3-5
そんな風にして数日の間、ノーマンはコーディリアと共に山間の町に通った。
その間もコーディリアの態度は曖昧なままで、希望の職種を言わないどころか、熱心にどこかで働こうという意欲もあまり感じられない。
仕方なくノーマンは目についた店に片っ端から飛び込んでは求人募集をしていないかを確認して回ることになった。
そうして何軒か求人をしている店を見つけてはコーディリアの面接という段階までは進むのだが、結局彼女は決めきれない。
本人が迷っている以上、ノーマンが話を進めることもできないため話は保留となる。
すると当然こちらから頼み込んでいるため向こうの機嫌が悪くなり、話はなかったことになった。
そして屋敷へ戻る前には、まだ逗留している旅芸人の講演を見る。
「本当に希望はないのか?」
そんな日が何日か続いた後、ついにノーマンは行きの馬車でコーディリアに尋ねた。
「はい。私はどこでも、どんなことでも構いません」
「ならどうして決めきれないんだ? 今までの面接でも、向こうが受け入れる気でもコーディリアが煮え切らない態度のことのほうが多い」
「申し訳ありません」
「責めてるわけじゃない。なにか理由があるなら教えてほしいだけだ」
「自分は、その」
言いづらそうに何度かノーマンの表情をうかがってから、コーディリアは言った。
「自由が苦手なんです」
思いがけない告白だっただけにノーマンは理解しきれない。
しかしコーディリアがつらそうに打ち明けているため、口を挟むこともできなかった。
「なんでもしていい、と言われると困るんです。自分の判断に自信がもてない。自分は人に指示されたことならばそれなりにできます。しかし言われたことしかできないから気が利かないと言われてきました」
ノーマンは人から指示をされ続ける暮らしを窮屈だと感じていた。
王族として学ばなければならないこと、王族としてできなければならないこと、王族として我慢しなければならないこと。
そういうことが疎ましかった。
だからコーディリアのような感じ方もあるということを、どこか新鮮に感じてしまう。
「自分はこれまできちんとした教育を受けたことがありません。無学で不勉強です。だから自由に決めていいと言われても、どうせ正しいことは選べません。それよりもノーマン様が良いと判断していただいたところを教えていただければそこで働きます」
他の少女たちにあって、コーディリアにはないもの。
それは自分に対する信頼だ。
自己肯定と言い換えてもいい。
自分の判断に自信がないから、別の人間であるノーマンに委ねる。
なんと言えばいいのか、ノーマンには判断ができない。
しかし乞われるままにコーディリアの就職先を決めてやるほど、自分が思いやりがある人間だとは思えなかった。
それが判断できるほど自分はコーディリアのことを知らない。
彼女のことを考えてもいない。
だから別の質問をすることにした。
「やりたいことはないのか?」
「そう言われても、自分にできることなんてそう多くはないですし……」
「できることの話はしていない。やりたいことの話だ」
そもそもできることの範囲なんてノーマンのほうが狭いという自覚がある。
困った顔をしたコーディリアが救いを求めるようにノーマンを見る。
「ノーマン様にはやりたいことがあるんですか?」
「ぼくは……」
話すかどうか一瞬だけ考える。
以前、チタニアやオベロンに対して革命に協力した理由を話したことがあった。
父王への恨みや、自分が王になりたくなかったというのもウソではない。
しかし一番大きな動機はやはりあの城から自由になりたかった、というものだろう。
自由になってやりたいことがたしかにあった。
「ぼくは母に会いたいんだ」
「お母様、ですか?」
「そうだ。ぼくの出生については?」
「はい、存じ上げております」
「なら知っているだろうがぼくは昔、城ではなく母と暮らしていた。どの町なのかはわからない。覚えているのは海のにおいがしたことくらいだ。だからこそ、その場所を見つけて、母ともう一度会って話がしたい」
ノーマンがやりたいことはたったそれだけだ。
「でもそのためにはまず、屋敷で暮らすみんなの今後について責任を持つ必要がある。ぼくだけが自由になって、幸せになるわけにはいかない」
だから母の所在や、自分が幼少期を過ごした町を探すのは後回しだ。
後宮にいた女性たちがすべてノーマンの元を去った後、ゆっくりと探しても遅くはない。
城での暮らしは長かったが、ノーマンにとって楽しいことは少なかった。
だけど昨日や今日そして明日、屋敷で少女たちと過ごす毎日はきっと母へのいい土産話になる。
「コーディリアにはそういうのないのか? 理屈とか、向いてるとかじゃなくて、感情が動機になっていることが」
「でも、それが正しいかどうかはわかりません。だからあなたに決めてほしいんです」
「悪いけどぼくは自分のことで手一杯だ。とてもじゃないが、誰かの将来に関してまで責任を負うことはできない」
後から文句を言われても困る。
もちろんコーディリアの性格を考えればそんなことはしないだろうが、どちらにせよリスクは避けたい。
信頼して判断を委ねられるというのなら話は別だが、コーディリアの場合はそうじゃない。
自分に対する自信のなさが原因の、消極的な責任転嫁だ。
そんなものに付き合うつもりはなかった。
しばらくの間、コーディリアは困ったように黙り込んでしまう。
ノーマンも特にそれ以上は声をかけず、馬車に揺られるままになっていた。
そうして山間の町にたどり着いたとき、ようやくコーディリアが口を開いた。
「できなくてもいい、と言うのであれば興味のあることはあります。でもあまり現実的じゃなくて、それに自分にはとてもできそうもないというか、なんというか」
「前置きは十分だ。なにに興味があるのか教えてくれ」
「それは……」
コーディリアは黙ったまま、おずおずと広場の方へ視線を向けた。
そこでは今日も旅芸人の一座が講演をするための準備をしている。
「旅芸人か?」
ノーマンの問いかけにコーディリアはかすかにうなずいた。
そういえば初めて見たときから興味を惹かれていた様子だった。
「でも自分は歌も踊りも楽器もできませんし、それに人前に立つのも苦手だし、立派な一芸も持ってないし、それに、それに」
「それでも興味があるなら別にいいだろう。あの人たちだって練習してきたからこそあれだけのことができるんだ。掃除や洗濯で旅に貢献しながら学べばいい」
「それはそうかもしれませんが……」
「もちろんやめておくというのなら別にそれでもいい。これからどうするのかはコーディリアの問題だ」
ノーマンに関係があるのは、あくまで少女たちが屋敷を出るまでのことだ。
それ以降についてはどんな責任も負うつもりはない。
大成功を収めようと、悲惨な失敗に終わろうと、そこは本人がどうにかすることだ。
だからこそ、決定的な選択は請け負うつもりはなかった。
コーディリアが再び黙り込む。
しかしその表情はすでに結論が浮かんでいるようで、決意に満ちていた。
その瞳はノーマンではなく広場の方へ向けられている。
「私は、あんな風に世界を回って旅をして、たくさんの人を笑顔にしたいです」
それは初めて聞くコーディリアの本音なのだと、ノーマンには思えた。
「なら決まりだな。ぼくが交渉してくるよ」
「いえ、自分で話をしてきます。一座が城でノーマン様の顔を見ていないとも限りませんし、それにこれは自分で決めたことですから」
コーディリアはそう言い切り、広場へ向かって歩き始める。
その足取りからは緊張も不安も感じ取れたが、それでもしっかりと前を向いていた。
ノーマンはその背中見て、どこか羨ましさのようなものを感じずにはいられなかった。
***
旅芸人の一座は気のいい人ばかりで、コーディリアのお願いをあっさりと聞き入れてくれたらしい。
来る者は拒まず、という姿勢のようだ。
今後どうなるのかはコーディリア次第ではある。
それはどこのどんな職場に就こうと変わらないことだ。
屋敷へ帰った後、コーディリアの就職が決まったという報告をするとその日はパーティが催されることになった。
屋敷で暮らす女性たちは新たな門出を祝って、そして別れを惜しんで、ノーマンが眠った後も遅くまで話をしていたようだった。
そんな盛大なパーティの翌朝、準備を終えたコーディリアは屋敷を出て行った。
この屋敷から、そして後宮から外へ出る最初の一人だ。
生真面目なコーディリアは何度も振り返り、丁寧にお辞儀をしてから去って行った。
「寂しいか?」
ノーマンは台所で朝食の支度をしているチタニアに、そう尋ねた。
彼女はこちらに背を向け、野菜の皮むきをしたまま応える。
「全然。別に今生の別れってわけでもないしね。生きていればまたどこかで会うこともあるでしょう」
「それはそうだ。案外、出戻ってくる可能性も否定できない」
「そっちこそコーディリアに戻ってきてほしいんじゃないの?」
「いいや、戻ってこないほうがいい」
ここはあくまで仮宿だ。
いずれは空になることが決まっていて、それこそが望まれている。
「それにしても、わざわざそんなことを言いに来たの? 悪趣味ね」
「いや、ちょっと立ち寄っただけだ。すぐに出て行くよ」
忙しそうなチタニアの邪魔をするわけにはいかない。
ノーマンは台所を後にしようとするが、その前に一言だけ言っておくことにした。
「いつかはチタニアの就職も手伝わせてくれ」
「あら、あたしに早く出ていってほしいってこと?」
「どうだろう」
人の心配ばかりしているチタニアは、きっと自分のことをどんどん後回しにするだろうから、とは言わないでおいた。
自分に心配されていると知れば、彼女は憤慨するであろうということはノーマンにも想像がつく。
ともあれ、この調子でやっていけば想像よりも早く少女たちは巣立っていきそうだ。
ノーマンの目の前が明るく開けたような気がした。
残り、八人。
だが翌日、ノーマンは早速計算違いに気づくことになる。
「どうなってるんだ、これ」
朝食を取るために訪れた食堂はたった一日で姿を変えていた。
椅子はバラバラ、テーブルクロスは乱れ、窓のかかった絵画は傾いている。
「ご説明いたしましょうか」
ふと気づくと、いつの間にか侍女のアリエルが背後に立っていた。
「といっても、話はとても単純です。これまではコーディリアさんが多くを担っていた掃除ですが、彼女が抜けたことでその機能が大きく低下しております」
「理屈はわかるが、しかしたった一日でこんなことになるのか?」
「それだけ誰もが無頓着だったということでしょう。共用部のほとんどをコーディリアさんが整えてくれていたからこそ、みなが快適に暮らしていたわけです」
「で、そのコーディリアが出て行ったからこれか」
後宮を出てから数週間をかけて、ノーマンたちは屋敷での生活を組み立ててきた。
料理、洗濯、掃除、買い出し、水汲み。
必要な家事や役割を分担して、それなりにうまく暮らせるようになってきたからこそ就職活動をおこなう余裕が生まれ、そしてそれは成功した。
だがそれは、組み上がった生活の重要なピースが欠けることでもあったということだろう。
いかにコーディリアが勤勉に働いていたのか。
わかっていたつもりだったが、こうなってからあらためて実感する。
そして自分がそのことに頼っていたことも。
これからもう一度、共同生活の方法を見直さなくてはならない。
それは想像するだけで骨が折れそうなことだった。
「というか、この調子で彼女たちが抜けていったら暮らしていけなくなるんじゃないのか」
「そうですね。誰から抜けていくかにもよりますが、たとえばチタニアさんがいなくなったら食事が立ち行かなくなります。セティさんがいなくなると洗濯が回りません」
「そういう引き継ぎも考えて就職を斡旋するのか」
「そのほうがいいでしょうね」
「考えることがまた増えたな」
明るくなったはずの未来が再び分厚いカーテンに覆われた気がして、ノーマンは顔をしかめずにはいられなかった。
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