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 べにばらが差し出した手を掴んで立ち上がった私は、一緒にバスケットの中身を拾い集めた。彼女は鼻息荒く木の実をバスケットに放り込みながら、「もう! ほんと失礼しちゃうわ。せっかく助けてやったのに」とぼやいている。


「まぁ、私は大丈夫だから」


 バスケットの中身を拾い集め終える頃にはべにばらもすっかり気分を取り戻し、再び森の中を歩き出した。私はそれに続きながら、先ほどの小人について考えていた。


 あの生き物は、一体何だったのか。まるで妖怪のような醜い姿に、私は身動きを取ることが出来なかった。それに比べて、べにばらは本当に行動力があるものだ。


 それにしても、先ほどの髭を引く光景にはどこか覚えがあった。小人という存在が童話に登場したことは、薄らと覚えている。それがどういう役割だったのか、なぜか全く思い出せない。これほど素晴らしく美しい世界には似つかわしくない、不吉な雰囲気を持つ存在。それはまるで――。


 考え事に没頭していた私は、べにばらが足を止めたことにも気づかず、勢いよく彼女にぶつかってしまった。


「わぁ! 何やってんのよ、しらゆき」


「あぁ。ごめん」


 私は態勢を整えるとべにばらの方を向き、「どうしたの?」と尋ねた。


 すると彼女は信じられないといった表情を浮かべ、こちらを指さしながら、「聞いてなかったの? あなたのブローチがなくなってるって言ったの!」と慌てた様子で言った。


「え?」


 私は胸の辺りに手を触れてみた。


 ……ない。


 胸元に目を遣ると、そこにあったはずのブローチは姿を消していた。いつの間に落としたのか。目の前に立つべにばらは悲しげな表情を浮かべ、今にも涙を流しそうに思えた。


 どうしたものかと頭を悩ませていると、「あっ!」と突然彼女が声を上げ、「さっき小人のやつに押されたときよ!」と言った。


 確かに。あの時は恥ずかしいくらい盛大にすっ転んだ。それ以外に覚えのない私たちは、急いで先ほどの場所に戻ることにした。


 彼女が道を記憶していたため、すぐに辿り着くことができた。林をかき分け、開けた場所に出るとべにばらが「あれっ!」と指を差した。私がそちらに視線を遣ると例のブローチが地面に転がっていたが、同時に視界に入ったのはそれだけではなかった。


「……さっきの小人」


 と、私が呟く間にも小人はブローチの前に立ち、物珍しそうにそれを拾い上げるところだった。べにばらはすかさず小人の方へ向かって走り、「それっ! 妹のブローチよ!」と叫んだ。


 小人は私たちが近づいて来るのに気づくと、一際不快な笑みを浮かべ、「落ちたもんは誰のもんでもないだろ」と答えた。


「そんでもって、拾ったもんは拾ったやつのもんだ。だからこいつは、俺のもんだろ?」


 不敵にそう言い放つと、ブローチを掴み取った小人は勢いよく草むらの中へ飛び込んだ。後を追った私たちが草むらをかき分ける頃には、すでに姿は見えなくなっていた。


 私たちは途方に暮れていた。べにばらはひとしきり地団駄を踏んだあと口元に手を遣り、俯いて何かを考え込んでいる。私はぐるぐるとその場を歩き回り、胸に手を当てながら彼女が熱心にブローチを作る姿を想像していた。


 あのブローチは私のために作ってくれた、大切なものではないか。そう思うと小人に対する怒りが徐々にこみ上げてきて、私は居ても立ってもいられなくなった。


「取り返しに行こう!」


 彼女なら同じことを思うはずだ。そう期待し、私は勢いよく言った。


 しかしながら、彼女は未だ俯いたまま返事を寄越さない。


「ねぇ」と私はべにばらの肩に触れた。ゆっくりとこちらへ向き直った彼女は、どこか神妙な面持ちで私を見つめ、「……いいえ。追いかけないわ」と静かに答えた。


「え?」


「しらゆきにはまた新しいの作ってあげるから」


 そう答える彼女は、引き攣った笑みを浮かべている。先ほどまでの威勢はどこへいったのか。


 予想外の返答に、私は黙って彼女を睨みつけた。べにばらはどこか怖気づいたように表情を暗くし、目を逸らす。私はそれをひどく不愉快に感じていた。それゆえ、頭に浮かんだ台詞がそのまま漏れ出てしまった。


「そんなの、お姉ちゃんらしくない」


 瞬間的に肩を強張らせた彼女は思わず苦い表情を見せたが、すぐにこちらを睨み返し、「追いかけて、もしも道に迷ったら?」と答えた。


「そんなの、あなたがいれば――」


「この先の森はあたしも入ったことがないの。だから迷子になるかもしれない。それにさっきの小人はちょっと乱暴だったし……。あたしはね、妹をキケンなところには連れて行きたくないの!」


「…………」


 あぁ。その言葉には覚えがある。


 姉は昔から、私に対して過保護なところが多々あった。あなたにはまだ早い、あなたには危ないから。その言葉はまるで私を囲う檻のようで、あたかも自分が蔑まれているように感じていた。


 彼女に何かを指摘されるたび劣等感に苛まれた私は、密かに独り立ちを決意した。私は姉の後ろを付いて回るだけの金魚の糞でなく、私個人でありたかった。それがたとえ、彼女には到底敵わないちっぽけな存在だとしても。


 べにばらの言い分はもっともだった。本来の目的は街へ行くことで、我々は幼い子供たち。仮に迷子になれば自力で生還することは困難を極める。先ほどのように凶暴な男が斧で我々を襲ってきたらと考えると、命の危険に関わる問題だった。


 彼女の判断は恐らく正しい。だが、私は納得がいかなかった。なぜなら私はすでに子供でもなければ、あの頃のように闘争心を失った亡霊になり果てたくはなかった。


「大丈夫。あんな奴は恐くないよ」


 私が静かにそう言うとべにばらは意外そうな表情を浮かべ、明らかに怯んでいた。妹に反論をされて動揺したのか、こちらを睨みつける彼女の瞳は泳いだ。


「それなら、あたしが一人で行くからあなたは帰りなさいよ」


 必死に口調を強め、彼女はそう言い放った。『二人はいつも一緒だ』と口癖のように私に伝え、必要としてくれたのに。


 必要な時に頼りにされない者を、果たして相棒と呼べるのだろうか。


「一人で行かせられるわけないでしょ! あなたみたいな子供」


 私は珍しく感情的になった。彼女は私の怒鳴り声に驚いて目を見開いたが、「なによ、しらゆきの方が子供じゃないの!」とすかさず反論してきた。


 なんと子供じみた、低俗な言い争いか。私は息を整えると感情の火を収め、彼女に向けて落ち着いた口調で語りかけた。


「これはあなた一人の問題じゃないの。私たち二人で解決しなくちゃ。だって、あなたが作ってくれた私のブローチが取られちゃったんだから」


「でも――」


「ママに言われたでしょ? 私たちはいつでも二人で協力すべきって。私はいくらあなたに駄目だと言われても、付いて行くからね」


 頑として譲らぬ態度を私が示すと、彼女は諦めにも近いため息を漏らし、「分かったわよ。でも、あたしの後ろに続いて、気をつけて歩くんだよ」と答えた。

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