『明日は何してあそぼっか?』

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「ねぇ。明日は何してあそぼっか?」


「街は?」


「しばらく遠出は禁止だって、ママが……」


「まぁ、そりゃそうだ」


 隣で寝転ぶ姉の姿を見ながら、私は彼女と二人で森を散歩する光景を思い描いた。今度は後ろからではなく、隣を並んで歩きたいものだ。


「やっぱり、散歩かな」と私は答えた。


 すると彼女は、「いつも一緒だもんね!」と嬉しそうに微笑んだ。


「――あ、そうだ。しらゆき手出して!」


「え、なに?」


 私は言われるまま、手のひらを広げた。彼女は握りしめた拳を私の手のひらの上に移動させ、それをぱっと開いた。


 そこには、一粒のどんぐりが落ちた。


「これしか残ってないの」


 頭を掻きながらそう言ったべにばらは、こちらに笑顔を向け、「でもこれは、しらゆきと冒険した日に拾った大事な宝物だから」


「くれるの?」


 どんぐりを受け取った私は、それを月明かりに翳してみた。何の変哲もないこの木の実が、今では特別な宝石のように輝いて見える。私は彼女にお礼を言い、大事にそれをポケットの中にしまった。


 その後べにばらは先に眠ってしまい、静かに寝息を立て始めた。私は彼女の頭を優しく撫でつけ、綺麗に布団を掛け直した。


 明日からも、二人の穏やかな日常は続くのだろうか。


 続いてくれると、嬉しい。


 そんなことを願いながらベッドから起き上がった私は、窓の外に浮かぶ月を見上げながら現実世界の姉や家族について思いを馳せた。


 今なら彼女の苦しみを、恐怖を、そして、楽しさを分かち合えるのではないか。


 いや、分かりたいと心から思えるようになった。


 ささやかな信号を私に送りつけ、深い眠りについた姉もいつかは目を覚まし、隣で眠る彼女のように笑顔を見せてくれるだろうか。


 そんな彼女と二人で笑い合いながら散歩する日々が、いつかは訪れるのか。


「おやすみなさい」


 再びベッドに潜り込んだ私は、ゆっくりと目を閉じた。


 彼女の体温で暖められたその中は私の身体を優しく包み込み、ひときわ深い眠りへと導いていった。



 ――着信音が鳴り、私は目を覚ました。


 目を開くと視界の先には川の水面が見られ、光に反射したそれが妙に眩しかった。


 遠方にはタワーマンションがそびえ立ち、その後自身の身体を確認した私は、真っ黒なリクルートスーツを着ていることに気づいた。


 頭上には鮮やかな緑色をした木の葉が見られ、私は木陰に佇むベンチに腰掛けているようだった。


「暑い……」


 それでも風は湿り気を帯び、太陽光の熱も健在だった。


 額に流れ出る汗を袖口で拭った私は、隣に置いてあった鞄を眺めた。中から響く着信音はまるで犬の遠吠えのようで、寝起きの頭にずしりと響いた。


 鞄に手を潜らせて音の発生源を握り締めた私は、それを目の前に取り出した。


 液晶にはジャンの番号が表示されている。私は通話ボタンを押し、電話を耳に当てた。


「もしもし」


「あ、葉流さん。ジャンです。まだ近くにいらっしゃいますか?」


「えっと……」


 ここはどこなのか。あの河川敷なのか。現実であるのか、はたまたそうでないのか。その確証はどこにもなかった。


「雪希が……、お姉さんが目を覚ましたんです! お母様があなたを探していらしたので、私から連絡をさせていただきました。今すぐ来て頂けますか?」


 彼の言葉に私は息を飲み、咄嗟に頭を巡らせた。あれから、どれくらいの時が経ったのだろうか。


「あの……。今日は何日でしょうか」


 私の馬鹿げた問いに、彼は呆れただろうか。


 無言のまましばらく時間を置いたジャンは、電話口の向こうで短い吐息を漏らし、「二十分ほど前に病室に来た私は、あなたと顔を合わせました。覚えてらっしゃいませんか?」と言った。


「青い顔をして飛び出されたので、心配をしていたところです」


「そうですか」


 あれから、たったの二十分……。あの長い期間の記憶は、全てただの夢だったのか。


「すぐに伺います」


「良かった。病院の入口でお待ちしておりますね! それでは、また後で」


「お姉ちゃん、起きたんだ……」


 電話を切った後も、私はそのまましばらく液晶を眺め続けていた。黒い液晶には反射した自身の顔が写り込んでいる。


 子供の姿ではなく、大学生の私。


 液晶に触れると画面が発光し、そこには日付と時間が表示されていた。私が病室を飛び出して、河川敷を歩いた時刻から本当に二十分ほどしか経っていない。


「やっぱり、夢だったのかな」


 液晶を閉じた私は、携帯電話をポケットに入れた。中には小銭のような感触があり、取り出して見るとそれは一粒のどんぐりだった。


 あの夜、月明かりに照らしたそれは輝かしい宝石のようで、何より価値のある物だと思うことができた。


 けれども太陽に翳してみたそれは、今ではとてもありきたりだ。


 笑みが、どっと溢れた。


「やっぱり、ただのどんぐりだよ」


 立ち上がってポケットの中にどんぐりをしまった私は、彼女の元へ向け、ささやかながらも確かな一歩を踏み出し始めた。


 童話の世界に救いを求めるべきではない。


 現実の問題は、現実世界においてのみ解決できるものだ。


 しかしながら、自己を形成するとしてほんの少し童話に助力を請うことは、あながち間違いではないのかもしれない。

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白雪の影とべにばらの森 扇谷 純 @painomi06

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