6-5

 行きと同じように馬を操って王都へと帰り着く。

 日はすっかり暮れ、夜の暗さがあたりに広がっている。



「ありがとう、アリエル」



 馬を返した後、屋敷への帰り道を歩く間にノーマンは感謝を口にした。

 するとアリエルは怪訝な顔をする。



「急にどうされましたか? 変ですよ」


「素直に受け取れ。母の行方がわかっただけでもすっきりした」


「お役に立てたなら光栄です」



 明確になにかが終わってしまったという感覚がノーマンの中にはあった。

 革命後から始まった自分の自由は今日あっけなく意味を失くしたのだ。


 やりたいことはもうなにもない。


 それなのに、やらなくてはならないことだけがまだ残っている。


 その象徴でもある屋敷が目の前に近づいてきていた。



「アリエル、戻ってきて早々で悪いができるだけ早くご令嬢と話がしたい。二人きりで話せるように手配してくれ」



 屋敷の扉を開けてすぐ、ノーマンはアリエルにそう用事を言いつけた。

 帰ってくる時間が遅くなったため、多くの少女たちはもう寝てしまっているだろう。



「わかりました。確認してきます」



 アリエルが戻ってくるのを玄関に立ったまま待った。


 すぐに戻ってきたアリエルはオベロンからの了承を伝えてくれた。

 簡単に礼を伝え、下がらせる。

 その後、ノーマンはオベロンの部屋を訪ねた。



「夜這いならアリエルに確認を取らせる必要はありませんよ」



 ベッドに腰かけたオベロンは、いつか見た半透明の寝巻き姿でおっとりと微笑む。



「今朝から姿が見えなかったので、私はてっきりアリエルと駆け落ちでもしたのかと思っていました」


「ご相談があります」



「あら、今日は冗談にも付き合ってくださらないんですね。いいですよ、どんなご用事でしょうか?」



「以前、提示していただいた取引はまだ有効ですか? あなたがぼくの部屋を訪れたときのことです」



 端的に表現するなら、オベロンが夜這いに来た日のことだ。

 あのとき彼女は一つの取引を持ちかけてきた。


 オベロンとの間に子をなすと了承すれば、今すぐにでも自由を与える。

 つまり屋敷で暮らしている少女たちの受け入れ先を、オベロンの実家であるシドゥス家が手配する、というものだ。


 ノーマンからその話題が出るとは思っていなかったのか、オベロンはかすかに目を丸くしていた。



「ええ、もちろん私は構いませんけど……それがどういう意味なのか、わかってますよね」


「はい。ぼくの血をあなたに捧げましょう」



 オベロンの欲しがっているのは、ノーマンが受け継いでいる王家の血だ。

 それゆえノーマンとの間に子どもを欲しがっている。


 そして他になにも持っていないノーマンが、オベロンの与えられるものはそれだけだ。



「前とはずいぶん変わったんですね」


「つまらないことにこだわっていた、と反省しています。最初からこうしていれば良かった」



 自分が責任を取るということにこだわらなければ、あるいは手段を選んでいなければ問題はすぐに解消していた。


 なにを意地になっていたのだろう、とノーマンは思う。


 どれだけ努力したところで過ぎ去った時間は取り戻せない。


 ノーマン自身がどう思っていようと他人から見れば自分は王子だ。

 一市民としてまっとうに生活していくことなどできるはずもなかった。


 もちろん少女たちの受け入れ先を自力で用意するなんてことも不可能だ。


 欲しいというものはなんでも与えてやればいい。


 その過程で誰かに恨まれようと、求めていた結果さえあれば文句は言わないだろう。



「わかりました。ノーマンさんがそれを望むのであれば、私はお力添えいたしましょう」



 そして、こうも付け加えた。



「でもあなたは思っていたより、普通の王子様なんですね」



 その声がどこか軽蔑の色を含んでいたことに、ノーマンはまったく気づかなかった。



***



 翌日、ノーマンは屋敷の広間に少女たちを集めた。

 年長から年少、猫も人形も含めて一人の例外もなく、あらゆる作業の手を止めさせられた彼女たちは不満げだ。



「なんなのこれは?」



 少女たちの感情を代表するようにチタニアが顔をしかめる。

 他にも不満をささやく声で屋敷はざわめいていた。


 階段から降りてきたノーマンはそんな光景にも顔色一つ変えない。



「全員分の再就職を決めた」


「は?」


「基本的にはシドゥス家の侍女か、もしくは所有する別荘の管理人だ。マブやロザリンドについても問題なく受け入れてくれるらしい」



 ノーマンが昨夜頼んだとおり、オベロンはあっという間に屋敷で暮らす少女たちの受け入れ先を用意してくれた。


 最初からこうすれば良かったのだとあらためて思う。

 一人ひとりの再就職に付き合うよりも、よほど効率がいい。



「ちょっと待ってよ。なんでそんないきなり?」


「いきなりもなにも、最初からそういう約束だっただろう」



 動揺する少女たちに比べて、ノーマンの表情は冷めきったままだ。



「不満はあるだろうが、納得してほしい。以上だ。速やかに準備を始めてくれ」


「待ってってば!」



 二階に戻ろうとするノーマンの腕を、チタニアが掴んで引き止める。



「なんでもう決まってるのよ。仕事の内容とか、場所とか、あたしたちは希望を訊かれた記憶なんてないわよ」


「そんなこと、なぜ訊く必要がある?」


「なんですって?」


「希望の職場など、あるはずがないだろう。いや、そもそも最初からその人にあった仕事なんてものはない。仕事や環境に自分を合わせるんだ。みんなそうやって妥協と共に生きている。それが当たり前のことだ」



 最初から一人ひとりに適した環境なんてあるはずがない。

 そんなものを求めるのはバカげている。


 ノーマンは常に周囲の環境に対して慣れようと努力してきた。

 城での暮らしも、少女たちとの共同生活も、家事労働も少しずつ慣らしてきた。


 彼女たちにはそれと同じことをやってもらえばいい。



「だからってこんな一方的に……」


「再就職の世話をしろと言ったのはそっちだろう。ぼくはそのとおりにしただけだ」



 ノーマンはなぜか裏切られたような気持ちだった。


 自分は求められたことをきちんとこなした。

 それなのに少女たちの表情は一様に曇ったままだ。


 自分をにらむチタニアだけでなく、シラクスも、デモナも、セティも、ウルリも、一様に暗い表情をしている。



「これ以上ぼくにどうしろって言うんだ」


「……本当に、あんたはかわいそうだわ」



 そう言うとチタニアは泣いた。


 怒るわけでも、暴力に訴えるわけでもなく、声をあげて泣いてしまった。

 普段、強気な彼女が涙を流すのを見るのは初めてのことだった。


 あまりに突然のことで、そのことに驚いたのはノーマンだけでないようだ。屋敷にいた全員が言葉を失ってしまう。


 どんな経緯があろうと、誰かが泣いてしまった時点で話は終わりだ。


 予想もしなかったことばかりが起こる。

 苛立ちといたたまれなさに負けて、ノーマンは少女たちを押しのけて、屋敷を飛び出した。


 賑やかな市街に向かう気はしなくて、足は自然と人気の少ない川辺に向かう。


 動揺が落ち着きはじめるとなにもかもに苛立って仕方がなかった。



「くそっ」



 苛立ちまぎれに川に石を蹴り込む。

 そんなことをしてもまったく気は収まらない。


 まったく理屈に合わない。

 理解のできないことばかりだ。



「なにを泣くようなことがある」


「どうしようもなくて泣いたんだと思いますよ。人が泣く理由は大抵それです」



 独り言に思わぬ返事があって、ノーマンは振り向く。



「アリエルはどこにでも現れるんだな」


「それが侍女の仕事ですので」


「お前もぼくが間違っていると責めに来たのか」


「慰めるつもりがないのはそうですね」


「強引なやり方だったとは自覚している。だから恨まれるのは覚悟していた。でも泣かれるとは思っていなかった」


「そうですか」



 アリエルの態度は普段と変わらない。

 そのことすらなぜか腹立たしくて、ノーマンは顔をしかめた。



「ぼくのなにが悪いと言うんだ? 望みを叶えてやろうとしただろう。仕事がないというから手配した。場所や仕事の内容に注文をつけるのはただのわがままじゃないか」


「チタニアはあなたの苦労がわかったから、責めることができなかった。でもあなたが人の気持ちを理解できないことも同時にわかってしまったから、泣いてしまったんでしょう」


「結局ぼくが悪いって話なのか」


「さぁ? 私にはわかりません」



 塞ぎ込むノーマンに対して、アリエルは普段どおりの明るい口調で話しかける。



「ところで私の進路はどうされるおつもりだったのですか?」


「そんなことは決まっている。シドゥス家に戻ればいいだけのことだ」


「そういうところが問題なんだと思いますよ」


「なに?」


「あなたは自分の判断が正しいと信じて疑わない。自分一人ですべてを決めてしまえるんだと思っている。だから彼女たちの今後を一方的に決めることにためらいを感じなかったのでしょう」


「なにが言いたいんだ」


「彼女たちが求めていたのは、話し合いですよ。ここが良いのか、それとも他の道に進むべきなのか。自分で考えて、時には人の意見を聞いて、そして最終的に自分で決定したかった。これまでノーマン様がやってきたことです」


「だけど、それじゃダメだっただろう」



 まともに進路は決まらない。


 これまで巣立った少女たちは、みなノーマンの助けがなくても自力で出ていくことができた。

 だけど今、屋敷に残っている少女たちの一部はそうじゃない。



「でも彼女たちがノーマン様に求めていたのもそういうことです。相談にのってほしかったんですよ。しかしあなたはすべてを一人で決めてしまった。まるで物でも扱うかのように、一方的に通達した」


「ぼくにそんな権利はないということか? だったら、最初からそう言えば良かったじゃないか。泣くのではなくて、言葉で言えば良かっただろう」


「あなたはなにをそんなに怒ってるんですか? それとも怯えているんですか?」



 アリエルの見透かすような一言に言葉が詰まる。


 自分は涙に対して特別厳しいのだろうか。

 それとも毛嫌いしているのだろうか。


 ノーマンがそのことを見つめ直そうとすると、思い出されるのは幼い頃のことだ。



「ぼくも泣いたんだよ。お前に会う前、城に連れてこられてすぐの頃だ。わけのわからない習い事がつらくて、母に会いたくて、たくさん泣いた」



 チタニアの涙に動揺したのは、そのときの自分のことを思い出してしまったせいかもしれない。



「でも、そうしたところで母が迎えに来てくれることはなかった。城の人間が同情して家に返してくれることもなかった。ましてや魔法使いが現れて、すべてを解決してくれることもなかった」



 かつてノーマンが城の教育係に言われたことだ。


 泣いても怒っても、それでなにかが変わることはない。

 王として人の上に立つ人間に感情を表に出すようなふるまいは相応しくない。


 厳しくて、腹の立つことばかりを言う教育係のことは嫌いだったが、その言葉だけは正しいのだと納得した。


 実際にノーマンは涙が枯れるまで泣いた。

 だけどその涙が目の前の問題を溶かしてくれたことなど、ただの一度もなかったからだ。


 ノーマンは自分の顔に手で触れる。


 こんなときでも表情はロクに動いておらず、水面に映るのは仮面のように無機質な自分の顔だった。



「ノーマン様はご自身が毛嫌いされていたお父上と同じく、独善的です」


「なら他にどうすればいい? ぼくはこのやり方しか知らないんだ。本当にわからないんだよ」



 王のことをノーマンは心底嫌悪している。

 その感情にウソはない。


 独善的な振る舞いも、人のことを考えないおこないも、すべてが嫌いだ。


 しかしノーマンが教えられ、学んできたのもそういったことだ。

 この十年、城で学び、血肉となった生き方はそういうものだ。


 独善的な王としての振る舞い以外を知らない。


 知らないことは誰に対してもできないのだ。



「ぼくはずっと城を出たかった。王子という枷から逃れたかった。それは全部、母と会うためだ。母と会うという目的があったからこそ、彼女たちが自由になる手伝いをしようと思った。責任を投げ出した状態では顔向けできなかったから」



 しかしそれももう意味はない。


 だから考えうるかぎり、もっとも端的な方法での解決を求めた。


 オベロンの取引にのれば、屋敷で暮らす少女たちは居場所を得ることができる。


 オベロンもまた先行投資に見合った、目的の成果を得ることができる。


 そしてセオドアが語る反乱の計画は、ノーマンがシドゥス家に連れ去られれば頓挫する。

 旗印がなければ反乱は起こせない。


 ノーマンの考えうるかぎり、もっとも丸く収まる選択であるはずだった。

 その結果が現状だとすれば、これもまた正しくはなかったのだろう。



「ノーマン様」



 アリエルがそっとノーマンの背中に触れる。



「思うに、あなたは一人で抱え込みすぎではないでしょうか?」


「ならお前が代わりにぼくのことを決めてくれるのか?」


「いいえ、私は人に仕えることと、少々の暗殺術しか学んだことのない女です。あなたの苦悩はまったく理解できません」


「そうだろうな」


「でも屋敷にはまだ大勢の人がいます。だから、あなた自身のこれからも一人で決める必要はないのではないでしょうか」


「ぼくが彼女たちに今後の相談をするのか? それはおかしいだろう」


「おかしくはありません」


「いや、おかしい。彼女たちは自分の行き先すら決まっていないんだぞ。そんな相手にこれ以上面倒な相談などするべきではないだろう」


「お言葉ですが、ノーマン様も行き先が決まっていないのは同じなのではないですか?」



 ノーマンは反論ができずに、詰まってしまう。


 そして気づいた。


 自分はこれまで彼女たちのことを心のどこかで見下していたのだろう。

 庇護の対象で、自分がどうにかしなければならない厄介ごとだと。


 しかし客観的に見返してみれば、ノーマンと彼女たちの境遇にさしたる違いはない。

 働き先が決まっておらず、頼れる身寄りもない。



「そうか、ぼくはずっと勘違いしていたんだな」



 あの屋敷を巣立つ必要があるのはなにも後宮で暮らしていた少女たちだけではない。

 自分もまったく同じだ。

 王子ではないと言いながらも、やはり特権意識が抜けきっていなかった。


 頑なだった焦りのようなものが少しだけほぐれていく。


 そうしてようやくノーマンは振り返ってアリエルの顔を見ることができた。



「じゃあ早速相談してもいいだろうか」


「ええ、もちろん。お力になれるとは限りませんが」


「女性を泣かせてしまったときは、どうすればいいのだろう。自分以外が泣いているのを見るのは初めてで、勝手がわからない」


「それは困りましたね」



 ふふ、とアリエルが笑みをこぼす。



「そうですね、じっくり話をすればいいのではないでしょうか。今後のことを考え直すなら早く屋敷へ戻って、そう伝えたほうがいいでしょう。時間がかかるとどんどん戻りづらくなりますよ」


「それはたしかにそうだろうな」



 アリエルに導かれるように屋敷へ戻ろうと踏み出して、すぐにノーマンは立ち止まる。


 自分のことを正しく把握できた以上、やっておかねばならないことがあった。



「やっぱり先に戻っておいてくれ。ぼくは一箇所寄っておかないといけない場所があるんだ」


「ご一緒しましょうか?」


「一人でいい。ついでだからチタニアにお詫びの品でも見繕ってくるよ」


「わかりました。あまり遅くならないようにしてくださいね」



 そう言ってアリエルは姿を消した。


 ノーマンは一度深呼吸をする。


 これから向かうべき場所は決まっていた。

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