第二章 共同生活と犯人探し
2-1
ノーマンは屋敷にいた。
二階建てのその建物は都の外れにひっそりと立っている。
しかし大きさは十分なもので、大通りにあった豪邸と比べても見劣りはしない。
近くには川も流れており、町外れにあっても生活に不自由はしないと思われた。
と言っても、ノーマンはさほど世間に詳しくはない。
そのためこの建物が世間的にも大きいのか、それともこのあたりで一番大きいだけなのか、本当のところは判断ができなかった。
「ノーマン王子」
聞き慣れぬ女性の声で名前を呼ばれ、ノーマンは余計な思考を止める。
現在は来客中だ。
しかも非常に重要な来客だった。
「こちらでの生活にはもう慣れましたか?」
正面に座った女性が上品に微笑む。
長い髪に乱れたところはなく、テーブルのカップに触れる手つきさえ優雅だ。
まばたき一つとっても育ちの良さと品格がうかがえる。
彼女はオベロン・シドゥス。
貴族の令嬢で、今回の革命のさいにノーマンが協力した名家だ。
そして現在でもノーマンの生存を知り、支援してくれている相手でもある。
この屋敷もノーマンが住むために、とオベロンが手配したものだ。
元々はシドゥス家の人間が内密に王都を訪れるための別荘であるらしい。
大通りに面していないのはそのためのようだ。
その他にもノーマンのために色々と取り計らってくれたのはこのオベロンであると、侍女のアリエルからは聞いている。
実際に顔を合わせるのは今回が初めてだ。
対面してみた印象としてはどこか掴みどころがない相手だとノーマンは感じていた。
「はい、おかげさまで」
ノーマンが城を出たあの日、彼はどうしようもなく行き詰まっていた。
平民となった以上、権力も財力もない。
それでも一人ならば行きたいところへ行き、どうとでも働いて暮らしていけると考えていた。
しかし後宮にいた少女たちの再就職を手伝うと決めた以上、そうもいかない。
一瞬で何人もの少女の勤め先が決まる、なんてことはいくら革命直後でも起こりそうもないことだ。
どうしてもしばらくは全員が暮らせる家と、生活費が必要になる。
困り果てたノーマンはアリエルを経由してシドゥス家に援助を求めた。
王子であった頃のつながりを利用するのは気が引けたが、他に方法もない。
その結果、オベロンから与えられたのがこの屋敷での暮らしだ。
形式上、今のノーマンはオベロンが所有する別荘の管理人として雇われている。
そのため、目の前でおっとりと微笑む彼女はいわばノーマンにとっては雇用主ということにもなる。
給料という名目である程度の資金もまとめて受け取っていた。
屋敷で暮らすようになって数日が経つが、オベロンがいなければこの数日は雨風さえしのげなかった可能性が高い。
つまり間違っても機嫌を損ねていい相手ではないのだ。
「ところでオベロン様、自分はもう王子ではありません」
そう頭ではわかっているが、ノーマンには人の機嫌を取る方法がわからなかった。
今までに一度もそのようなことをしたことがないせいだろう。
そのため口調がぎこちなくなるだけで、気遣いやお世辞などは頭に浮かぶことすらない。
今も王子と呼ばれることが気に入らないので訂正したい、ということしか考えることができなかった。
そしてそれを言葉にしてしまってから、これで相手が機嫌を悪くしたらどうしようという不安にかられる。
「そうでしたね。失礼しました。ではノーマンさんとお呼びしますね」
さいわいオベロンはほんわかとした笑みを浮かべるだけで、気分を害した様子はなかった。
「代わりにどうか私のことも気軽に呼んでください」
「そういうわけには」
「いきなりは難しいですか? では追々に、ということにしましょう」
微笑むオベロンを前に、ノーマンは困っていた。
相変わらず希薄な表情からは読み取ることは難しいが、内心では冷や汗をかいている。
このご令嬢をどう扱えばいいのかさっぱりわからない。
アリエルがそばにいてくれれば彼女に頼っていたところだが、あいにくにも今は席を外している。
そのため為す術もなく、これといった話題もなく、会話は散発的でノーマンはひどく気まずかった。
対するオベロンはそんなことを感じた風もなく、笑みを絶やさない。
「そうだ。よかったら、どんな風に暮らしているか案内してもらえませんか?」
「そんなに面白いものではありませんが、それでもいいなら」
ノーマンとしては隠し立てする理由もない。
また二人きりで個室にいるよりかは気分が楽になる。
「あなたに関することならどんなことでも興味があります」
そんな冗談とも本気ともとれないこと言ってオベロンはまた微笑んだ。
ノーマンはどう応えていいかわからず、結局無言のまま扉を開けた。
応接室から出ると大きな吹き抜けのある広間がある。
「今、何人の女性たちと暮らしていらっしゃるんですか?」
「侍女のアリエルも含めて十人だと聞いています」
「聞いている、というのは?」
「ぼく自身が数えたわけではありません。アリエルから報告を受けただけです」
だからこの数日の間に話をしたことのある女性もいれば、姿を見たこともない女性もいる。
大抵はアリエルと接していれば用事が済むので、生活する上では問題ない。
「特に親しくされてるわけではないんですね」
「ええ、彼女たちはもう後宮とは関係ない。であれば、特別ぼくと親しくする必要もないでしょう」
複数の女性と同じ場所で生活しているのは、あくまで革命の事後処理のためだ。
いずれは出て行く相手なのだから顔も名前も覚えていなくとも問題はない。
「なるほど、いい感じですね」
オベロンの賛辞がどういう意味なのか、ノーマンにはわからなかった。
しかしそれを尋ねるよりも先に、オベロンが話題を変えてしまう。
「ところで、アリエルはあなたのお役に立っていますか?」
「もちろん」
侍女のアリエルはシドゥス家から派遣されて城に勤めていたことをノーマンは知っている。
だからオベロンとアリエルに面識があるのは当然のことだ。
話題にのぼった以上、そろそろアリエルを呼び出してもいい頃だろう。
「アリエル」
「はい、こちらに」
ノーマンがあてもなく呼びかけると、背後から返事が聞こえた。
彼女はいつも煙のように立ち現れる。これは城で暮らしていた頃から同じだ。
服装も変わらず、ドレスとエプロン姿で白い手袋も外していない。
そのため肌が露出しているのは顔くらいのものだ。
「前から気になっていたが、お前はいつもどこに潜んでいるんだ?」
「どこにいようとも主の声を聞きつけて速やかに駆けつける。これは侍女の基本的な技能の一つです。感心していただくほどのことではありません」
「そうなのか」
しかし城には何人もの侍女が仕えていたが、気配を消して現れたのはアリエルだけだ。
「久しぶりね、アリエル」
「ご無沙汰しております、お嬢様」
二人は挨拶を交わす。
仲がいいのかどうかは察することができないが、アリエルが尊敬を持って接しているのは、深いお辞儀から察することができた。
「オベロン様の質問はアリエルのほうが正確に答えられると思います」
「はい。間違いなくノーマン様よりも詳しいと自負しております」
「二人は仲が良さそうでいいですね。では案内して、アリエル」
「かしこまりました、お嬢様。ではどうぞ」
先導するアリエルに従って、屋敷の中を移動する。
ノーマンがついて行っても役割はないとは思ったが、お客様を放置するわけにもいかないので最後尾についていくことにした。
「ここで暮らすにあたってまず役割分担することにしました。生活にまつわることをそうして分配し、当番制にすることで集団生活の統率を取っております」
「いい方法ね」
「恐れ入ります」
まずは一階の様子を見て回るのかと思っていたが、オベロンはいきなり階段をのぼり始める。
アリエルはその行動を予想していたようだが、ノーマンはあわてて後を追った。
オベロンの足取りはたしかなもので、明らかに目的地を定めている様子だ。
「ところで、アリエル。そもそも女性たちはどうやって後宮に集められたの? ノーマンさんが即位する予定はまだなかったわよね」
ノーマンは今さら気づいたがオベロンはアリエルに対しては気さくに話しかけている。
きっとこっちのほうが彼女の素に近いのだろう。
「表向きは王の」
そこで一度、アリエルはノーマンの表情をうかがい、言葉を切った。
「失礼、元王の後宮に入るという名目で集められました。あるいは城に勤めていた女性たちの中で特に美しいものたちは後宮に配属されることもあったようです」
「なぜ王の後宮には入らなかったのかしら」
「すでに大勢の側室がいらしたことと、彼女たちがまだ若かったのが原因ではないかと思われます。教育期間として裏に囲っていたというのが実際のところでしょう」
「予備ということかしら」
「考え方としては間違っていません」
「そんな彼女たちはここで普通に生活できているの?」
「今のところ問題はありません。元々彼女たちは後宮で共同生活を送っていましたし、側室や年上の女性のために食事の世話や洗濯などは今までもやってきていたそうです」
「そう。なら問題なさそうね」
なにかを検討するようにうなずいたオベロンは、後ろにいたノーマンを振り返った。
「ノーマンさん、私もここで暮らすことにしました」
「はい?」
オベロンがあまりにも堂々と突拍子もないことを言い出すので、ノーマンは思わず聞き返してしまう。
「話を聞いているとあまりにも楽しそうなので、ここで暮らします」
「いや、それはどうなんでしょうか。色々と問題があるような……」
できれば断りたい。
これ以上、この家に同居人が増えるのはノーマンにとって嬉しいことではなかった。
しかも相手はご令嬢である。
共同生活の過程で粗相があったら取り返しがつかない。
うまい断り文句が思いつかず、ノーマンはそばに控えているアリエルに助けを求めた。
「どうなんだ、アリエル? 難しいんじゃないか」
「問題ありません」
「問題ないのか」
「ここはそもそもシドゥス家の方々が王都に滞在するためにご用意された別邸です。そこを本来の用途でご使用いただけるなら、管理者としては本望なのではありませんか?」
「もちろん気持ちとしてはそうだが、しかし部屋割りとか」
「私はノーマン様と同じ部屋で構いませんよ」
「とおっしゃっていますが?」
「さすがにそれは……」
相手の身分と立場からするとまずいことだ。
すでに秘密を抱えている身としてはこれ以上、問題を抱えるのは避けたい。
ノーマンが眉間にしわを寄せて黙りこむと、オベロンは楽しげに形の良い唇を歪めた。
「冗談です。アリエル、手配は済んでいるの?」
「はい。このようにノーマン様の隣室を用意しております」
階段を上がった先の廊下には私室の扉がいくつか並んでいる。
アリエルはそのうちの一つ、突き当たりから一つ手前の部屋の扉を開けた。
「あら、ありがとう」
「ご自宅から送られて荷物はすでに運び入れてありますので、このままお部屋に入っていただいても問題ありません。他になにかございましたら、いつでも申し付けください」
「さすがの手際ね」
「もったいないお言葉です」
ノーマンはアリエルの開けた扉から室内をのぞきこむ。
他の部屋とは異なり、天蓋付きベッドの他、調度品や高級な衣装が飾られていた。
アリエルが朝から忙しくしていたのはこういう事情だったのか。
ノーマンはようやく自分が令嬢の手のひらの上で転がされていただけだと思い知る。
ここを訪れた時点でオベロンはすでに同居を決めていたに違いない。
屋敷の中を見て回るというのも口実で、この部屋に来るのが目的だったのだろう。
つまりノーマンが断りきれないのを知った上で、今までのやりとりをしていたことになる。
なぜ一緒に暮らそうとするのか、その狙いはわからない。
しかし、温和で慈悲深いだけのご令嬢というわけではなさそうだ。
「それではこれからよろしくお願いします」
オベロンのあどけない微笑みが恐ろしいもののように感じられて、ノーマンは黙ってうなずくだけで精一杯だった。
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