『妹を構いたいものなのよ。』
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ふと、身体が軽くなった。
暖房の効いた電車の座席で微睡むような、そんな心地良い眠気が私を誘う。無重力でぶらつく両足首には時おり雑草が触れ、それが少しくすぐったかった。
頭を凭せ掛けた先の首筋からは嗅ぎ慣れたシャンプーの香りが漂い、懐かしさのあまり私が安らぎを感じていると、『あんまり無理しないでよ』と前方から話す声が聞こえてきた。『私がママに怒られるじゃない』
『ごめんなさい』
私がそう言うと、彼女は前方を向いたままゆっくりと足を進め、『私のために、何かしようとしてくれてたの?』と尋ねた。
『……うん。でもやっぱり、お姉ちゃんに迷惑かけちゃった』
『馬鹿ねぇ。妹が姉に迷惑をかけるなんて、当たり前のことなの』と彼女は笑いながら言うと、少し照れたように、『そして姉というのは、妹を構いたいものなのよ』
『そういうもの?』
『そういうものよ。だからあんたは、何も気にする必要なんてないんだから』
『ありがと』
『……ばか』
その後しばしの沈黙があり、私を担いだ彼女が『ありがとう』とひっそり呟いたのが、微かに聞こえていた。
夕焼け空が、視界一杯に広がっていた。タングステンの照明のように温かな色味を見つめながら、私は自身が仰向けになって横たわっていることに気づいた。
ふと視野の端に揺らめきを感じ、そちらへ視線を遣ると、空と同じ色合いをした焚き火が見えた。あの日べにばらが私を助けてくれた時と同じ、橙色の光。
「――ゆき。しらゆき……!」
焚き火と反対側から私を呼ぶ声が聞こえ、僅かに首を振って見上げるとそこには赤いワンピースを着た少女が膝立ちになり、私の顔を覗き込んでいた。
目の周りを真っ赤に腫らし、瞳の中の水分はまだまだ出し足りないとでも言いたげに溢れかえっている。流れ落ちた水分は雫となり、私の頬へと落下した。
「……お姉ちゃん」
「しらゆき! よかった、目をさました。川から流されてきた時はもうダメかと思った……ほんとによかった……」
べにばらはふっと身体の力を抜くと私の胸に身体を覆い被せ、声を上げながら本格的に泣き始めた。胸の辺りに温かな湿り気が広がっていくのを感じる。私はまだ上手く力の入らない手で、泣きじゃくる彼女の頭を撫でた。
他人の気持ちなど、今まで理解しようとして来なかった。姉が私に優しくするのは自分に自信があり、余裕があり、私を見下しているからだと思い込んでいた。そんな私のくだらない劣等感のせいで、姉の苦労を無下にしていた。もっと早くに気づくべきだった。
私は力を振り絞り、ゆっくりと起き上がった。泣き腫らしてこちらを見つめる彼女の顔は、何だかとってもチャーミングに思えた。
「心配かけたね」
「あたしね、やっと分かったの」
涙を拭ったべにばらは突然真剣な表情を浮かべると、姿勢を正してこちらを見つめた。それに合わせて私も姿勢を正すと、彼女は私の瞳を覗き込みながら、「あたしも、ほんとは怖かったの」と言った。
「うん」
「もっと早く、あなたにそれを伝えれば良かった。もっと頼れば良かった」
「うん」
「あなたに『私らしくない』って言われて胸がもやもやした理由は、普段の私が無理をしていたからなの。――だから、ごめんね。しらゆき」
「……べにばら」
「次からは、二人で一緒に頑張りたい。だから……。ありがと、しらゆき」
涙を流しながらも笑顔でそう話す彼女は、とても晴れやかな表情を浮かべていた。それに釣られて私の心の中も、固く結ばれた糸が解きほぐされていくように感じられた。
やれやれ。目の前の彼女もやはり、お姉さんなのだ。私が思い描いた気持ちも、いつか彼女のようにきちんと姉に届けられたらいいのに。
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