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「僕は、旅行をもっと身近なものに感じて欲しい。旅行代理店はもっと、パブリックな空間であるべきだと思うんです」


「へぇ、そうなの」


 私の二つ隣に座った男の子は、先ほどからとても熱心に持論を語っているが、面接官の反応はあまり芳しくない。無意識に始めたペン回しの方に注意が行き始めている。


 確かにまとまりも悪く、内容は稚拙だけれど、無視することはないではないか。


「はい。ありがとう。次はじゃあ、君ね」


 採用担当者がペンで指差した子が立ち上がり、私の隣まで順番が回ってきた。グループ面談は目の前であからさまな待遇差を見せつけられるため、あまり良い気分はしない。


「また、私は留学経験を活かし、現地で暮らす人々やその文化についての魅力を伝えることで、地域活性化のお手伝いが出来ればと考えております」


「おっ、君は留学経験者? 語学力はどの程度かな?」


「はいっ! 留学中はネイティブの方々と関わらせて頂きましたので、日常会話程度ならすでに習得済みです! 今もなお研鑽を続けており、次はフランス語を――」


 いちいち主張の強い言い方をするものだ。それよりも、この子から部屋干しの臭いが漂うことの方が、私はよっぽど気になってしまう。


「ほうほう! それは仕事に活かせる良いスキルですね」


 ベタ褒めだった。間近で見るとスーツにシワが寄っていて、爪の管理も全く行き届いていないような子なのに、その辺りは評価対象には含まれないらしい。


「はい。じゃあ次の人。君で最後だね」


「あ、はい」


 今さら言うことでもないが、面接は得意じゃない。グループ面接は特に。最後の番なのであらかたの事は言い尽くされ、真新しい視点など見つけようがない。仕方なく、「○○さんと考えは同じになってしまうのですが――」と前置きし、私は凡庸な机上の空論を淡々と述べた。


「…………」


 私が話し終えた後も、面接官は首を傾げたまま天を見上げて言葉を失っていた。そんなに難解な言い回しだったろうか。


「あのね」と一度言葉を切り、面接官は私の方に視線を戻す。「はっきり言っちゃうと、君の話にはドラマがないんだよなぁ」


「はぁ」


「これといったアピールポイントも感じられない」とボールペンを手に持ち、面接官は机の上をトントン叩きながら言った。


「君はさ、一体どういう人間なの?」


「どういう人間……」


「それがね、全く見えないんだよ」


 今度はボールペンのノックを何度もカチカチ鳴らし、それが妙に耳触りだった。


「僕の仕事はさ、限られた時間内で誰が最もうちの会社にとって有益な人材なのか見極めることであって、わざわざ君らの良さを引き出してあげる時間はないわけ。面接はカウンセリングじゃないんだよ?」


「……はい」


「君はもう一度、自己分析からやり直した方が良くない? それから、もっと積極的にアピールしてください。以上です。えーそれでは、みなさん今日は――」


 ――君は一体、どういう人間なの?


 そんなの、私が教えてほしい。


 アピールって言葉は好きになれない。たとえそれが一種の脚色された自己主張であろうと、真偽のほどを確かめるすべはなく、言ったもん勝ちという風潮が何より受け入れ難かった。


 面接官の前でいくら自分を取り繕ったところで、働き始めればすぐに化けの皮は剥がれるものだ。後々のことを考えれば、全く意味がない。


 自らを虚言で塗り固め、それを売り込む行為が就職活動の真意なのだろうか。だとすればその世界に、人間の本質は必要なのか。


 仮面を持たない人間は、……いらないのかな。


「いらっしゃいませぇ」


 控えめな声量の挨拶。本屋の店員なら、実際はこのくらいのトーンで十分なのだ。


 身体をすっぽりと覆い隠す本棚に囲まれ、インクの匂いが漂うこの空間はやはり気分が落ち着く。本当は図書館の方が静かで好みだけれど、残念ながら自宅付近には図書館がなかった。わざわざ大学まで戻るのも面倒なので、近所で最も大きな本屋さんにやって来たという次第だ。


 立ち読みに没頭する人々の間をゆらゆらとすり抜けながら店内を進み、気づけば私は、自己啓発コーナーで胡散臭い書籍を手に取っていた。


【必ず受かる! 内定のための話】、【自己分析が内定を導く!】、【最強の――】


 何とも煽り文句が甚だしい。どうしてそこまで自分に自信が持てるのか。馬鹿馬鹿しくなった私は傲慢な本たちをそっと本棚に戻すと、その場にじっと立ち竦んだ。


 もし就職先が決まらなければ、来年は就職浪人だろうか。そうなったら母は怒るに違いない。父はどこか納得した表情を浮かべそうなものだが。あぁ、それよりも問題は……。


 はきっと、私に罵声を浴びせたり、怒鳴り散らしたりしない。昔からずっとそうだった。いつだって自分には厳しく、他人には甘いのだ。


 けれど内心では、一体どう思っているのか。やはり私に失望したり、こんなのが妹で恥ずかしいと感じているのだろうか。


 あぁ。私はいつからこんなにも卑屈な人間に育ったのか。


 今日は本屋にいても、どこか気持ちがざわついてしまう。明日には大掛かりな企業説明会が控えている。帰ったらまた素麺を食べて、睡眠を十分に取ろう。付け焼き刃の自己分析では大した効果も得られないはずだ。


 自己分析……。それも嫌いな言葉リストに追加することにしよう。嫌いなものを探すことに関してだけ得意な自分が、時々嫌になる。


 そそくさと本屋を後にし、自宅へ向かって歩き始めると、肩に掛けた革鞄の持ち手が震えだした。鞄の中に手を突っ込んだ私は、携帯電話を取り出した。液晶には姉の名前が表示されている。まだ夕方前だというのに、今日も早い時間帯に電話を寄越すものだ。


「…………」


 正直言って、今は人と話す気分じゃない。私は一瞬出ようか出まいか迷った末、結局は鞄から携帯電話を取り出して耳に当てた。


「もしもし」


「あっ、ハル? お姉ちゃんだよぅ!」


「知ってる」


 姉の後ろでは、大音量で音楽が流れていた。


「どこにいるの?」と私が尋ねると、姉はあっさりとした口調で「家だよ。一杯引っかけてる」と笑いながら答えた。


 そうですか、お早いお帰りで。これも働き方改革の賜物ってやつか。お気楽そうで羨ましいものだ。


「あ、そうだ。あんた今何してる? 暇なら今日うち来ない? 久々に会って話したいかなぁって思ってさ」


 暇、なら……?


 受話器を持つ手に少しばかり力を込めていることに、私は自分でも少し動揺していた。悔しさはとうに捨てたはずだ。ゆえに八つ当たりなど、するはずがないのに。


「……暇なわけないでしょ」


 冷たい口調でそう呟いた私は、目の前の景色が僅かに歪んで見えた。あぁ、これは現実ではない。きっと悪い夢に違いない。


「えぇ、ちょっとだけでも駄目ぇ? ……私ね、あんたにちょっと聞いてもらいたいことが――」


「そんな余裕あるわけないでしょ」


 彼女の言葉を遮るようにそう答えた私は、胸の奥に湧き起こる自身の黒々とした感情をひどく不快に感じていた。


「会社の同僚とか友達とか、話し相手ならいくらでもいるんじゃないの? 私はお姉ちゃんと違って完璧じゃないんだからね! 毎日面接の反省点を見直しても、志望動機を見直しても、履歴書を書き直しても、それでも追っつかないの、何にも上手くこなせないの。アピールポイントなんて、全然見つからないんだもん……」


「……ハル? 何か、あった?」


 何もないよ。私には何もない。今のあなたは、私にとって眩しすぎる。……だから。


「お姉ちゃんなんて、いなければ良かった……」


「ハル、面接うまく行かなった? でも、次また頑張――」


「もう! 私に構わないでよ!」


 姉との通話をこちらから終わらせたのは、これが初めてのことだった。怒鳴り散らしたことも、八つ当たりをしたことも……。


 携帯電話を鞄に放り込んだ私は、そのまま歩き出した。


 ……言ってしまった。


 そんな気持ちが背後から私に刃を突き立てる。長い間抑え込んできたものが、こんな形で漏れ出てしまうとは思いもよらなかった。


 きっと明日になれば、あの人は何事もなかったようにまた陽気な口調で電話して来るに違いない。姉には私以外にも友人が大勢いるし、出来の悪い妹は必ずしも彼女にとって特別ではないのだから。


 家路に向かういつもの道が、今も僅かに歪んでいる。


 ――やはりこれは、悪い夢だ。

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