かつて城に勤める騎士の一人で、ノーマンにとっては剣を教わった師でもある。
そのセオドアが目の前にいた。
彼に対してごまかすことはできないだろう。
「ご無事で、よくご無事でいてくださいました……!」
セオドアはその場で傅き、声を震わせ涙を流す。
「泣くほどのことじゃないだろう」
さっきとは違う意味で注目を集めそうになり、ノーマンは困惑する。
アリエルの心配は理解しているつもりだったが、ノーマンはこの再会がそれほど悪いことだとは思えなかった。
そんなノーマンとセオドアの様子を、アリエルはひどく冷めた目で見ていた。
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