第四章 レクリエーションと夜這い
4-1
ノーマンは夢の中にいた。
だが、すぐに少女たちの怒鳴り合う声で目が覚めてしまう。
二階の自室で寝ていたノーマンにまで聞こえたのだからものすごい剣幕だ。
のっそりと寝床から抜け出し、階段を降りて広間に向かうと屋敷で暮らす少女たちが対立して言い合いをしていた。
周りには止めようとする者もいるようだが、どうにもできずにいる。
朝早くから屋敷は混乱のるつぼだった。
「朝からこんなに騒がしいのは初めてだな」
寝起きでまだ頭が働かない。
割って入る気力もわかず、ノーマンは階段に座り込んで独り言をこぼす。
「それでも今までよく寝ていたな、というのが率直な感想でございます」
その独り言に反応して、アリエルが煙のように現れる。
首から提げた時計で時刻を確認すると、それをいつものように衣服の内側へとしまった。
「おはようございます、ノーマン様」
「おはよう。それで、なんの騒ぎだこれは」
「ご覧の通り、ケンカです」
階段から見下ろすと少女たちが言い争っている。
片側は主に料理を担当しているチタニア、もう一方は適当とはいえ掃除を担当しているシラクスだ。
無口なセティが両者をなんとかなだめようとしているようだが、今のところ収束する気配はない。
「他の子たちは? まだ寝てるのか?」
「オベロン様はウルリを連れて川辺へ避難しています。デモナは争いごとが苦手なのでロザリンドさんのところへ。マブは」
「あそこでウロウロしているのがぼくにも見える」
猫のマブは言い争う両者の足元に身体をこすりつけながら歩き回っている。
あれは仲裁しようとしているセティの加勢なのだろうか。
「あとはクレシダか」
「彼女の場合は行動が読めませんので、どこでなにをしているのかはわかりません」
「さすがにこの非常時にパンを盗み食いしているとも考えにくいな」
「はい。というわけなので、今まで寝ていたのはノーマン様だけです」
「いい夢を見ていたんだよ」
もっとも目が覚めてしまった今ではほとんど覚えていないのだが。
「それで、アリエルはケンカの仲裁をしないのか?」
「その場しのぎでいいならすぐにでも対応いたしますが、いかがなさいますか?」
「それだとダメだろう」
「でしょうね。ノーマン様こそ身を挺してこの場を収められてはいかがですか?」
「そうだな、検討してみよう。ケンカの原因は?」
「家事の分担による対立ですね。チタニアがシラクスの掃除に文句をつけたことが発端となっています。そこからシラクスがチタニアの料理が最近手抜きだと言い返し、そこからはもう昔の出来事にまで話が派生し、この有様です」
「それだとぼくが出ていっても火に油を注ぐだけに終わりそうだ」
相変わらずノーマンは水汲みくらいでしか家事に貢献できていない。
口を挟んだところで袋叩きにあうだけだろう。
「とはいえ、集団生活をする以上はこういった揉め事は避けられないものです。しばらくするとストレスが発散され、自然に収まる可能性も高いかと」
「そうは言ってもだな……」
「このチビ! グータラ女!」
「やーい、貧乳!」
チタニアが口火を切るとすぐにシラクスが言い返す。
それに腹を立てたのか、チタニアがさらなる暴言を続ける。
「下半身デブ!」
「ツリ眼!」
「短足!」
「性格ブス!」
すでに言い争いはただの罵り合いになりつつあった。
聞いているだけで心がすり減っていくような気分だ。
階段から見ている分には巻き込まれないのだろうが、住処がいつまでもこの調子では困る。
それに、止めようとしているセティやマブのことを考えると傍観しているのも悪い気がする。
「お互いに妥協点を探ってどうにかならないのか? コーディリアがいない以上、シラクスに以前と同じような出来の掃除を求めるのは酷だろう。チタニアの料理についても、限られた財源のやりくりを考えればパーティをした後は節約する日が続くのも当然だ」
「理屈としてはそうですが、感情として納得できるかは別なのでしょう。それに、ケンカの原因というのは往々にして個人的な感情もありますからね」
「どういう意味だ?」
「性格が合わないとか、単に気に食わないとか、そういうことですよ。生活上の不満はあくまできっかけに過ぎません」
「そういうのって、一緒に暮らしているうちに自然と仲良くなれるもんじゃないのか」
「同居しているだけで親密になれるのでしたら、ノーマン様もお父上と仲良し親子になっていたのではないですか?」
「ぼくが悪かった」
「特にここにいる少女たちは元々仲が良くて一緒に生活しているわけではありません。だから相手の些細な欠点が目につくことも多いんだと思います」
「ずいぶん他人事だけど、アリエルにはそういうのないのか?」
「そうですね、いつまでも手のかかるご主人様に苛立つことはたびたびあります」
「ぼくが悪かった」
「冗談です。侍女はそういう感情を切り離せないとやっていけません。時には大嫌いな相手でも、主人となれば誠心誠意尽くすものですから」
「お前、やっぱりぼくのこと嫌いなんじゃないのか?」
「いえいえ、滅相もない。大好きですよー」
「唐突に語尾を伸ばすところが信用できない」
「私からノーマン様への好感度はひとまず置いておくことにしましょう」
「そう言われると妙に気になる」
「とにかく、この場を円満に収めるのは重要ですが、悪感情は適度に発散したほうが大事に至らなくて良いとも考えられます」
「そういうものなのか」
アリエルの言葉は冷静で正しいものだと感じる。
しかし発散というのも、やり方があるはずだ。
「一つ疑問なんだが、彼女たちは後宮で一緒に暮らしていたんだろう?」
「はい。期間の長短は個人差がありますが、基本的にはそうです」
「その間もこんなにもめたのか?」
「さぁ?」
「さぁって……」
「ご存知でしょうが、私は後宮で暮らしていたわけではありません。なので知っていることには限界がありますよ」
「そういえばそうだったな」
つい事情に詳しいのでなんでも訊いてしまいがちだが、アリエルは侍女だ。
城にいる間はほとんどの時間をノーマンのそばで過ごしている。
いくら後宮の少女たちについて詳しくとも、それは伝え聞いた話でしかない。
「推測でいいのなら……そうですね、後宮で暮らしている間は共通の敵がいらっしゃったのではないでしょうか」
「それって誰のことだ?」
「王の側室でしょう。後宮での暮らしは厳格な縦社会です。当然入浴も食事もすべて、上の立場の女性たちが終わった後だったでしょう。そんな上から押さえつけてくる相手がいたからこそ、団結できたのではないでしょうか」
「妙にギスギスした場所だったんだろうな」
「女性だけで暮らす秘密の花園は、もっとメルヘンチックな場所だと思っていましたか?」
「そんな幻想はこの屋敷で暮らし始めた時点で捨てている」
後宮とは、言うなれば世継ぎを産むことを目的とした戦場だ。
そこで暮らす女性同士が極端に仲がいいとは最初から考えてはいなかった。
「つまり、争いを防ぐには共通の敵、もしくは共通の目的があるといいのか」
理屈としてはノーマンにも理解できる。
一緒に暮らす相手の欠点に目を向ける暇がなくなればいいのだ。
そのための具体的な方法はまったく思い浮かばないのだが。
「なんの騒ぎ?」
そのとき、争いの渦中に現れたのはクレシダだ。
チタニアとシラクスの険悪な雰囲気に動じることもなく歩いてくる。
その手には今日もパンが握られており、それを食べながら歩くものだからボロボロとパンくずがこぼれていた。
「クレシダ、あなたまた勝手にパンを持ち出して!」
「ってか、廊下汚さないでー!」
「うわっ、出てくるんじゃなかった!」
「こら、待ちなさい!」
逃げ出すクレシダを追いかけて、チタニアとシラクスが走り出す。
階段を駆け上がってきた三人は猛烈な勢いでノーマンたちのそばを駆け抜けて二階へ向かって行った。
そこでも追いかけっこは続くのだろう。
一階の広間には呆然としているセティが残された。
階段に腰掛けていたノーマンもまだ事態の変化についていけていない。
結果としてパンをくわえたクレシダの登場によってケンカは終わったようだ。
今回の場合、共通の敵となったのはクレシダだったのだろう。
「まさかクレシダのパン泥棒がこんな風に役立つとは」
「丸く収まったとは言いがたいと思いますが」
ノーマンとアリエルが話している間も屋敷を走り回る足音が響いている。
「今のクレシダのおかげでぼくもひらめいた協力しろ、アリエル」
「はい。お任せください」
「ただし今のケンカは解決できないから、とりあえずこの場はお前がいい感じに収めてくれ。いつまでも屋敷を走り回られては困る」
「急に情けないですね」
アリエルには呆れられてしまったが、ノーマンの目論見がうまくいけば、争いの回数は激減するはずだった。
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