6-4
港町を経由して、ノーマンの記憶を掘り起こしながら周囲を探索することしばらく。
「ここだ」
ようやくたどり着いた村の様子を見て、ノーマンは自分が幼少期に母と過ごした場所だと確信した。
海から吹く風のにおいが懐かしい気持ちを呼び起こす。
あらためて訪れてみると、気をつけていなければ見落としてしまいそうなほど小さな村だ。
母が城から逃れ、隠れ家として選んだのもうなずける。
「それで」
村の入口近くで馬から降りたアリエルがノーマンに尋ねる。
「これからどうするおつもりですか?」
「もちろん母を探す」
「どのように?」
「村の人に訊いて回る以外に方法がないだろう」
「そんなことだと思いました」
呆れたようにアリエルがかぶりを振った。
「自覚が薄いようだから言っておきます。あなたは本来このあたりをウロウロしていて良い人間ではないのですよ。生きているのが知られることはもちろん、疑念を抱かれるだけで問題になりかねません」
「そんなことはわかってる。だが心配しなくても、ぼくの顔はあまり知られていない。王都を離れたならほとんど知っている人もいないはずだ」
セオドアと偶然遭遇するような出来事はそうは起こらない。
「しかしノーマン様はかつてここで暮らしていたのでしょう? であれば、成長したあなたの姿を見て、昔のあなたと結びつける人がいないとも限りません。それともノーマン様は城に召し上げられる前から引きこもりがちだったのですか?」
「いや、そんなことはない」
具体的にどこへ行ってなにをしたかまでは覚えていない。
しかし幼い頃はどこへ行くのも、なにをするのも母について回っていた記憶がかすかにある。
「その上、この村から王子が見つかり城に召し上げられたことは一大事件でしょう。その王子と同じ年頃の男が王子の母親を尋ねて回れば、誰だって怪しく思います」
「ならどうすればいい?」
「こういうときのために私が一緒に来たようなものです」
アリエルは得意げな顔で一回転した。
白と黒のエプロンドレスが遠心力で花のように広がる。
「この服装ならば、城に勤めていた侍女であると名乗って疑われることはありません」
「たまには他の格好もしたほうがいいと思っていたが、今回はたしかに役立ちそうだ」
「この服装は侍女の正装ですからね。私が侍女であるかぎり、たとえ休日であろうとこれ以外の服を着るつもりはありませんよ」
「それもどうかとは思うが……」
今度アリエルになにかをプレゼントするときは、時計ではなく服にしてみるのもいいかもしれない。
そんなことをノーマンは企んだ。
「お城に仕えていた私が、王子のご母堂様を探すのであればさほど不自然ではないでしょう。理由も王子の遺品を渡すためと言えば、なお自然です」
「それだと母にぼくが死んだと思われてしまうだろう」
「革命が起こったのですから、すでにそう思われてますよ。そのことについてはご母堂様と対面してから、ゆっくりと話をすれば済むことでしょう」
「たしかにそうだ。それで、ぼくの遺品というのは用意してあるのか?」
「ここにあります」
そう言ってアリエルは胸元から懐中時計を取り出した。
「庶民では手に入れることのできない高級品ですので、亡き王子の愛用品だったと言えば信用してもらえるでしょう。あとは補強としてこちらも準備しておきました」
アリエルがもう一方の手で、布に包まれたなにかを取り出す。
ノーマンが手に取るとそこには一房の髪束が入っていた。
「なにこれ?」
「見覚えありませんか? あなたの髪の毛ですよ」
「そんなもの、見覚えあるわけないだろう。こんなものをいつの間に?」
「ノーマン様の散髪をして差し上げているのはこの私です」
「それは知っている。ぼくは髪の毛をなぜ取っているのかを訊いてるんだ」
「私のコレクションです」
「はてしなく不気味だ」
「いざというとき、呪いをかけるために用意しておきました。呪術を使うには対象者の毛髪が必要不可欠なんです」
「恐ろしいことを言うんじゃない」
「冗談ですよ。ともかく、遺品の時計と一緒に遺体の代わりに髪の毛を持参したと付け加えれば、もはや非の打ち所がありません。確実に信用してもらえるでしょう」
「待て。冗談だというならなぜぼくの髪の毛を持っていたのかをちゃんと説明してくれ」
「では行ってきます。すぐに戻ってまいりますので、ノーマン様はここで馬と仲良く草でも食べていてください」
「おい、本当にぼくを呪うためじゃないよな。なぁ!」
アリエルはとうとうノーマンの質問に答えることなく、素早く村の中へと姿を消した。
時々有能すぎて恐ろしいときがある。
とはいえ、アリエルのおかげで母の所在はすぐにわかりそうだ。
ノーマンは彼女の気遣いを無駄にしないためにも極力人と顔を合わせないように、馬を連れて村外れの草原で待っていた。
その間にじっくりと考える。
母と再会したとき、いったいどんなことから話すのがいいのだろうか。
順序だてて話すのなら城での暮らしを説明するべきか。
それともまずは屋敷で暮らしているという現状を報告したほうがいいのか。
何度かシミュレーションしようとするが、母の顔がうまく思い出せない。
そのせいで自分と会ったときに母が喜んでくれるのか、それとも疎んじられるのか、そんな簡単なことすらうまく想像できなかった。
先ほどまでは期待に胸が膨らんでいたのに、いざ再会が近づいてくると不安ばかりが大きくなってくる。
いっそこのまま会わずに帰ったほうがいいのではないだろうか。
「ノーマン様」
思考が悪い方向に結論を出そうとした頃、村からアリエルが戻ってきた。
「どうだった? 母の所在はつかめたか?」
「はい」
ただし、とアリエルは注釈をつける。
「ご想像しているとおりとはいきません」
「……そうか」
アリエルの表情とその口ぶりで、ノーマンは母の状態を悟った。
そして落胆するよりも強く安堵した。
なによりもそのことを悲しく感じる。
けれど、多分これがもっとも穏便で幸福な再会なのだろう。
ノーマンにはそれがわかってしまった。
「どうなさいますか?」
「案内してくれ」
「わかりました」
アリエルの案内でたどり着いたのはやはり墓地だった。村にある小さな墓地の、片手で持ち上げられそうな大きさの石が母の亡骸を埋めた証らしい。
「母はいつ?」
「ノーマン様がこの町を離れて一年と経たずに、と村の方は話しておられました。流行り病が原因だったそうです。決して治らない病ではなかったのですが、そのときは折悪しくも薬師が不足していた、とも言っておられました」
「そうか」
そこでも父である王の行動が母を苦しめていたということになる。
だが今のノーマンに王への怒りを感じる余裕はなかった。
母がすでに死んでいた。
その可能性を今まで一度も考えなかったと言えばウソになる。
離れ離れになってから、もう十年が過ぎている。
しかしこれまではあえて目を背けてきた。
もう一度母に会うことはノーマンの目標だった。
王子ではない、ただのノーマンになって唯一やりたいことだった。
それが消えてしまった。
ずっと頼ってきた剣が刃こぼれしたときのような、そんな情けなくて心細い気分にさせられる。
しかし心のどこかには依然として不思議な安堵感もあった。
結局、ノーマンは母とどんな顔をして再会し、なにを話せばいいのか思いつくことができなかったからだ。
昔のような、ただ仲がいいだけの親子に戻れるとも思えない。
それでもノーマンは自分が心底母と会いたかったのだと思いこむことにした。
強く強く信じ込むように目を閉じる。
結局ノーマンは泣くことも笑うこともなく、墓前でただ立ち尽くすことしかできなかった。
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