2-3
翌朝。
「では順番にご案内いたします」
「ああ、よろしく頼む」
昨夜の襲撃犯を見つけるため、ノーマンは同居している女性たちを調べることにした。
「人数はたしか九人いると言っていたな」
「はい。私とお嬢様を除いて、後宮からこちらに転居してきた女性は全部で九人です」
「とりあえずオベロンは容疑者から外してもいいだろう。あの人が俺を殺す理由はない」
オベロンがノーマンを殺すつもりであるならば、こんな風に住処を与えるような援助はしないだろう。
昨日話した印象でもそんな感じはしなかった。
ならばやはり本命は後宮で暮らしていた九人の誰かということになる。
「まずは台所に向かいましょうか。今日も食事を作ってくださっていると思います」
アリエルに先導されるまま一階にある台所へ向かう。
そこで料理をしている少女とはノーマンも面識があった。
「おはよう、チタニア」
「あなたがここに来るのは珍しいわね。言っとくけど、盗み食いは許さないから」
包丁を握ったままチタニアはこちらを一瞥すると、すぐに仕事へ戻った。
肩ほどまで伸びた髪を今は高いところでまとめているため、首筋が露出している。
忙しさのせいかそこにはうっすらと汗が浮かんでいた。
チタニアは元王子であるノーマンに対する興味も遠慮も薄い。
革命後の後宮で、ノーマンの胸ぐらを掴んで交渉してきたのも彼女だった。
あのときはかろうじて敬語を使っていたが、今は口調もくだけたものになっている。
「今日も一人で全員分を?」
「基本的にはそうよ。他の作業が終わった子は手伝ってくれるけどね。あんたも暇なら野菜の皮むきくらいしていけば?」
「近いうちに挑戦してみよう。けど今日は別の用事があるんだ」
「なに? 見てのとおり忙しいから、話があるなら手短にしてよ」
「わかってる」
食事の準備を続けるチタニアの姿を観察しながらノーマンは考える。
チタニアが暗殺を仕掛けてくる、というのは想像しづらい。
彼女の態度を考えると正面から斬りかかってくるほうがまだありそうだ。
だが少なくとも好かれていないのは事実だろう。
昨夜なにをしていたかだけでも確認しておくべきだ。
質問する言葉を選んでいると、ふと台所の隅でもぞもぞと動く人影が目についた。
目を凝らしてみると、備蓄してあるパンをくわえた少女だとわかる。
「あそこにいるのは?」
「げっ!」
ノーマンに指をさされた少女は肩をびくんと震わせる。
チタニアも侵入者の存在に気づいたようだ。
「クレシダ、あんたまた!」
「いいじゃん! 育ち盛りなんだから! チタニアはイライラしすぎー」
「こっちは今ある材料で献立とか色々考えてるんだから、勝手なことをされると計算が狂うのよ。こら、待ちなさい!」
広い台所を舞台に、チタニアとパンをくわえた少女が走り回る。
入り口に立ったまま、ノーマンはかたわらにいるアリエルに尋ねる。
「あのパン泥棒は誰だ?」
「彼女はクレシダですね。小柄ですばしっこく、そしてご覧のとおり食べることが好きです。食事の時間はもちろん、こうして間食もよく取っているようですね。年齢はノーマン様よりも二つ下です」
「彼女もぼくの後宮にいたのか?」
「そうです」
「幅広い人材を揃えていたんだな」
「ああいうタイプはそそられませんか?」
「そんな話はしていない。いつものことなら放っておいてもいいんだろうが、あのままだと話が進まない。アリエル、捕まえてきてくれ」
「わかりました」
スカートの裾をつまんで一礼をしたアリエルが音もなく地面を蹴る。
するとあっという間に逃げ回っていたクレシダを捕まえた。
「失礼します」
「むぐぐっ」
背後から拘束されてもなお、くわえたパンは放さない。
その様子を見ているともうパンを取り戻そうとする気分ではなくなってくる。
「チタニア、ぼくの分を減らしていいからそのパンはクレシダにくれてやれ」
「あっそ。ずいぶんとお優しいことで」
「いや、タダでやるとは言っていない。対価は支払ってもらうつもりだ」
「あんた、無表情でそういうこと言うと怖いわよ」
チタニアがノーマンの頬をつまむ。
「痛い」
「それで、あたしに用があったんじゃないの?」
「このまま話すのか」
「このほうがあなたのしかめっ面が少しはマシなのよ。景気の悪い顔を見てると、こっちも気分が悪くなるからね」
「そういうものか」
距離が近づいたことで、自然と鼻がにおいを拾い上げる。
チタニアのにおいは食べ物のにおいだ。
彼女の周囲には小麦のようなあたたかいにおいがただよっている。
昨日の暗殺者とは違った。
「訊きたいことは一つだけだ。昨日はよく眠れたか?」
「なにそれ。急に気遣いができるようになったの?」
「いや、気になっただけだ、たしか相部屋だったよな」
この屋敷で一人部屋なのはノーマンと、屋敷の持ち主であるオベロンだけだ。
ノーマンが一人部屋なのは優遇ではなく、女性たちが同室を嫌がったというだけなのだが。
「そうよ、そこのパン泥棒と同じ部屋。別に変わったこともなく、よく寝たわ」
「なら別にいいんだ」
「変なこと言うのね」
「たまにはそういうことが気になる日もある」
これでチタニアへの調査は終わりだ。
ノーマンが観察したかぎり、やはりチタニアに怪しい部分はない。
次は同室のパン泥棒こと、クレシダに向き直る。
アリエルに拘束されたまま器用に口だけでパンを食べていた彼女は、何事かをモゴモゴと言ったがパンが邪魔で言葉の形になっていない。
ノーマンは彼女の口からパンを取る。
「さっきこのパンはぼくの分ということになった。だからこれは君にあげるが、そのかわりに頼みたいことがある」
「パン一つで買収すんの? あんた、王子のくせにちょっとせこくない?」
「ぼくはもう王子じゃない。それに難しいことは頼まないよ。いくつか質問に答えてくれたらいい」
「王子様は顔が怖いね。で、なに? あんまり変なことなら答えないよ」
ここで尋ねるべきは昨夜の出来事だ。
しかしいきなり核心を突くよりかは、獣のようにむき出しになった警戒心をときほぐすほうが先だろう。
アリエルに押さえてもらっていることや、クレシダ自身の態度もあって野生の獣を相手にしている気分になってくる。
「どうしてパンを盗むんだ?」
「お腹がすくから」
「普段の食事じゃ足りないのか?」
「そんなことない。でも、食べられるときに食べておいたほうがいいじゃん? いつだって自由に飲み食いできるとは限らないんだし、できるだけ満腹状態を維持したいっていうかさ。こういうのって王子様には想像しづらいんじゃないかな」
「王子だからといって豪遊していたわけじゃない」
不自由を感じることも、精神的な飢えを感じることも多かった。
とはいえ、誰かに苦労話を語ったところで得られるものなどなにもない。
今の会話から、少なくともクレシダが元王子であるノーマンにあまり良い感情を抱いていないことはわかった。
しかしそれが直ちに殺意へと結びつくかと言えば、そうではないように思える。
「昨日の夜、なにか変わったことはなかったか?」
「別になにも。強いて言えば、寝ぼけてチタニアの二の腕を噛んだときに怒られたことくらいかな」
「なら別にいい。大きく育つといいな」
「もがっ」
質問が終わったので一時的に没収していたパンを再び口に押し込む。
「そのパンを食べ終わったら、ぼくの代わりにチタニアの手伝いをしておいてくれ。それがパンの対価だ。行こう、アリエル」
「わかりました」
「言われなくてもそうしようと思ってたもんねー」
べーっと舌を出して挑発するクレシダに背を向けて、台所を後にする。
「犯人は見つかりましたか?」
「いや、あの二人は違うだろう」
チタニアは言うまでもなく、クレシダに関しても犯人ではないと考えて問題ない。
「しかしクレシダはなぜあんなに反抗的だったんだろう」
「誰にでも反発したい時期というのはあるものではないですか?」
「しかし後宮にいたんだろう? 偏見だったら申し訳ないが、あそこの女性たちは王に媚びるものだと思っていた」
「すべての女性が同じ態度でへりくだっていては身体的な特徴しか差がありません。それでは飽きてしまうでしょう。様々な態度の女性がいるから、王は飽きることなく世継ぎを作ることができるのです」
「王にはならなかったぼくにはわからない話だ。つまりクレシダのああいう態度も人を惹きつける手管ということか?」
「まぁ、そうです。そこまで本人が考えているとは思いませんが」
「いいかげんだな」
「人が十人もいればその性格は様々だということです。さて、次は屋敷の掃除をしている女性たちに会いに行きましょう。今の時間は食堂にいるはずです」
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